第六章   龍神   五

「いいえ、考えてみたこともありませんでした」

『咲かせてみよう、もうひと花』

 一つ一つは小さな花でもいい。もう一花、もう一花と咲かせながら人生の終わりには見事に潔く散っていきたい、と言ったのは梅吉だった。

 不慮の事故により突然に人生の幕引きを余儀なくされた梅吉も、遥か彼方よりこの桜を眺めているのだろうか。姿は見えずとも、思いを馳せればふと、傍に故人の存在を感じるときがあるものだ。

 今、梅吉の存在をとても近くに感じていた。手を伸ばせば触れられるのではないか、と思うほどに。

「桜の木の下には屍体が埋まっている、という詩を知っているか?」

 いきなり仰々しい話から始まった。

「高校生のとき、現代文の先生が話してくれたのを覚えています。梶井基次郎の散文詩ですよね。始めて聞いたときは衝撃的でした」

 一本一本の桜の木の下に埋められている朽ち果てた屍から湧き出る生の名残を吸い上げるからこそ、満開に咲き誇る姿は美しいのだという。生と死の対比を薄ら恐ろしい表現を用いながら綴られた詩は、まだ若く青臭い脳みそに強烈インパクトを残していった。

「あながち嘘の話でもない。此処に植えられた十五本の桜は富士重の前身、中島飛行機で働いていた十五人の青年の魂が宿っている。いよいよ戦局が厳しくなると、彼らの中には『お国のため』という大義名分を背負い、特攻隊員として若き命を散らして逝った者もいた」

 特攻隊とは昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃で編成された。雷爆撃を目標として出撃し、それが成功しなかった場合にのみ機体ごと体当たりする。決死の覚悟で極めて困難な任務を果たす、特別攻撃隊であった。

 中島飛行機のベテラン工員たちも次々と招集された。この頃は勤労動員された、まだ技術も未熟な学生たちが働き手の中心であった。その中には、当時の学習院大学生で兵士不合格となった作家の故三島由紀夫もいた。

 小学生だった頃に祖父の敬三から幾度となく聞かされた、うろ覚えのエピソードだ。

 第二次世界大戦までは東洋一の航空機メーカーだった中島飛行機は、群馬県民の誇りだった。

 敬三も太田製作所に勤労動員され、機体部品の一部の組み立て作業に携わっていた。

 ゆくゆくは生還手段を取らない神風特攻隊に志願するつもりでいたが、年端のいかないうちに終戦を迎えて、それが唯一の心残りだと語った。

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