第八章   ZEROになる勇気   四

 それにしても、最後の最後に自らの失態が招いた黒星をなんとしよう。

 重苦しい空気が漂うベンチ内、やり切れない思いが胸を締め付けた。

「なんて顔してるんすか。はい、笑って笑って。所詮すべては小っちぇえこと。小っちぇえ、小っちぇえ」

 なんだって?

「大和、お前、今なんて言った?」

「所詮すべては小っちぇえこと、って言ったんすよ」

 わずかに笑みをたたえ、そそくさと帰り支度をする磯部の横顔をまじまじと見つめた。

「武尊兄ちゃんが教えてくれた、ここによく効く薬です」

 親指を立て、厚い胸元を指してみせた。忘れかけていた言ノ葉が泥にまみれた心を拭い、そっと俺の背中を押す。

「ありがとう、大和。思い出したよ」

 暗がりの胸に小さく灯された明かりを頼りに今日を終わろう。所詮すべては小っちぇえこと。

 立ち並ぶ日立工場群に別れを告げ、マイクロバスが走り出した。

 夕暮れには、まだ少し早い時刻。柔らかなオレンジ色の太陽が、疲れきった戦士たち、一人一人の横顔を優しく照らし出していた。

「三菱重工神戸、二対〇で鷺宮に勝って予選突破だって。守安、かなりイイ投球したらしいですよ」

 隣の席で、磯部は流れゆく街並みから目を逸らさぬまま、つぶやいた。

「そうか……」少し重くなり始めた目蓋を閉じれば、心地よい揺れが浅い眠りに誘った。

 どれぐらい時間が経ったのか。見慣れた太田市の繁華街、きらびやかなネオンが躍っていた。

 日本選手権行きの切符をかけ、四日間にわたり繰り広げられた熾烈な優勝争い。ふたを開けてみれば、頂点に登り詰めたのは三菱重工神戸。奇しくも初戦で八対〇と、コールドで下した相手だった。

 勝負は最後まで何が起こるかわからない。

 決勝を決める一戦を投げ抜いたのは、やはり守安。北関東三強の一角を担う、日立製作所野球部を相手に、三対〇と快勝。

 連日の登板にもかかわらず、許した安打は単打ばかり六本。

 走者を出しても決定打を許さない見事な投げっぷりで、エースの存在感を見せつけた。

 後日、目にしたスポーツ新聞には、優勝旗を手にした三菱重工神戸の検討ぶりが掲載されていた。

「今大会で初戦の怖さを経験したが、収穫は大きかった」

 最優秀選手賞の盾を手に、にっこりと微笑む守安の笑顔。なぜかほっと胸を撫で下ろしページを閉じた。

 あちこち雑談で賑わう部室に、上野が潔くカレンダーを破る音が響いた。

「さぁ、いよいよ都市対抗に向けて始動だでぇ。頑張んべぇな!」

 どこの片田舎か。かやぶき屋根の民家の横で五つの鯉のぼりが悠々と泳ぐ、のどかな風景の下半分。

 並ぶ日付の『6』に乱暴に書き記された赤丸。都市対抗一時予選(県大会)の決勝日だった。

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