第三話 吸血鬼と肥満

吸血鬼と肥満



 吸血鬼と聞いてみなさんはどのような姿を想像されるだろうか。ハンサムで、ぞっとするほど頬のこけた老紳士、あるいは美しい青年を姿を想像することはあるだろうか?

 もしもそうなら、実のところ、それはテレビに映る俳優のほとんどが美形で痩せているというだけに過ぎない。メディアに露出する吸血鬼役というのは、だいたいがスタイルの良いものである。


 そして、『月刊! イモータル』の賢明な読者の皆さまであればもうわかりきったことと思うが、メディアに映る吸血鬼は言うまでもなくインチキである(※1)。


 まずもって確認しておくが、ほとんどの吸血鬼は庶民である。なんたって、人間、農民のほうがずっと数が多い。城に住む吸血鬼というのは、やはりドラキュラ伯爵のイメージなのだろう。率直に申し上げて、うらやましい。とても。


 ところで『吸血鬼』という名前は言いえて妙ではあるが、吸血行動は必ずしも吸血鬼の条件ではない。

 古来より、吸血鬼の特徴は「死に逆らうもの」――もっと平たく言えば、「死んだ割に墓の中で生き生きしているもの」であった。


 吸血鬼の黄金時代は、およそ16世紀ごろのヨーロッパのことだった。

 墓を暴いてみたら、死者のわりに血色がよい口の周りにべっとりと血がついているだとか、太っていて腹が膨れていただとか、そういう特徴があった生ける死体を、人々は吸血鬼と称して恐れたのである。

 十字架が曲がっているとみれば吸血鬼がいると思い、掘り返して杭をぶちこんでみたり、熱した油を流し込んでみたりしたものであると聞く(黄金時代の吸血鬼じゃなくて本当に良かった!)。


 まあ、そういうわけだから、青白い美少年・美青年ばかりが吸血鬼ではないのだ。

 日光障害を患っているものが多いから、日に焼けているものはやっぱり少ないだろうけれど、むしろ吸血鬼は生き生きと血色はよいものだ。わりかし、人に紛れていても、わりとわからなかったりする。


 人に害をなし、人の家畜を荒らす。それが大昔の吸血鬼である。

 吸血鬼に尊い労働力を奪われ、家畜を荒らされ、それで墓を暴いたらとっくに死んだ元凶がつやつやしているというのだから、昔の人の怒りは想像するにすさまじいものがあるだろう。

 食べ物(※1)の恨みはげに恐ろしい。


 21世紀は飽食の時代である。吸血鬼は、腹をすかして水車のそばや、穀物小屋のそばや、トウモロコシ畑をうろうろしなくてもよくなった。買い物で適正に食料を手に入れるようになったからである。

 ただ、現代の吸血鬼は、昔とはまた違った理由で困難に直面している。


 使用人もいない、平屋住まいの家事もできない独身吸血鬼の食生活は非常にわびしい。自炊でもできればいいのだろうが、日光を避けて生きている吸血鬼は、やはりどうしても夜行性に寄らざるを得ない。


 冷蔵庫はからっぽ。料理の腕もおぼつかない。一番近いスーパーは、起きた頃には店を閉めている。遅くまでやっているコンビニや、ファストフードの店の光が誘蛾灯の様に吸血鬼を誘う。

 いやいや、ジャンクフードばかりでは体に良くない。たまにはとピザを頼んでみたり、カップヌードルを開けてみたり。

 世の中は便利になったものだ。便利になりすぎてしまったものだ。


 これではいけないと奮起して、なんとか早起きしてスーパーに駆け込むと、棚には半額になったお惣菜がずらり。正直、自炊をするよりも安い。


 さして代謝もないのに、生前と同じように日々飲み食いをしていればどうなるか。結果は予想が付くだろうと思う。


 アメリカ人の多くと同じように、いや、それ以上に、吸血鬼は肥満に悩まされている。

 WVOの調査によると、「吸血鬼は太りすぎていると思う」と回答した吸血鬼の割合は、およそ37%にのぼった(ちなみに、「吸血鬼は」を「自分は」と置き換えた設問は25%に留まる)。


