第一章   なごり雪   八

 オレンジ色のカーテンが曳かれたままの部屋は、何もかもが精彩を欠いていた。

 空気の入れ替えをしようとカーテンを開け、木枠のガラス窓を思い切り全開にする。

 四月に入ったのに、外の空気はまだ、尖った冷たさを残していた。

 そよそよと流れ込んでくる風に、淀んでいた時間までもが、ゆっくりと動き始める。

 木造アパートの二階から住宅密集地を臨み、関東と信越を繋ぐ国道十七号線を挟んで、遥か遠くの小高い丘に視線を移した。

 高さ四十一・八メートルに達する、巨大な

白衣観音がそびえ立っている風景が見える。

「白衣観音慈悲の御手」と謳われる観音様は、昭和十一年に高崎市内の実業家によって建立されたもので、名実ともに日本一である。建立に際しての逸話も幾つか残されていた。

 伊勢崎市出身の鋳金工芸家である森村酉三氏が製作した原型を池袋のアトリエから日本橋の井上工業東京支店まで自転車で運んだのが、入社直後の故・田中角栄元首相であった。

 また、映画『キングコング対ゴジラ』では、ゴジラが高崎観音と対峙するシーンが撮影されたが、本編ではカットされ、幻のワンシーンとなった。

 昨夜は白衣観音を遠巻きに臨む高崎市内のホテルで、久し振りに美里小学校の同窓会が開かれた。

 話題の尽きた頃、幼少期の思い出話を酒のつまみにされ、散々な目に遭った。

 幼稚園の遠足で高崎観音を訪れたときだった。

 映画『大魔神』の強烈な恐怖のイメージが頭にこびり付いていた孝一は、今にも観音様が動き出すのではないかと怖く、なかなかバスから降りられずにいた。

 半ば強引に引き摺り下ろそうとする先生たちを相手に大暴れし、挙げ句の果てには粗相までやらかす始末。

 見兼ねた園長先生が母親に連絡を取り、迎えに来させる事態となった。

 素面では太刀打ちできそうになかったので、ついつい、飲み過ぎた。

 一番に逢いたかった武尊と真琴の姿は、なかった。

 ある出来事をきっかけに、武尊は忽然と姿を消し、行方知れずのまま。

 真琴は……もう、この世にはいない。

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