第七章   登龍門   三

 ゲームも終盤を迎えた八回裏。相変わらず霧を吹いたような細かい雨が降り注いでいたが、はるか西の空には、くっきりとした青空が広がり始めていた。

 マウンドに向かって駆け出せば、ひんやりとした風がユニフォームの袖の中を泳いでいった。

 既に投球に差し障りのあるほどの風は吹かなくなっていた。

 スコアボードに並んだ二列の0。均衡を破った七回裏、二の数字が際立って見えた。

念願の初白星を飾るまであと少し。何が何でも捩じ伏せてみせる。

「バッターに当てる位の際どさで、内角を攻めていきましょう。クロスファイアで一気に畳み掛ける」の磯部のサインに大きく頷く。

 安打製造機の五番、高橋を内角高めで空振り三振に打ち取ると、続く長谷部を外角高めのボール玉で降らせて三振に。

 鋭く切り込んでいく直球が火炎放射のごとく十字を切るクロスファイア。

 燃え上がる炎の勢いは止まらない。

 七番の下館をフルカウントに追い込み、えぐるような内角高めの直球にバットは動かず、見逃し三振に切り捨てた。

 試合の運命を分ける一球は、常に存在する。磯部の勧めで習得したクロスファイアは、今後のシーズンを戦い抜くための重要な生命線になると確信した。

 ベンチに戻ると、沼田が「孝一、大和。お見事でした」と拍手を持って迎えた。

 ふと我に返ると、全身には鳥肌が立ち、軽い興奮状態に陥っている自分がいた。

 体の奥底から止めどなく溢れ出してくる不可解なエネルギーの正体。

 それは押し殺してきた諸々の感情が、解き放たれる瞬間を待っているのか。

 腹の底で次第に勢いを増しつつあるエネルギーの吹き溜まりは、地下深くで煮えたぎるマグマのようだった。

 強烈な放射熱が内側から俺の体を跡形もなく溶かすのではないかと、恐ろしくなる。

 言葉にできぬ感情は恐れとも、怒りとも違う。もっと純粋で、もっと心の奥深くを強く鼓舞させる何か。情熱?

 ふと浮かんだ「情」「熱」の二ピースが複雑な脳内パズルにしっくりおさまった気がした。

「りゅう兄ぃ、りゅう兄い! どうしたんすか、固まってますよ」

 磯部が不安げに顔を覗き込んできた。

「大和……いや、なんでもない」

 磯部が俺の背中に、そっと手を宛がった。

「大丈夫、大丈夫っすよ。俺がついてる」

 何を根拠に大丈夫と保障するのか。しかし、磯辺の言葉は俺の中に深く深く染み込んで、燃え盛る炎に恵みの雨となって降り注いでいった。

『胸の中がカッと燃え盛っていなけりゃ、投手なんかやっていられない。それを抑える術を知った者が本当のエースだ』

 阪急ブレーブス時代、史上最高のサブマリン投手と称された山田久志の言葉だった。

 かつて空前の灯だった情熱の炎は勢いを取り戻し、今や熱く激しく燃え盛っていた。

 これからは卓越した火の使い手になるべく、何度も火傷を負いながら術を学んでいくのだろう。

 たとえ険しい茨の道であろうとも、諦めずに突き進んでいった者にしか見えない世界を、どうしても見たかった。


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