第1話/蹴りから始まるヒロイズム

 朝早く出かけると、街の空気はいつもとちがった匂いがする。なんとなく澄んでいるっていうか、吸い込むとスッとして気持ちいい。春の今は特に。

 学生鞄をかけた肩を軽く回しながら、わたしは通学路を歩いていた。

 まだ人通りが少ないのをいいことに、ふわぁ、とあくびを漏らす。

 ――やっぱり、運動したあとは眠いなぁ。でも、今日の撮影もうまくいってよかった。学校の勉強もがんばらないと。

 ホームルーム前の自習時間になにをしようか考えていると、後ろから足音が近づいてきた。

 ――ヤバい……!

 ギクッと立ち止まる。


 止めようとしても、止められない。

 わたしの背後に近づく人に、つい回し蹴りをしてしまう悪い癖――!


 左足を軸にして、右足を勢いよく振り上げる。

 だけど。


「――おっと」

「えっ!?」


 ――うそ、避けた!?

 なんでか、ひょいっとあっさりかわされた。いつもみたいに直撃しちゃうかと思ったのに。

 しかも、相手は同じ高校の制服を着た男子だ。黒いブレザーに赤いネクタイってことは、同じ学年。

 黒い前髪をかき上げて、男子は低い声で文句を言った。

「チッ……危ねえな。当たったらどうすんだよ」

 ――舌打ちされたー!?

 風邪なのか花粉症なのか、マスク越しの相手の声はこもっているけど、小さい音でもバッチリ聞こえちゃった。

 身長一七一センチのわたしより背が高いし、目元はさわやかイケメンっぽい雰囲気なのに、ちょっと印象が悪い。

 ショックだけど、原因はわたしにあるから、素直に謝った。

「ご、ごめんなさい! わたしの悪い癖で……!」

「次から気を付けろよ」

 ジト目で答えた相手は、なにか思い出したのか、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「――あぁ、もしかしてあんたか? 『私立永星エイセイ学園高校タレントコース名物・回し蹴り女』って。

「わたし、そんなふうに呼ばれてるの!?」

 でも、間違っていないのがまた悲しい。

 男子の両目から、挑発的な雰囲気が消えた。嫌いなものでも見るみたいな、鋭い視線。

「特撮に出てるスーツアクターなんだってな。……気持ち悪ぃ」

「なっ!?」

 ムカッとした。わたしの仕事をバカにしてくるなんて。

 ――いきなりなんなの、この人!? わたしも悪いけど、初対面で失礼すぎない!?

