第三章   龍神   四

 桜前線が北上してくると、富士重のホームグラウンドを取り囲むように植えられた十五本の桜たちも一斉に花開き、春のそよぎに甘い香りが漂う。

 四月一日は入社式。孝一のルーキー・イヤーは終わり、周囲の目も即戦力としての期待に変わっていった。

 投手二名、内野手二名、外野手一名の計五名が加わり、チーム内にも新たな風が吹き込んできた。

 全ての新人が一度はドラフトで名前が挙がった粒揃いばかり。うかうかしてはいられない。

 三日から始まる『JABA 静岡大会』

 シーズン序盤に全国各地で行われる地区連盟主催大会の一つで、今年は東海地区を中心に十六チームの出場が予定されていた。

 リーグ・トーナメント併用方式で行われ、四チームずつに分かれて優勝旗を争う。

 優勝チームは十月末の日本選手権大会への出場切符を手にできる重要な大会でもあった。次いで日立市長杯、京都大会と息つく間もない。

 孝一にとっても初の公式戦となる。先発デビューを目前に控えて、張り詰めた弓が解き放たれる瞬間を待つ心境であった。

 大会初日は浜松球場にて、十一時半に試合開始。相手はJR東日本東北。

 2011年3月11日。東日本大震災を受け、一時的に活動休止を余儀なくされた。しかし本業に専念しながら挑んだ都市対抗では、チーム史上初のベスト四進出を果たしている。

これに敬意を表した大会本部より『頑張ろう‼︎

日本・特別賞』が授与された。

 JABAの大会でも三度の優勝旗を手にしており、勢いに乗っているチームだった。

「内山投手は気をつけないといけませんね。東都リーグ新人三人組の一人で、東洋大時代は『かまいたちの内山』と呼ばれていました。鋭い球のキレが売りの男です」

 穏やかな午後の日差しが差し込む閑散とした部室。スコアブックを覗き込む孝一と磯部の背後から、内山と同期にあたる駒沢大学出身の水上が割って入った。

 磯部がパラパラとスコアブックを捲る。

「三月末の日大とのオープン戦では、四対〇で一人のランナーも出さずに完全試合を達成してる。MAX百五十一キロのキレの良い直球を武器とする速球派のサイドハンド。直球主体の投球はシュート回転気味で、コントロールには、ややバラつきがありますね」

「打線はどうなんだ?」磯部の手元を目で追いながら孝一が訊ねる。

「この一番打者は俊足で、どんな球も確実にミートするし、落ちる系のボールにも対処できますね。走塁も上手い。それから四番ねぇ、打席を重ねるごとの適応能力は見事。あとは、その日の調子とか、整合性を確かめながら、徹底的に弱点を突いていきましょう」

 磯部がスコアブックを閉じようとしたとき、主将の上野が慌てた様子で駆け込んできた。

「碓氷監督が来たぞ! お前ら、早く来い‼︎」

 突然やって来た春の嵐みたく、なんの前触れもなく姿を現した風神。

 慌てて部室を飛び出した三人衆を、気まぐれな春の嵐がさらっていった。風の神の下へ、ぐいぐいと引き寄せられいく。

 しかし、そこにいたのは。いつかの渡良世橋で見た、あの大きな背中ではなかった。

 車椅子に乗せられ、すっかり痩せ細った見るも寂しい背中だった。

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