デッドマンズ・アー・デッド5
イタリア軍基地は殊の外守りが硬かった。まともな戦闘訓練を受けていない兵士が一人なら他愛もないが、文明の利器を手にした複数の兵士となれば話は別だ。
コーサ・ノストラのメンバーも暗殺を請け負っているとはいえ、戦闘には慣れていなかった。他のギャングと抗争があったとのことだったが、立ち回りはぎこちなく遮蔽物の陰で身動きが取れていなかった。
これが人間の普遍だ。戦場で何度も激戦を経験するうちにイアンはどこかに部品を落としてしまった。
普遍と特殊の差異は紙一重ではあるが、その性質は全く異なる。死に恐怖するか否か。人間を殺せるか否か。戦争は人間を怪物へと変貌させる。
すなわち、どこかに部品を落としてしまった人間は怪物だ。皮肉なことに、イアンは怪物から家族を守るために怪物になってしまった。
トレンチコートとスラックスのポケットに入れていたマガジンをもういくつ消費したことだろう。イアンの突貫により、劣勢だった戦況は優勢に傾きつつあった。
けたたましい銃の発砲音、脳を震撼させるグレネードの爆発音。四肢の一部を失う者、全身を穴だらけにされる者、死にかけてか細い呻き声を上げる者、発狂して銃を乱射しながら死んでいく者。
イアンは改めて思った――戦場とはこんなにも醜悪な場所だっただろうか、と。
愛する家族のために戦っていた頃が懐かしい。家族を失い、私はいつしか戦場の醜さを忘れてしまっていたようだ。オリガと出会うまで私は戦場を甘美な場所だと思い込んでいた。全てを失ってなお戦場に戻りたいと思っていた。いや、全てを失ったからこそ、と表現した方が正しいだろう。
だが、イアンにとってもはや戦場は居心地のいい場所ではなくなっていた。
私には愛する者ができた。オリガを失いたくはない。だから、もう戦いたくない。
イアンは自嘲気味に微笑んだ。
オリガには感謝しなければな。オリガは私を救ってくれた。戦争依存症の呪縛から私を解き放ってくれた。
「オリガ」
「なんでしょう?」
「いや、なんでもない」
「おかしな方」
アグリジェントに帰ったら結婚しよう――愛の告白を喉元に押し返し、イアンは最後のマガジンをウィルディ・ピストルに装填した。
愛の証明を君に捧げよう。愛していると言葉で伝えよう。君は言葉こそが世界の救世主になり得ると言ったね。もしそれが本当なら、私が幸せになるのは容易いことだろう。
イタリア軍を蹴散らして進むと、鍵のかかった堅牢な鉄製のドアが立ちはだかった。押しても引いてもドアはびくともせず、かといって中はしんと静まり返っていた。
この中にジャンがいる――直感でわかった。エステルもジャンの存在を直感し、コーサ・ノストラのメンバーの銃をもぎ取ってドアに乱射した。それでもドアはへこんだくらいで開く気配はなかった。
「ジャンっ! 生きているなら返事をしてっ! 助けに来たわよっ!」
エステルは涙声を振り絞って叫んだ。が、ドアの向こうから声が返ってくることはなかった。
たとえドアの向こうにあるのがジャンの死体だったとしても、このまま置いてはいけない。なんとかしてドアを破らなければ。
試行錯誤した結果、やはり爆薬でドアを吹き飛ばすことになった。時間もない上、銃やグレネードでは不可能だったからだ。部屋の構造がわからないためジャンも爆発に巻き込みかねないが、このままではイタリア軍に追い詰められて蜂の巣にされかねない。エステルも爆薬の使用を泣く泣く了承してくれた。
「さあ、やってくれ。寝坊をたたき起こしてやろう」
「やってちょうだい。心は決まったわ。何があっても取り乱さないから」
爆薬が設置されるのを皆が見守る中、オリガはトレンチコートの裾をぎゅっと掴んでイアンにくっついていた。唯一彼女はジャンの死を望んでいた。
別にジャンに恨みがあるわけではない。が、仮に彼が生きていたとしても結果は変わらない。所詮、愛し合う者たちは遅かれ早かれ死に別れるものだ。家族であれ友人であれ恋人であれ伴侶であれ、戦争はその仲を引き裂く。そして、復讐は殺戮の悪循環を生む。これは決して終わることがない。この世界に人間が存在する限り。