 あきれたみたいに目を逸らして、相手は投げやりにつぶやく。


「明日、巨大隕石でも降ってきて地球滅べばいいのに」

「は、はぁ!?」


 とんでもないセリフをさらっと言った。それこそ、特撮に出てくる悪役みたいな。

「あと、そのポニーテールも邪魔だ。蹴りより先に、そっちが当たるとこだったぞ」

「髪は関係ないでしょ!」

「ま、そのうち警察の世話にならねえようにせいぜい頑張れよ、回し蹴り女」

 嫌味を言い残して、毒舌男子はスタスタ歩いていった。

 うちの高校にあんな人がいるなんて、知らなかった。わたしは仕事の撮影時間の都合で、ほとんどの生徒よりはかなり早く登校しているせいもあるだろうけど。

 わたしだって、警察に補導されちゃうようなことは、さすがにしたくない。家族や事務所にも迷惑がかかるし。これからも、ほんと気をつけないと。

 ――早く教室に行こうっと。

 回し蹴りをしたつま先で、地面をとんとんと叩いてから歩き出した。

 嫌な気分を切り替えて、学校生活を楽しむために。


  ▼


 昼休みが来て、永星エイセイ学園タレントコース二年A組の教室の空気も、ふわっと軽くなる。

 もともとクラス全体の人数が少ないし、出席者も日によってバラバラだから、今日も三、四人くらいでのんびり授業を受けているけど。

 午前中の授業は、奇跡的に一回も寝オチしなかった。わたしにしては、よくやったほうだと思う。

 まあ、朝のアレでまだムカムカしてるせいもあるけど。

 教科書やノートを机にしまっていると、友達が声をかけてきた。

真広マヒロ、お昼食べよっ」

「うん」

「学食と購買、どっち行く?」

「今日は購買の気分かなー。イチゴサンドかイチゴドーナツも食べたいし」

「あはは、ほんと好きだねぇ。じゃあ、行こっか」

「うんっ」

 ふたりで廊下に出ると、階段のそばに人だかりができていた。

 ――なんかあったのかな。

 ふしぎに思ったわたしの耳に、いきなり黄色い悲鳴が響いてきた。

「きゃー! 優音ユウトくーん!」

黒杉クロスギさまー! あたしと握手してくださーい!」

 だれかが女子に囲まれている。


 ――って、朝のあの人じゃん!


 げっ、とわたしは思わず顔を引きつらせる。

 輪の真ん中にいたのは、第一印象最悪の男子だった。

 今はマスクをつけていない。無愛想な感じもしない。それどころか、憎らしいくらいにさわやかな笑顔を、女子たちに向けている。

 ――ていうか、なに、あの態度。わたしとしゃべったときとは、別人レベルなんだけど!

「みんな、ありがとう。ここにいると通る人の邪魔になるから、ちょっと向こうに移動しようか」

『はーい!』

 男子の言葉で、女子がぞろぞろついていく。大名行列か参勤交代みたい。

 ぽかんとするわたしの隣で、友達が感心する。

「今日もモテモテだねぇ、黒杉くん」

「知ってるの?」

「むしろ、真広が知らないってことにびっくりなんだけど。タレントコース二年B組の、黒杉優音くんだよ。今、人気急上昇中の新人声優さん」

「えっ」

「進学コースとかスポーツコースとかにもファンが多いみたいで、休み時間は大体ああなってる」

「そうなんだ……」

 ほんと、なんで今まで知らなかったんだろう。お互いの仕事の時間がかぶってないせいかな。タレントコースには、仕事の都合で早退する生徒も多いし。

「あたしのモデル仲間にも、黒杉くんファンの子いるんだよね」

「へぇー」

「まあ、地声も甘い感じの低音で、身長一八〇超えのあのルックスだし。アニメとかのイベントでも、黄色い声援が飛びまくりなんじゃない?」

「確かに……。今もちょっと離れてても、よく通る声だったもんね」

「ま、身長とスタイルは、真広も負けてないけどね。声も結構かわいいしさ」

「そ、そうかな」

「あんた、うちのモデル事務所にも入ってくれればいいのにー」

「ないない。スーツアクターの仕事だけで精一杯だよ、わたしは」

 苦笑いで断る。

 街を歩くと、そういうスカウトの人から声をかけられたことも、何回かあるけど。わたしがやりたい仕事は、たったひとつだから。

 クロスギユウト――嫌味なあいつの名前を頭の隅っこに置いて、購買部へ急いだ。


  ▼


 購買部は、今日もたくさんの生徒が集まって混んでいた。満員電車よりマシなのは、どうにか通り抜けられるくらいの隙間があること。

 ――イチゴサンドかイチゴドーナツ、片方だけでも残ってますように!

 両方、女子には人気のメニューだから、スタートダッシュに間に合わないと売り切れちゃう。

「とりあえず、並ぼっか。あたし、こっちの列にするから。買ったら窓際のテーブル行ってて」

「わかった。またあとでねー」

 友達とはべつの列に並んで、わたしは順番を待つ。

 その時、後ろのほうから男子たちの声がした。

「うおっ、赤川アカガワじゃん」

「真後ろに立つと、回し蹴りくらうぞ。あっち並ぼうぜ」

「あ、ああ。しっかし、赤川って顔も声もかわいいのに、なんかもったいねえよな」

「だなー」

 ――全部聞こえてるんですけど……でも蹴りは事実だし、ごめんなさい……っ!

