第九章 蒼き時の彼方に 三
内股深く出された指から、足し算引き算を加えた複雑な暗号を読み解く。ストレートか。
キャッチャー・ミットは外角いっぱいに構えを決めた。
大胆な投球スタイルの変更から一年間は、猪突猛進の日々だった。
極限まで苛め抜いて鍛えた下半身は、一回りサイズアップした。ともすると不安定になりがちなフォームを、足元からがっちりと支える。
豪快な球速を叩き出せはしないが、打ちにくさを追求した投球スタイルは、アレンジ次第で剛速球の魅力に勝るとも劣らぬ、未知数の奥深さがあった。
そこに磯部のクレバーな配球術が加わると、可能性はさらに広がっていった。
「打つ前は膝の高さに見えるボールが、実際に打ちにいくと、顔の辺りに向かってくるように見えるんだよな。ふわっ〜と浮き上がってくるような。何なんだよ、お前の球は」
紅白戦で披露したストレートを打ち損じた上野が苛つきながら語った言葉が、今でも俺のモチベーションを支えていた。
肩や肘の負担が少ない分、ワンゲーム投げ抜くスタミナを維持できることは、大きな自信にも繋がっていった。
マウンドに立つことを恐れていた日々が滑稽に思えるほどに、今は一試合でも、一球でも多く投げていたい。
終わりが見えているからこその純粋なる願いだった。
あと一球、あと一球と、自らを奮い立たせながらモーションに入ると、あたりの喧騒が嘘のように俺の背中で黙り込む。
一つ一つの筋肉が、見事な連携プレーで渾身の一球を紡ぎ出していった。
下半身を上手く使い、弓のように腕をしならせ、ギリギリまで我慢して球を放る。
バックスピンのかかったストレートは手元で予想以上の伸びを見せ、打者の懐をめがけて飛び込んでいった。
ギリギリまで見極めていたバットが、ここ一番の振りどころで一瞬、ふっと躊躇ったように見えた。
磯部のミットから大げさな捕球音が響き渡る。
「ストライク! バッター・アウト‼︎」
僅差でタイミングを逸したバットから、胸のすくような快音が聞かれることはなかった。
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