スイート・トーチャー4

 ナポリでの一悶着のほとぼりが冷めた時期を見計らい、ジャンはローマで偽装の取引を行った。

 イタリア軍をおびき出すことに成功し、二人ほど兵士を拉致した。一人は負傷がひどく、移動の途中で死亡した。もう一人は猿轡をはめて四肢を縛り、袋に詰めてパレルモに帰った。

 コーサ・ノストラが経営しているバーは二階がダーツとビリヤードの遊技場となっている。毎日のようにメンバーがたむろしてポーカーやブラックジャックに熱中しているが、こうして部外者が連れてこられるとドアに「CLOSE」の札がかけられる。

 ジャンは兵士を椅子に縛りつけて猿轡を外した。まだ意識を失っていたため、バケツに水を汲んで頭からかぶせた。


「……ここはどこだ?」


「我らが家だ」


「パレルモか。一緒にいた同志はどうなった?」


「死んだよ。なんとか生かそうとしたが、止血が間に合わなかった」


「そうか」


 兵士は妙に冷静だった。死を受け入れているようで癪に障った。


「同志の死が悲しくないのか?」


「何故? 仮に生きていたとして、どうせ殺されることに変わりはない。なぶられるか否かの違いだ」


 なるほど、とジャンは頷いた。

 諦めがいいのは賢明だが、どうにもやりづらい。イアンと同じ冷たい瞳をしている。これから親友をいたぶるかのようで気分が乗らない。

 ジャンはダーツの矢を束ねていた紐を解いた。


「さて、これからお前を拷問にかける。俺の知りたいことを吐けば生かしてやる」


「何を知りたい?」


「吐いてくれるつもりならありがたい。こういうことはスマートに済ませよう。互いのためにな。俺もサディストではない」


 高値で取り寄せたハバナ産の葉巻を嗜みつつ、ジャンはビリヤード台に腰かけて脚を組んだ。


「ナポリでの取引を知っているか? 先日、ゲシュタポと繋がりのあるドイツ人二人と武器の取引をした。取引はうまくいったかに思われたが、イタリア軍の襲撃に遭ってな」


「ああ、知っているとも。俺もその場にいたからな」


「そうか。それなら話は早い。イタリア軍にたれこみがあったはずだ。そうでなければあんな寂れた廃工場での取引をイタリア軍に嗅ぎつけられるわけがない。数から言って、イタリア軍はそいつの情報を鵜呑みにしなかったのだろう」


「ご名答。あのアメリカ人さえいなければお前は今頃土の中だっただろうな。あいつの存在が誤算だった。予期せぬ事態が起こるなど針の穴に糸を通すようなものだと思っていた。まさかそれが現実になるとはな」


「情報を漏洩させた人間を知りたい。軍曹、賢明な判断をすることだ。お前を拷問にかけたくはない。イタリア人は皆俺の同志だ」


「アメリカに寝返った者がよく言うな、少尉。お前は二度もイタリアを裏切った。コーサ・ノストラはイタリアの敵だ。お前はイタリアの敵となり、それでも飽き足らずアメリカ陸軍に志願した。武器を売買し、その武器で人間を殺す。お前は最低の人間だ。いや、人間ですらない。お前は悪魔だ。人間の血をすすって生きる吸血鬼だ」


 兵士は視線に憎悪を込めた。

 一瞬でわかった――この兵士も戦争の被害者なのだ、と。


「俺が憎いか?」


「憎い。戦争の元凶はお前たちのように武器を売買する者だ。俺はお前たちを許さない。俺を兵士にしたお前たちを許さない」


 葉巻の先端からこぼれた灰が、ビリヤード台の繊細なラシャを焦がす。白煙がジャンを包み込み、口内の粘膜がニコチンを吸収する。快楽が思考回路を停滞させる。


「俺はスマートな答えを求めている。取引の情報をたれこんだ人間を言え」


「そんなに知りたいのなら教えてやる。フランス人だ。イタリア軍の基地に電話をかけてきて、ナポリでコーサ・ノストラとドイツ人が武器の取引をするとたれこんできた。言葉の訛りでフランス人だとわかったが、それ以上の情報は知らない。フランス人は頑なに名乗ろうとしなかった。半信半疑でナポリ中を手分けして調べるとお前たちがいたというわけだ」


「協力に感謝する。だが、それでは不十分だ。俺が知りたいのはそのフランス人の情報だ」


「吐いたところで殺すのだろう。それなら吐かない方がいい。ここまで情報を教えてやったんだ、お前はもっと感謝するべきだ」


 恐らくこの兵士は本当にこれ以上の情報を知らない。イタリア軍はフランス人の情報を何も掴んでいない。せいぜい言葉の訛りからフランス人だと特定したくらいのものだ。今頃血眼になって探している最中だろう。

 やはりジャンはこの兵士を拷問にかける気にはならなかった。拷問にかけても時間の無駄だ。


「殺せ。お前にできるのはそれだけだ」


「ちっ、どいつもこいつも……」


 ジャンは右脚のホルスターからマテバ・オートリボルバーを抜いた。重厚な威圧感を前にしても、兵士は眉一つ動かさなかった。それがジャンの怒りに火をつけた。


「びびらなかったのは褒めてやる。だが、結果は変わらない。お前の言う通り、俺には殺すことしかできない。これまでもそうして生きてきた。信念もなく、ただ殺しながら生きてきた。これが俺の人生だ」


 マテバ・オートリボルバーの銃口を兵士の額にあてがう。


「撃てよ。お前にとって俺の命などごみ同然だろう? 俺はこれからお前が積み上げてきた死体の山の一部となる。だが、忘れるな。お前もいつかは死体の山の一部となる。遅かれ早かれな」


「そんなことは言われずともわかっている。アディオス、軍曹」


 銃声が轟き、ビリヤード台に鮮血の飛沫がかかった。

 ジャンは革靴に付着した血液に顔をしかめた。そんな彼を死んだ瞳は見つめ続けていた。

 死してなお見開かれた双眸――なんとも不気味だった。憎悪の視線は死によって具現化された。レーザーのようなそれを注がれていると気分が悪くなった。

 手のひらで兵士の瞼を下ろし、ジャンは階段を下りた。

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