耳が爆発音にも慣れる。ドアが弾け飛び、砂埃が舞い上がる。ウィルディ・ピストルを構えて部屋の中に入る。
しかし、中に敵は一人もいなかった。ぽつんと椅子があり、そこに赤黒い塊が鎮座していた。
「ジャン……」
赤黒い塊はジャンであった。見間違いであってほしかったが、砂埃が晴れて視界がはっきりすると事実を受け入れざるを得なかった。
執拗に殴打されて腫れ上がった頭部。血液は固まってどす黒くなり、顔面にこびりついている。右腕には大きな弾痕。穴の周囲が爛れているため、焼いて出血を抑えたのだろう。荒療治にもほどがある。両手の指は全てへし折られて歪な方向に曲がっており、両足の指も全て鈍器か何かで砕かれている。鎖で縛りつけられた胴体の損傷も激しい。内臓がどうなっているかは視認できないが、恐らくただでは済んでいないだろう。
ジャンの変わり果てた姿を見て、エステルは茫然自失とした。言葉も涙も出ず、どう反応していいものかわからなくなった。
イアンはあくまで冷静にジャンのそばに近寄った。
辛うじてまだ息はある。が、息絶えるのは時間の問題だ。早く手当てをしなければ取り返しのつかないことになる。
「騒がしいな……俺の眠りを邪魔するんじゃねぇよ……」
「ジャン、寝ぼけていないで起きろ。ここから脱出するぞ」
「脱出……ああ、そうか……俺はイタリア軍に捕まったんだったか……エステルは……エステルはどこにいる……?」
「ジャン、私はここにいるわ……! お願い、死なないで……! 私がきっとパレルモに連れて帰ってあげるから……! 子供と三人で暮らすのが私たちの夢でしょう……? ねぇ……?」
「ああ……泣くな、エステル……こんな薄汚いところで死んでたまるかよ……くそっ、みっともない格好だな……帰ったらシャワーを浴びてリトル・プリンセスを飲みたい……カンノーロと一緒に……」
「私が作ってあげるわ。さあ、帰りましょう」
イアンはそっとジャンを立ち上がらせて肩を貸した。常人ならこの負傷で歩くのは不可能に近いが、彼はなんとか歩こうとした。ふらついているものの、一歩ずつ進んで生きていることを証明した。
だが、敵は待ってくれない。戦場に情けはない。
足音が迫ってきたかと思うと、今度は弾丸がイアンたちを掠めた。ジャンの左脚に流れ弾が命中したが、彼は平然としていた。壮絶な拷問で痛覚が麻痺してしまっているのだろう。
「エステル、ジャンを頼む。このまま真っ直ぐ進めば裏口に出られるはずだ。ルノーと合流してパレルモに帰れ」
「わかったわ。イアン、あなたはどうするの?」
「私はイタリア軍を足止めする。何、私なら心配いらない」
「心配なんてしていないわ。ありがとう、イアン。ジャンの親友があなたで本当によかった」
「そう言ってもらえるとは光栄だ。行け。生きてまた会おう」
エステルにジャンの身体を預けて、イアンはトレンチコートを翻した。
私には守るべき者たちがいる。家族は守れなかったが、親友と恋人は守ってみせる。私がアメリカで死ななかったのはきっとこのためだ。戦う理由なくして戦う人間こそが怪物なのだ。私はもう怪物ではない。私はれっきとした人間だ。オリガは私を人間に戻してくれた。人間として蘇ったこの命、君のために捧げる。
マガジンは残り少ない。あと何人殺せるかわからない。一発の弾丸が生死をわける。全員殺せなければ殺される。オリガを守れない。
イタリア軍の猛攻が壁一枚を隔ててぶつけられる。兵士時代の塹壕戦を思い出す。当時の記憶がフラッシュバックし、頭痛が電流のごとく走る。
コーサ・ノストラが牽制しているものの、いつまで持ちこたえられるかわからない。戦力ならイタリア軍の方が圧倒的に上だ。それに、ここは基地だ。ほぼ無尽蔵に武器がある。
銃口から硝煙をくゆらせながら、イアンは弾丸の雨の中に飛び出した。
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