第七章   登龍門   一

 関越道から圏央道を経由し、東名高速に入る。清水市まで約3時間半の道のり。

 遠征のバスの中では、なるべく無駄口を叩くことなく、イヤホンで好みの音楽を聴きながら1人で静かに過ごすのが孝一のお決まりのパターンだった。

 次々と浮かんでは消えていく泡粒のような思考に囚われぬようやり過ごしながら、息を整え、心を整えるための大切な時間でもあった。

 窓枠で肘をつき、高速道からのあまり見栄えのしない単調な景色を、ただぼんやりと見つめていた。

 耳に心地よい、ゆったりとしたイントロが流れ始める。

(この曲、武尊が大好きだったっけ)

 ミスチルの『Tomorrow never knows』

 明日の事はわからない。未来の見えない若者たちの孤独感や閉塞感を、甘く切ないメロディーに乗せて歌いあげたバラード。

『勝利も敗北もないまま 孤独なレースは続いていく』

 白黒はっきりさせなければ気がすまなかった高校生の頃。

 このワンフレーズが胸に突き刺さり、深い余韻の残る曲だった。

(今、白と黒が混在する曖昧なグレーの境界線に立たされている俺)

 思えば1年前の今頃は、遠征に出かけていく先輩たちを横目に、黙々とホームグラウンドでトレーニングに汗を流していた。

 アンダースロー転向を言い渡され、先駆者でもあった沼田が、付きっ切りで手取り足取り熱心に指導してくれた。

 オーバースローとは正反対の投球スタイルに抵抗感は多少なりともあった。

 しかし心配していた肘や肩への負担も少なく、投球のバリエーションも豊富で、新しい投法を習得したときの喜びは何物にも変え難かった。

 緩やかなサビのメロディーに身を委ねながら、実戦でのあらゆるシーンを想定し、投げ込んでいく姿をシミュレーションしていた。

 ストレートを主軸とし、スクリュー、スライダー、チェンジアップを加えた変化球を使い分けていく。

 その隣で前の席、後ろの席と愛想振りまき談笑する磯部の姿を横目に見ながら、孝一はイヤホンを外した。

(どうやら俺には、馬鹿を演じられる利口者の素質は無いようだな)

 清水庵原インターチェンジを降りてしばらく行くと、周辺一帯はさすがに静岡らしく茶畑やみかん畑が広がっていた。

 青々と重る緑の合間を進んでいくと、のどかな山あいには不釣り合いなほど立派な外観の球場が姿を現してきた。

 二〇〇五年にオープンしたばかりの庵原球場は、一万人を収容できる。

 内野はクレーン舗装がなされ外野は天然芝。さらに見やすく改良された磁気反転式の電光掲示板。ネット裏には広範囲に幕屋根が架けられた本格的な設備の整った球場だった。

 



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