 悲しくなりながらも、心の中でこっそり謝る。


「もしかして、あんたか? 私立永星エイセイ学園タレントコース名物・回し蹴り女って」


 あいつ――黒杉クロスギくんの嫌味を思い出しちゃった。

 だれが変なあだ名を付けたのかは知らないけど。あいつにだけは、これからなにを言われても絶対負けない。

 闘志を燃やしていると、入口からきゃーきゃーと高い声が響いてきた。

優音ユウトくん、なんか食べたいものある?」

「あたしたち、黒杉さまのために買ってきます!」

 さっきの人たちだ。

 黒杉くんは、優しい言葉をかけて女子たちを喜ばせる。

「この混雑だし、君たちにそんなことはさせられないよ。でも、気持ちはほんとにうれしい。ありがとう」

『きゃー! ステキー!』

 ――うわぁ……。

 本人も、ああいうノリには慣れっこなのかな。人気声優さんなら、愛想笑いとかファンサービスとかも大事なんだろうけど。

 遠目に見てちょっと引いているうちに、レジの順番が近づいてきた。

 三角巾をかぶったおばちゃんが、明るく声をかけてくれる。

「あんたたち、元気なのはいいけど、押さない押さない。――はいよ、コロッケパンとカツサンドね!」

 前に並んでいる人たちの隙間から、ショーケースの中身がちらっと見えた。

 ――やった! イチゴサンドが残ってる!

 心の中でガッツポーズして、わたしはおばちゃんを呼んだ。

「すみませーん」

「はいはーい、お待ちどおさん」

「焼きそばパンとツナマヨデニッシュと、揚げカレーパンとウィンナーロールと、コッペパンとチョコクロワッサンと、あとイチゴサンドください!」

「はいよっ。真広マヒロちゃん、今日もたくさん食べるねぇ」

「えへへ……」

 おばちゃんのほめ言葉に、照れ笑いする。

 毎日の食事も好きすぎて、お昼ごはんもついついたくさん買っちゃう。一日三食どころか、六食分くらいは食べているかもしれない。

「今日も撮影が明け方までだったので、動き回ったあとだとお腹空いちゃって。ロケ弁も完食したんですけどねー」

「大変だねぇ、ご苦労様。うちの末っ子も毎週楽しく観てるよ、〈想造戦隊オリジンジャー〉」

「ありがとうございますー!」

「こないだの話も、真広ちゃんのアクションすごかったね!」

「ゲスト怪人役ですけど、精一杯がんばりましたっ」

 スーツアクターは、番組のオープニングやエンディングで名前をクレジットされるけど、役名はさすがに書かれないし、一般の人にはまだ広くは知られていない職業だ。こうやって役者に感想を直接くれる視聴者さんは、ほんとにありがたい。

 楽しくおしゃべりしながら会計していた時。


「きゃー!」

「ん!?」


 わたしの耳は、ぴくっと動いた。

 いきなりその場に反響したのは、黒杉くんへの黄色い声援じゃない。間違いなく、恐怖の悲鳴だった。

 テーブル席の一角で、ひとりの女子がうずくまっている。

「あたしのお昼のパンが、ぐちゃぐちゃに……!」

 その人の前には、ガラの悪そうな男子が立っていて。不機嫌そうに、女子を見下ろしていた。青いネクタイをしているから、三年生だろう。

「んだよ、ボケッと突っ立ってるのが悪ぃんだろうが。あーあ、うっかり踏んじまって靴が汚れたなぁ。オラ、早く拭けよ」

「ひっ……そ、そんな……っ!」

 女子の顔に、男子がスニーカーのつま先を突き付ける。

「ひっど……」

 わたしは、眉をひそめてつぶやいた。

 しかもあの子は、確かさっき黒杉くんに話しかけていたファンの子だ。

 ――黒杉くん、近くにいて聞こえてるはずなのに、どうして助けないの? あーもう、見てらんないっ!

