第八章   ZEROになる勇気   五

 五月末に行われる北関東大会まで、週二の割合で練習試合が組まれていた。

予定表には東芝、JR東日本、鷺宮、HONDAと、強豪チームが名を連ねる。

 どの一戦も、都市対抗の行方を占う貴重な試金石であり、本番さながらの息を呑む戦いが繰り広げられた。

 本大会に向けチームのムードも盛り上がりを見せるなか、碓氷の病状は悪化の一途をたどっていた。

 一次予選の結果報告も兼ね、病室を訪れた沼田が、碓氷の様子を話してくれた。

 落ち窪んだ目に、こけた頬。土気色に萎びた皮膚に覆われた顔は、実年齢を大幅に通り越して一気に老け込み、見るに忍びなかったと、銀縁眼鏡に手を添えた。

 抗がん剤治療は壮絶を極めたが、期待していたほどの効果は上がらず。残された僅かな体力さえも容赦なく奪い去る荒療治も、限界の域に達していた。

 常に眠っている状態で、話すことも起き上がることも儘ならないと碓氷の妻は語った。

 沼田が耳元で話しかけても、やはり薄目を開け、うとうとと眠ったままだったらしい。

 これ以上は手の施しようがないと主治医に匙を投げられた際、碓氷は朦朧とする意識の中でうわごとのように、しかし、しっかりとした口調で言ったという。

「七月二十三日まで、死ぬわけにゃあいかんのです。先生、どうか命を繋いでください。どんな辛い治療にも耐えてみせる。お願いします」と。

 病室の壁に貼られた年間カレンダーには、赤い花丸が一つ。その下には『俺の花道』と大きく記されていた。

 主治医はカレンダーをしばらく見つめたあと、静かな声で言った。

「碓氷さん、あなたは自分の最後は自分で決めると言いましたね。その強い気持ちを忘れてはダメですよ。私は医師として、でき得る限りの手を尽くします。抗がん剤で体力を奪うような治療はやめて、緩和的な対応に切り替えましょう。それが今の碓氷さんにとって最良の選択と思われます。よろしいですね」

「小さく頷いた碓氷の、閉じられたままの目尻からこぼれた一筋の涙が忘れられない」声を詰まらせながらも気丈に話す妻の姿。

「必ずや、黒獅子旗を奪還してみせますから」

 決意を新たに気持ちを奮い立たせ、病室をあとにしたと、再び銀縁眼鏡に手を添えた。

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