第八章 ZEROになる勇気 一

 四月の予定表は、日本選手権に向けての公式戦が目白押しだった。

 劇的勝利を飾ったJABA静岡大会から三日後には日立市長杯が始まり、二十七日からは京都大会と、武者修行の全国行脚が続く。

 富士重は日本選手権において、二〇〇四年、二〇〇六年と、二度にわたって優勝旗を手にしていた。

 日本選手権は、毎年十一月前半に行われる社会人野球のトーナメントであり、その名の通り、その年のナンバーワンを決める至高の大会である。

 しかし社会人野球界では、歴史と伝統のある都市対抗の人気が相対的に高く、日本選手権が軽んじられる風潮にあった。

 日本選手権があるにもかかわらず、他の大会の方が人気が高いスポーツジャンルは国内においても珍しい。

 出場資格を得られるのは、都市対抗優勝チーム、全日本クラブ大会優勝チーム、主要地区連盟主催大会優勝チーム(全十一チームで、静岡大会、日立市長杯もこれに含まれる)、最終予選勝ち上がりチーム(北海道から九州まで全十九チーム)である。

 優勝旗は巨大なダイヤモンドをモチーフとしたデザインが施され『ダイヤモンド旗』と呼ばれていた。

 優勝チームは翌シーズン一年間、ユニフォームの袖に優勝旗と同じ意匠のエンブレムをつけることが許された。

 日立市長杯は二〇一〇年から日本選手権対象大会となったが、二〇〇五年から五年間は、プロ野球のファームチームが参加していた大会としても知られていた。

 東日本大震災のあった二〇一一年は、他の大会との調整の結果、開催は見送られ空白の一年となっていた。

 茨城県日立市の日立市民球場と日立製作所会瀬球場の二球場で行われ、関東地区を中心に十二チームがしのぎを削り優勝を争う。息つく間もない。

 だが余計な考えを巡らす間もなく、かえって今は有難いくらいだった。

 戦闘モードはオンのまま、次なる舞台に向け気持ちが切り替わっていく。

 初戦の相手は、またもや三菱重工神戸だった。

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