 大きい袋たっぷりのパンを受け取って、わたしは千円札を二枚、レジカウンターに置いた。

「おばちゃん、パンありがとうございます! お釣りはいりません!」

「あ、真広ちゃん!」

 レジから離れて、人混みをくぐり抜けながら、問題の場所へ行ってみる。

 ――深呼吸、深呼吸……落ち着け、真広。

 ヒーローは、敵と戦うときには冷静な判断をすること。

 広翔ヒロトおじちゃんからも、事務所の先輩たちからも教わった言葉を、頭に思い浮かべた。

 女子を庇うようにして、さっと前に立つ。

 三年男子が、めんどくさそうにわたしに文句を言った。

「あ? んだよ、てめえ。割り込んできやがって」

 それには答えないで、わたしはパンの袋をがさごそと手探りして、女子に笑いかけた。

 自分と同じ赤いネクタイが、この子の襟にも結ばれている。

「あの、これ。わたしがいま買った、ツナマヨデニッシュなんだけど。よかったら、どうぞ」

「え……あたしに?」

「うん」

 目をまるくする彼女の手を取って、ツナマヨデニッシュをそっと握らせた。

「わたしはいつもたくさん買ってるし、おすそ分けってことで。潰れちゃったパンは、もう食べられないもんね」

「あ、ありがとう……!」

 泣き笑いみたいにくしゃっと顔を崩す女子に、わたしもにっこりうなずく。

 すると、また男子の声が背中にかかった。

「おい、シカトしてんじゃ――」

 まだ近づかないでほしかったのに。

 わたしのが、発動する。


「わたしの後ろに立たないで!」

「ぐおあああああッ!?」


 鋭く繰り出した右脚が、相手を思いきり吹っ飛ばした。

 周りの人たちが、ざわっとする。

「で、出たー! 赤川の回し蹴り!」

「速すぎて脚が見えねえ!」

「いつ見ても鋭すぎるし、すげー痛そうだな」

「どんだけ吹っ飛んだんだよ、あの三年……」

 仰向けに倒れた男子に近寄って、わたしはがばっと深く上半身を折り曲げた。

「先輩、ごめんなさい! でも、ハッキリ言わせてもらいます」

 すぅ、と息を吸って、真剣にお願いする。

「――食べ物を粗末にした上に、女の子を泣かせるのは最低です。この子に謝ってください!」

「……ッ、ざけんなよ。このままタダで済むと――」

「わたしはちゃんと見てたわけじゃないので、先にこの子がぶつかって転んじゃったのか、先輩のほうからだったのかはわかりません。でも、なにもここまでしなくたっていいでしょ」

 どう見たって、やりすぎだ。

 たまたま他人とトラブルになったら、その場で謝る。次からは同じことを繰り返さないように、お互い気をつける。それだけでいい話なのに。

「たとえば、混んでる駅のホームでも、自分がだれかとちょっとぶつかっちゃったら謝りますよね。小さい子どもたちでもわかってることです。高校生のわたしたちができないなんて、おかしくないですか?」

 お説教みたいな言い方になっちゃったけど、後悔なんてしない。わたしは、当たり前のことを言っているだけ。

「あ、あのっ!」

 女子もわたしの隣に来て、ぺこりと先輩に頭を下げた。

「あたしも、さっきは周りがよく見えてなかったかもしれなくて……。先輩とぶつかっちゃったのも、あたしの不注意だと思います。だから……すみませんでした。これからは気を付けます」

 真面目な謝罪を受けて、先輩もばつが悪くなったのかもしれない。舌打ちして立ち上がった。

「次はねえからな」

 購買部を出ていく後ろ姿を、わたしは見送る。

 ほんとに、あの人が次も同じことをやらかしませんように。


「危ないとこだったね。だいじょうぶ?」


 ほっとするわたしたちのところに、黒杉くんがやってきた。

 ――遅っ! いいとこ取り!?

 登場のタイミングを狙っていたとしか思えない。

 ついあきれた視線を投げるわたしを、本人は見向きもしないで、女子を心配する。

「黒杉さま……! は、はい、だいじょうぶですっ。ありがとうございます!」

 ぱっと明るく笑った女子は、わたしのほうを向いた。

「それから、あなたも」

「え?」

「パン、ほんとにありがとう。今度、お礼させてね」

「ううん、気にしなくていいよ。ケガがなくてよかった」

 さっき、おばちゃんに仕事をほめられた時と同じくらい照れるけど。助けた人が無事なのがなにより。

 黒杉くんも、ついでみたいにわたしに声をかける。

「素晴らしい蹴りだったよ。アクション女優さんかな。僕のファンを守ってくれて、ありがとう」

 朝のことはノーカウント扱いで、初対面のふりをするつもりみたいだ。

 ――やっぱりムカつく……!

