第七章   登龍門   一

 登板前は、可能な限り頭の中を白紙の状態にしておけるよう心を砕いた。

 登板の日が近づくにつれ、緊張感も高まってくると、決まって悪しき思考が猛威をふるい始める。

 程良い緊張感は必要だが、度を超えれば心も体も凝り固まって呼吸は浅くなる。

 挙句、パフォーマンスにも重大な影響を及ぼしかねない。

 切羽詰まった状況に追い込まれた時ほど、深く息を吸い、呼吸を整えて余計な力を抜く。

 適切に対処することで十分な実力を発揮できると、経験から学んだ。

 心の際限ない雑音を押しやるには、イメージ・トレーニングも効果的だった。

 ただし実戦では何が起こるか予測がつかない。

 常に柔軟な対応が求められた。単なるプラス・イメージを描くだけでは、現実とのギャップに落胆する結果に終わる。

 だから練習やブルペンで投げるとき、自分が投げている軌道をイメージした。 

 一球一球、投げる前に、次はフォークだからこれくらいの角度で落ちるなとか、ストレートはこの辺りに決めてやる、とイメージしながら投げるように工夫していた。

 調子が良い時は、ほぼイメージ通りのボールを放れる。

 イメージと実際に投げたボールのズレが大きいほど、調子が悪いバロメーターとなった。

 イメージ通りに投げられるときは、何度も繰り返し思い描いて自信を深めた。

 だめなら、何度やってみても調子の悪さを再確認する作業になるので、早めに切り上げ白紙に戻す。

 ただ、自分が最後の打者を打ち取って「よしっ!」とガッツポーズする姿だけは、欠かさず強くイメージすることを忘れなかった。

 配球やゲーム展開は磯部に任せ、構えるミットめがけて確実に己の役割を果たすのみだ。

 また、食事の面もおろそかにせず、注意と関心を払ってきた。

 といっても、富士寮には専属の栄養士がいて、徹底した食事管理がなされていた。

 出されたメニューは嫌いなものであっても、全てが最高のパフォーマンスにつながるものと信じて、何でもよく咀嚼して食べた。

 補足的に気をつけているのは、遠征などで食事が儘ならない時、試合前日、当日ともに脂質を控えめにし、炭水化物を多く摂取するよう心がけた。

 試合開始時には胃は空っぽ、でもエネルギーは満タンの状態に持っていけるよう四時間前には食事を済ませる。

 試合直後にはシャワーや着替えを済ませる前に、なるべく速やかに炭水化物を補給した。

 この時、同時にタンパク質を摂取すると、よりグリコーゲンの回復が速まる。

 果汁百%のジュースとハム&チーズのサンドイッチなどが手軽につまめるので、好んで携帯していた。

 正しい栄養管理ができなくて怪我に泣いた選手を身近に見ていたので、手は抜けない。

 よく管理されたグラウンドは芝も青々と茂り、時折さーっと駿河湾から吹き上げてくる潮の香りを孕んだ風に、思わず深呼吸した。


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