第七章   登龍門   一

 一塁側ベンチ入り口から薄暗い通路を通り抜け、グラウンドに足を踏み入れる。

 ぽっかりと口を開けた、光さす場所に向かう短いトンネル。

 潜り抜ける瞬間が、孝一は好きだった。

 冷んやりとした僅か数歩の空間に、諸々の不安や迷いを、とりあえず脱ぎ捨てていく。

 一歩先に練習を終えたJR東北の選手たちがベンチ内で談笑する声が、微かに聞こえてきた。

 JR東日本東北は、震災の日は広島県呉市でキャンプの真っ最中だったという。

 一報を受けて地元に戻った際には、あまりの惨状に、誰もが言葉を失った。

「震災で苦労されている方がたくさんいる。野球はやれるときにやろう」と、部員たちは気持ちを一つにして復興に力を注いだ。

 全体練習は約二カ月間の中断を余儀なくされた。

 そんななか、夜勤や泊まり明けの午後にランニングを行うなど、わずかな時間を有効に使い、懸命に自主トレを続けていた。

 同年の都市対抗で、史上二人目となる完全試合を達成した森内寿春投手を讃える記事を、孝一はスポーツ新聞で目にした。

【仙台に届け! JR東日本東北 森内五十四年振り完全試合 被災した地元へ 東北地方へ希望の快投】

 苦難の先に待っていた奇跡の瞬間。両手を高々と突き上げる写真を、鮮明に記憶していた。

 森内はのちに日本ハムに五位指名を受け、プロ入りした。

 今もなお、復興へ向けて前進し続ける人たちへの熱い思いがこもった【みんなと共に頑張ろう! 東北】の文字が刻まれた、丸いワッペン。

 ユニフォームの右胸に縫い付けられた赤い刺繍は、数々の試練を乗り越えてきた誇りと自信に満ちていた。

「震災を経て、練習をやらされているという意識がなくなった。野球の面白さが分かり、一つ一つの試合を大事にやろうと思えるようになった」と語る彼らはピンチに強いだろう。

 相手に不足無し‼︎ 久々の先発マウンド。胸を借りるつもりで思い切り勝負するのみ。

 ベンチに腰掛け、孝一はスパイクの紐を強く固く結んだ。

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