第四章   風神   二

 そういえば、墓前にひっそりと置かれていた木彫りの観音像は、武尊が彫ったのだろうか。

 そんな趣味は持っていなかったと思うが、思い当たる節もあった。

 鉛筆削りを持っていなかった武尊は、小学生の頃からカッターで削った鉛筆をもってきていた。

 毎度、あまりに綺麗に削られていたので、目の前で削るところを見せてもらったことがある。

 角度を変えながら器用にカッターを使いこなす姿が堪らなくカッコよく、真似して何度か挑戦してみた。

 しかし、どうやっても武尊には敵わなかった。

 きっと武尊が彫ったものに違いないと勝手に決め込んで、もっとしっかり見ておけば良かったと後悔した。

 しばらく進むと、左手に城南球場が見えてきた。

 春、夏の公式戦、秋の新人戦と、群馬県下の高校球児たちがしのぎを削り、トップの座を懸けて熱い戦いを繰り広げる。

 国道から分岐した細い脇道を降り、球場を通り越してすぐの住宅密集地の一角に、武尊のアパートがあった。

 新興住宅地のなかに、ぽつんと時代に取り残されたような木造二階建ての古びたアパートだった。

 駐車場に車を止め、錆びた鉄筋の階段を上がると、一番奥の突き当たりが武尊の借りている部屋だった。

 ドアノブに鍵を差し込むときは、いつも心臓の鼓動が高鳴った。

 大袈裟な音を立て軋むドアを開けると、愕然とした。

 玄関に入り、真正面に見える居間の炬燵の上にあるはずのものがなかった。

 真琴の織った巻物が消えていた。

 靴を脱ぎ捨て、上がり框につまずきながら、薄暗く狭い台所を通り過ぎて部屋中を見回した。

 やはり巻き物は見当たらない。武尊が訪れたことは確かだった。

 どんな些細なものでも良かった。何か残していったものはないのか。

 逸る心をおさえながら、あちこちくまなく見回す。

 テレビの横に置いてある蓋のないゴミ箱に、クシャクシャと丸めて捨てられていたコンビニの袋に目が止まった。咄嗟に手を伸ばし、中身をまさぐった。

 パンくずが残る空っぽのメロンパンの袋に、缶コーヒーとレシート。

 薄茶色の染みが滲んだレシートの日付けを、よくよく目を凝らして見た。

 2010年12月10日(金) 14:20

なんとか判別できた日付けは、真琴の祥月命日から二日が経っていた。

 遺族の感情を考慮して、敢えて祥月命日を避け、鉢合わせにならないようにしたのか。

 それとも、あまり深い意味はなかったのかもしれない。

 それにしても、あいつ。昔からメロンパンが大好物だったよな。思わず苦笑いした。

 部活帰り、梅ちゃんの店が定休日の日は、決まって学校そばの駄菓子屋でメロンパンを買って食べていた。

 久しぶりに訪れたこの部屋で、なにを思いながら頬張っていたのだろうか。

 武尊の残していった痕跡に、またしても行き違いになった悔しさと、どうにか無事でいてくれた安堵感とが入り混じり、胸が切なくなった。

 真琴が渾身の思いで紡いだ形見の巻物も、きちんと主の手に渡った。今はそれで由としよう。

 だいぶ色褪せてきたカーテンを開けた。

 激しく吹きつけてくる雪が、窓枠にうっすらと張り付いていた。

 まだ当分は止む気配はなさそうだった。

 とても空気の入れ替えをするどころではなく、炬燵のスイッチを入れ、ゴロリとだらしなく潜り込む。

 壁に掛けられた大学野球時代の一枚の写真。ユニフォームは違ったが、ガッチリと肩を組んだ武尊と俺の、我武者羅に駆け抜けていった青き春の記憶。

 ぼんやりと眺めていると、冷えた体が心地よい暖かさに包まれ、次第に浅い眠りへと誘われていった。

 目覚めたときには、辺りはすっかり夕闇に包まれ、底冷えのする部屋から窓の外を眺めた。

 いつのまにか雪は止み、ライトアップされた白衣観音がオレンジ色に浮かび上がっている。急に得も言われぬ寂しさが込み上げてきて、無性に人恋しくなった。

 さぁ、家に帰ろう。

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