 よくも悪くも、演技力の高さはすごい。朝とは一人称やしゃべり方まで変えている。

 つい怒りを顔に出しそうになるけど、わたしだってプロの役者だ。一応笑っておく。

「どういたしましてー」

 それじゃ、とパンの袋を持ち直して、わたしは友達と合流しに行った。

 ――なーにが『僕のファンを守ってくれて、ありがとう』だよ! 見てないであの子を助けろっての!

 プンスカしながら窓際のテーブル席へ歩くと、友達は焦ったみたいに呼んできた。

「ちょっと、真広。だいじょうぶだった?」

「うん。一件落着、かな。ごめんね、うるさくしちゃって」

「それはいいけど」

 テーブルに置いた袋から、早速パンをいくつか取り出す。

 友達も、ペットボトルのカフェオレを一口飲んでから、説明してくれた。

「さっきの三年生、確かスポーツコースでバスケ部の副キャプテンだった人だよ」

「そうなんだ……」

「もともと荒っぽくて、後輩たちはビビってたみたい」

「確かに目つきは悪かったけど、嶽内タケウチアクション監督のお怒りモードに比べたら、全然怖くないよ」

「あんた、デビューの頃から叱られっぱなしなんだっけ?」

「うん……。ちゃんと愛のあるお叱りだから、いいんだけどね」

 小学生のころから、事務所の養成所と器械体操教室に通って、所属もデビューもできたのは運がよかったんだと思う。

 新米未熟者は、失敗して怒られまくるのも当たり前だろうけど。一回でもミスをなくしたいって、撮影のたびに反省しまくっている。

「やっぱり、お芝居もアクションも、もっとうまくなりたーい!」

「うん、その意気やよし。さっきの真広も、ヒーローしててかっこよかったよ」

「ありがと。――女の子は、レッドにはなれないけど。心はいつもレッドでいたいんだ」

 だからわたしは、赤いものも大好き。

 いいことをしたあとに食べるイチゴも、きっといつもよりおいしいはず。

 イチゴサンドを見つめて、にんまりした。今日も、最後のお楽しみに取っておこう。



 ねぇ、広翔ヒロトおじちゃん。

 わたし、これからもがんばるから。

 おじちゃんみたいな、わたしだけのかっこいいヒーローになれるように。


 未熟で下手くそで空回りも多いけど、あたたかく見守っててね。


  ▼


 放課後、高校の最寄り駅のひとつで、わたしは帰りの電車を待っていた。夕方の黄色い空の端っこに、オレンジ色がまざり始めている。

 今日も、昼休み以外は平和だった。お昼ごはんもおいしかったし、イチゴサンド最高。

 次の撮影もがんばれそう。帰ったら、台本も読み直さないと。

 いろいろ考えていると、急に横から聞き覚えのある声がした。


「何ニヤけてんだ、回し蹴り女。不審者かよ」

「びっくりしたー!」


 まさか、帰りにまでバッタリ会うなんて。

 自分より背の高い男子がそばに立っていたのに、気づかなかったわたしもわたしだけど。影の当たり加減でわかるはずなのに。

 冷めた目で見てくる相手に、わたしは一応聞く。

黒杉クロスギくん、なんでここに?」

「俺んもこっち方面なんだよ。よりによって、あんたなんかと帰りの電車が同じとはな」

「わたしだって、べつに好きできみと同じ方向に帰るわけじゃないし」

 降りる駅まで同じだったら、どうしよう。

 ホームにまばらにいる人たちのうち、永星エイセイ学園の生徒はわたしたちだけみたいだった。

「ていうか、わたしには演技しないんだね。どうして?」

「愛想振りまく必要もねえだろ、無駄にヒーローぶってる女になんか」

 朝にも聞いた嫌味に、ついムッとしちゃう。