 肥満問題に悩まされる吸血鬼の数は、かなり多い。彼らの多くが悩んでいるかどうか定かではないが、彼らが悩まないなら、飛行機の隣の席の人間などが悩んでいる。

 肥満は、吸血鬼の品性を問う問題である。


 3着目の最後のズボンをダメにしてから、私はようやく体重計に乗る気になった。分銅を乗せるタイプの、天秤型の特注品だ。原始的な体重計の針は、吸血鬼とあってもごまかしようがない。

 吸血鬼が鏡にうつらないのは、良いことなのか悪いことなのか。

「朝、寝る直前には食べないこと!」

 基本的なことではあるのだが、これがなかなか難しい。


 ありがたいことに、現代に生きる吸血鬼には、昔の吸血鬼が使えなかった手段がある。宅配便を使って24時間いつでも買い物ができる。宅配便ならば、天気も日光も関係がない。世の中が便利になるのも悪くはない。吸血鬼が文明の進歩にあやかれる機会というのは貴重なものだ。

 宅配便の業者は、パンツ一丁の私を見てぎょっとしたようだが、とりあえず荷物をくれた。サイズは何とか入ったが、カタログで見たよりもけばけばしかった。


 ところで、吸血鬼のほとんどは、自分をかっこよく、美しく見積もっているものである。なんたって鏡に映らないのだし、生前の写真は若々しく一番いいものを選ぶ。似顔絵を描いてもらったとしても、よく描いてもらえるのが人情というものである。

 憂いをたたえた美中年とはそううまくはいかず、たいていは赤ら顔のおじさんである。鏡が使えないから、自分の顔に気を使わなくなるのも問題だ。女性の吸血鬼は、なぜか身ぎれいな人も多いのだが。


 人間、長生きすればするほど見栄っ張りになる。いわんや吸血鬼である。

 未来ある若者のために念押ししておくと、吸血鬼になってモテるのはごく一部である。写真に写らないことをいいことに、私はその一部に入ると言っておこう。


 深夜、互助会から届いた古くなった廃棄血液からなる血液アンプルを眺めながら、これが美しい女性の血だったらいいのに、なんて、そういうよこしまな気持ちもないではないが、実際には新鮮な男性の血液が一番濃くておいしい。

 皿にあけてみると、ちょっとこってりしていた味わいだった。なんとなく同病相哀れむ気持ちである。相手も私も、ダイエットが必要そうだ。


 宅配便で一緒に届いた有機野菜の隅っこのシール、「生産者のおじさんの笑顔」なんて見ていると、なにもかもどうでもよくなってくる。

 経験のありそうな、頼もしいベテランが作ったものはおいしい。

 おいしいものはおいしい。


 死してなお喜びがあるのは、たいへんに歓迎すべきことではあるけれど、そろそろダイエットを考えなくてはならない。


 けれど、再来月までは私はダイエットをする気はない。明日にアメリカ合衆国が核で滅びる可能性があるとして、誰がダイエットなんぞするものか。

 次回は、我々吸血鬼最大の困難――『吸血鬼と歯医者』をお届けしたい。

 お届けできるだろうか。一種の筆記療法である。


(※1)初期症状の軽度の吸血鬼であれば、写真にも写る場合があるが、だいたいピンボケはする。

(※2)本書を取りまとめるにあたって、吸血鬼倫理委員会から「人間の血液を食べ物と称するのはいかがなものか」とのご指摘を賜りました。確かに正しくは「飲み物」です。

 冗談はさておき、お分かりかと思いますが、ここでの「食べ物」というのは、「吸血鬼が人々の糧である家畜を襲うため、人が吸血鬼を憎む」という趣旨であることを付け足し申し添えておきます。

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