第七章   登龍門   一

 乾いたグラウンドに砂煙が上がり、緊迫の紅白戦は最終回を迎えていた。

 どこからともなく響き渡る轟音。抜けるような青空に幾重にも描かれた、細く長い飛行機雲の航跡をたどれば、隊列を成して飛ぶ戦闘機。

 マウンドに立つ俺は、守備陣より少し高い位置から、青のカンバスに描かれた幾重もの白いラインを見上げ、敬礼をした。

『待っていて下さい、俺たちもすぐに行きます』

 機体はやがて小さな点となり、哀しいほどに青い空へと吸い込まれていった。

 気を取り直し、再び試合再開。大きく振り被る。ミットを構えているのは……

 大和、お前だったのか。この一球で勝負が決まる。

 サインは得意のストレート。よし、ど真ん中に決めてやる。

「ストライク! バッター、アウト‼︎」

 主審の右手が高らかと挙がった。最後の試合が終わった。

 白熱した攻防戦の末、三対二で俺たち白組は勝利を手にした。俺は駆け寄る。一目散に大和のもとへ。

「やったな!タケル‼︎ これで俺は、思い残すことは何もない」タケル? 

「シラネ、よくやった!」シラネ?

 健康的な浅黒い肌に、がっちりとした体型の確氷が、仁王立ちしながら俺の肩を力強く叩き激励した。

 監督! 元気になられたんですね。よかった。本当によかった‼︎

 ところで、シラネ・タケルとは誰だ。ベンチに戻ろうとする大和を呼び止め、訊ねた。

「大和、俺の名前は桐生孝一だぞ。間違えるなよ」俺は少々むっとしながら問い質した。

 いぶかしそうに顔をしかめながら俺を見つめ返す眼は、確かに大和に違いなかった。

「タケル、お前、大丈夫か? 特攻に恐れをなして、気でも触れたか? お前の名前はシラネ・タケルだろうが。ふざけんのも、たいがいにしろや」

 軽く一笑に付されたものの、どうにも合点がいかない。

 ふと、ベンチに目を移せば、見覚えのある横顔が確氷に向かって頭を下げている。

「爺ちゃんだ!」俺は夢中で走り寄る。

「爺ちゃん、俺だよ! 孝一だよ‼︎」

 呼びかける声に反応は無い。

 奇妙に感じながらも、懐かしい姿に触れようと手を伸ばした瞬間、霧の如く消えた。

 いったいどうなっているんだ? これを夢と呼べるのか。

 なぜなら、俺の意識は眠りこけてなどいなかった。

 まるで自作自演の映画だ。シナリオの展開は把握していた。

 異次元の世界にいきなり放り込まれ、居心地の悪さに戸惑いを隠せないまま。

 見覚えのある映画のフィルムは回り続ける。

 国防色の軍服に身を包んだ俺は、数人の親しい男たちの激励を受けながら、1個の真新しい硬球を手渡された。

 随所に寄せ書きされた言葉にこみ上げる万感の想い。

 必ずや大命を果たさんと、決意を新たに書き込んだ文字。


『只 一筋に往く 雄飛の同志よ、桜咲く九段で会う日を待つ』 第72振武隊 白根尊


 三畳ほどの狭い自室で静かにペンを置いた。

『白根尊』紛れもなく、俺自身の手で書き記した名前だった。


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