第八章 ZEROになる勇気 一
昨年の都市対抗においても初戦の相手であったが、延長戦にもつれ込んだ試合で、四万が左中間本塁打で決勝打を決め、劇的勝利を飾った。
しかし、先月の関西遠征で対戦した際には、二度も同じ相手に負けられないと凄まじい気迫をもって富士重を捻じ伏せた。
俺たちだって同じこと。二度もやられてたまるかと意気込み挑んだ試合。
先発を言い渡されていた俺と磯部は、入念に過去一年間の三菱重工対戦データを分析していた。
今年のチームスローガンは『勝』の力強く大きな太文字の下に『連動・連携・連結』と、勝利を掴むための『連』の文字が重なる。
専攻は富士重。見慣れた白地に黒い縦縞のユニフォームが、グラウンドのダイヤモンドに散らばった。
黒の帽子には白い『M』の文字、左胸にはおなじみ、赤い三菱のロゴマーク。
三菱重工業が母体の野球部は五チームあり、一九一七年創部の長崎に次いで二番目に古いチームだった。
都市対抗では一九七〇年に決勝に進出し、大昭和製紙と延長十四回の死闘を繰り広げ、再試合で敗れている。
日本選手権においては、一九九七年に初優勝を果たしており、強豪ひしめく近畿圏内でNTT西日本、パナソニック、日本生命に追いつけ、追い越せと、上位レベルの戦力を誇るチームの一つだった。
いくらデータを分析してみたところで、やはり勝負とは始めてみるまでわからない。
始まってみれば、終わるまで何が起こるかわからない。
神のみぞ知る、ブラックホールが確かに存在している。
四日間に亘る大会を通して、まざまざと思い知らされる展開が待ち受けていた。
二
初戦の会場は日立市民球場。昭和四十七年九月完成の球場は、二年後開催の茨城国体の軟式野球競技会場となり、以降、高校、社会人等の公式大会にと利用頻度の高い地方球場だった。
ナイター設備がなく、スコアボードは電光掲示板ながら、現在の打順のみが表示される珍しいタイプだった。
抜けるような青空、風もほとんどなく、穏やかな春の午後だった。
三菱重工先発はエースの守安玲緒を送り込んできた。一八二センチ、八〇キロ。
四年目の春を迎えたエースの右腕は勢いに乗っていた。
長身から投げ下ろす角度のついた直球とスライダー、フォーク、カット、チェンジアップ、カーブと、多彩な変化球を緩急織り交ぜながらテンポよく投げ込む。
制球力もまずまずで、低めに集め、粘り強く打たせて取る投球が持ち味だった。
「なんやか、ぎこちなか。体の強張っちる」
投球練習をじっと見入っていた磯部が、いち早く守安の異変を読み取っていた。
十三時四十分の試合開始。意気込みが空回りしている感が漂うマウンド上のエースが、大きく一つ、肩で息をした。
初回に富士重四番、四万の二点本塁打で先制。磯部の言った通り、なかなか固さの取れぬ投球に苦戦している守安がいた。
嫌な雰囲気を払拭し、エースを盛り立てようと、守備陣から声の守りが投げかけられる。
小さく頷きながら、ひたすら投げ続ける守安だったが、焦る気持ちがさらに固さを招き寄せているようだった。
不調のエースを援護しようと、打線も踏ん張るが、逆に絶好調の俺の投球が進塁を悉く跳ね退けていった。
その後も守安は調子を取る取り戻せぬまま、富士重は三回に一点を追加した。
さらに七回、二アウト二塁から適時二塁打で一点を追加。
その後に満塁となり、三番の坂上が見事なスイングでホームランを浴びせ、ゲーム終了。
三菱打線は散発三安打と、これといった見せ場を作ることができず、無得点のまま八対0でコールドゲームが成立。
四年目の春を迎えたエースに託した予選リーグは、まさかの結果に終わった。
「出鼻をくじかれた」と、石井監督は落胆の色を隠せない様子だった。
「ショックだった」
意気込みが空回りした右腕の一言は、どんな投手も一度ならず経験している、辛く苦しい胸の内を素直に吐き出した言葉だった。
しかし、苦い痛みさえも明日の力に変えながら、俺たちピッチャーは、ただひたすらマウンドに立ち続けていく。
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