第四話 吸血鬼と歯医者
流れる水。銀ぎらぎん。
十分な清潔感と、カーテンから差し込む明るい日光。
場合によっては、マリア像。
高らかに悪趣味な音を奏でるドリル。
おお、神よ。
歯医者には、吸血鬼の嫌いなものがすべてそろっている。
我々吸血鬼の身体的な特徴である、一対の『吸血牙』。
ちょっと難しいことを言えば、主に、上あごの側切歯と第一小臼歯の間にある犬歯が変化して発生したものである。
野生動物の多くは、牙で肉を切り裂き、獲物を食らう。ご存知かもしれないが、このご時世、意味もなく武器を持ち歩くことは違法である。
文明社会に死んでいる我々が、いくら「悪用しない」と誓おうがなにしようが無駄である。とっくに神にも見放されてるっていうんだから、これはもうどうしようもない。
人らしからぬとがった牙は、ちらちら除くたびに一般の市民の不安を誘うようだ。
いくらライフル銃やバタフライナイフよりましだといっても、吸血鬼の牙によって得する団体はないし。それこそ、歯医者ぐらいなものだ。
「消滅の危機など、特別に必要性が認められる場合」を除いて、我々は従順に人間の前に首を差し出して、牙を削り取り、みなさまの前に危険性がないことを示す必要がある。ちなみに、この必要性が認められた例は一度もない。
現代では、網で捕獲されて勝手にぽっきん、なんてことはやられない。歯を削り取る処置を受けるかどうかは、我々の自由意思にまかされている。
しかし、歯医者に行って牙を折らねば、吸血鬼の権利更新手続きは受けられない。ここに落とし穴がある。ご承知おきの通り、この権利の手続きは我々の生命線である。絞首刑か執行猶予かだ。
現行制度の上では、我々は、少なくとも10年に一度は国が指定した歯医者で牙をチェックして削り取る必要がある。悲しいことに、げっ歯類のように牙はとがり続ける。
いっそ、法律で定めて「現代の吸血鬼には牙は不要であるので、生えてこないよう。生えてきた牙には罰金を課す」などとなだめてくれればいいのになあ。私は自分の牙を相手取って訴訟を起こすのもやぶさかではない。
ところで、年配の吸血鬼の中には、歯医者と聞いて牙の分以上におっかながるものがいる。昔の歯医者は、床屋と歯医者と外科医がいっしょくたになったような職業だったものだから。
一方で、嬉しそうに舌なめずりをする者がいる。昔の歯医者は、外科医とおなじような職業で、よく瀉血(※1)をしていたものである。
歯医者でかつ吸血鬼のものがいたとすると、よっぽど胃袋が儲かっていたに違いない。そんな時代に生まれたかったような気がするが、あの頃の治療法はやっぱりいやだ(熱した油をかけられて退治されるのもごめん被る)。
歯医者のことを考えると、まぼろしの牙がじんじん痛くなってくるような気がする。ああ。来月がその更新日である。
気分がマシになる気はしないが、10年ぐらい前の話をしよう。さる10月。
横断歩道を歩いていた私は、うっかり車にはねられて、歯を痛めてしまったのである。へっこんだのは自動車の方だったが、顔面を打って牙がじんじん痛んだ。
吸血鬼の牙の施術なんてこなれてる医師も少ないから、私はかなり入念に調査した。これほど真剣だったことはないような気がする。なんたって、自分の命もかかっているのだから、いつ、さらさらする(※2)かわからない。
あちこちに手紙をやって、仲間から情報をもらい、「清潔で、かつ、無神論者のような歯医者」を探した。そして、看板に書かれているのが「聖」でも「ゴッド」でも「サン」でも「シャイン」でも「ライフ」でも「対アンデット」でもない歯科医院を探した。念のため、「ソルト、オニオン、ガーリック」もやめた。
別に悪影響があるわけではないだろうが、縁起が悪い気がしてやめた。そうするとクリニックは4分の3くらいに減った。一つ、とても良さげなクリニックを見つけたのだが、中華料理屋がそばにあって妙なスパイスの香りがした。私は、べつにニンニクにアレルギーはないのだが、嫌な予感がしたのでやめた。
さんざん悩んだ末、友人から絶賛されていた第一候補の「デカイ・サクリファイス」も滅菌されそうだったので候補から外した。私もまだ人の心を失っていなかったということなのだろう。
そして、ようやく一つのクリニックに絞り込んだ。「ムーンライト・デンタルクリニック」である。
歯医者に限らず、お医者さんというものは、いつだってこちらの間違いを指摘してくる。大けがをした時には納得もいこうものだが、健康診断などでグウの音も出ないほど先進的に追い詰められるのはあまり気持ちの良いものではない。
「羊でも数えていればすぐ終わる」と友人は請け負った。この道20年、なかなか腕の良い歯医者と聞いていた。麻酔が効くかどうか定かではなかったから、私は念のためにワインを2本空けて施術に臨んだ。
しかし、私の期待に反して出てきたのは若い男だった。私は、このときほど自分の不承を恥じたことはない。帰って別のクリニックを探そうかとも思ったが、仲間に紹介されてから、行きたくなくて1年が過ぎていた。州法が改正され、更新手続きもぎりぎりに控えていた。
医師は眼鏡をずりあげると、しばらく私の体をいじくりまわす。そこそこ頼もしそうに見えたのだが、開口一番にこう言った。
「それじゃあ、レントゲンを撮ろうと思います」
このセリフを聞いた瞬間の私の失望といったらない。
この医者がほんとうにポンコツで、いくら写らないといってもレントゲンを撮る。無駄だといっても先に丸い鏡のついた器具を突っ込む。そして吸血鬼にびくびくしていて、施術台にベルトで巻こうとまでした。それはさすがに拒否をしたが(拒否の意を伝えるとき、まだ牙があった)牙をなるべく触らないように必要以上に腕を伸ばしてくる。
よほど殴りかかって、返り討ちに折ってもらおうかと何度も考えたが、猟犬どもに追いかけまわされるのもうんざりだ。なにより、相手は、凶器を手にしているのであるし。
歯医者が私を怖がっているのと同じくらい、私は歯医者を怖がっている。どちらの立場が上かはどっちの肩を持つかによる。
ああ、脳天に響くドリルの音は忘れられない。
治療でほとんど空になった財布を見ながら、私は生まれ変わったら二度と吸血鬼になるものではないと誓った。
吸血鬼には金がかかる。なくなったとがりを舌で懐かしむようにしながら、私は歯医者を後にした。麻酔がまだ切れておらず、唇がジンジンとした。
あれから10年。車には気を付けて歩いてきたが、いまいち歯医者に行く勇気がない。
恐怖で、次週の案もさっぱり浮かばない。いったいどうなることだろうか。
窮鼠猫を噛む、というではないか。素晴らしいアイディアを次週の私に期待したい。
(※1……瀉血、血を抜く治療法。能率的な殺人の手段である。)
訳注:効果が高い治療法ではなかった。
(※2「さらさらする」……吸血鬼のスラング。灰になって消滅するということ)
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