「……朝もちょっと気になったけど。黒杉くんは、特撮とかヒーローとか嫌いなの?」

「ああ、嫌いだ」

 吐き捨てるみたいに、黒杉くんは即答した。

 駅構内のいろんな音を全部かき消しちゃいそうなくらい、重い一言。

 ずしっと、わたしの頭や心にも、それは覆いかぶさった。

 好き嫌いがあるのは、しょうがないことだけど。やっぱり、面と向かって否定されるとへこむ。今は自分が仕事としても関わっているものだから、なおさら。

「ヒーローなんて所詮作り物で嘘くせえし、正義なんて薄っぺらいものを振りかざして何になる」

「……そうかもね」

 そういう考え方があるのは知っているし、黒杉くんみたいに、よく思わない大人もきっとたくさんいるんだろう。

「ヒーローは、だれかの夢とか願いとかで創られたもので、『現実』じゃなくて『理想』。わかってるよ、わたしにも」

「だったら、なんでその職業シゴトしてんだよ」

「たとえ夢でも理想でも、わたしらしいヒーローになって、だれかを少しでも助けたいから。偽善者だってバカにされてもね」

 昼休みの出来事だって、そう。

 だれかにほめられたいとか、認められたいとか、そういう気持ちも確かにあるけど。

 それよりも、困っている人が幸せそうに笑ってくれるのが一番だ。

 お礼を言ってくれたあの女子の優しい笑顔も、また思い浮かべる。

「仕事じゃ戦隊のレッドにはどうがんばってもなれないけど、せめてプライベートではレッドみたいな姿勢でいたいなって。そんな感じ。体を動かすのも大好きだし、器械体操も小さいころからやってたし」

「ふぅん」

 大して興味もなさそうに、黒杉くんは相づちを打つ。

「じゃあ、訊くけど」

「え……?」

 なんの脈絡もなく、黒杉くんは前へ進み出る。

 胸の奥が、ざわついた。

 ――なんでそっちに歩くの? そっちは……!

 もうすぐ電車が来るかもしれないその位置で、本人は片足をひょいと前に出す。

 真下は、線路なのに。

 肩越しにわたしを見る相手の眼差しは、どこか投げやりだった。


「俺が今ここで落ちたら、あんたは助けてくれるのか?」

「だめ!」


 わたしは、すぐに駆け寄った。黒杉くんの腕を、強く引っ張る。

 にはいかせない、絶対に。

「ッ! おい、いてえって」

「黄色い線の内側に下がってお待ちくださいっ!」

「はぁ?」

 痛みに顔を歪ませていた黒杉くんは、わたしの警告にあきれた声を漏らす。

 どうせ、これからもずっと嫌われたままなんだろうけど。わたしに助けてほしくなんかないだろうけど。

 それでも、この手を離したくなかった。

「この路線の駅、ホームドアがほとんどついてないんだよ。こんなこと、冗談でもしないでよッ」

 言い聞かせる自分の声が、ちょっと震える。ぐちゃぐちゃになってきた感情のせいで。

 黒杉くんは、さすがに戸惑ったみたい。黒い目が揺らぐ。

「……なんで、あんたが泣きそうになってんだよ」

「だって、知り合ったばっかりなのに、もっといろいろ話せそうなのに……こんなかたちでお別れになっちゃったら、やだよ……っ!」

 朝の出会いは、確かに最悪だった。

 けど、黒杉くんはわたしを無視しないで、この場でも自分から話しかけてくれた。

 ほんのちょっとだけど、信じたいって思えた。同じ学校、同じ学年、同じコースの生徒として。

 しばらく、お互い黙ったままだったけど。黒杉くんのため息が、静けさをやわらかく砕いた。

「……ほんと、どこまでに……」

「え? なんか言った?」

「べつに。そろそろ放せよ」

「あ、うん、ごめん」

 わたしは、黒いブレザーの腕からぱっと手を離す。

 黒杉くんの足が、黄色い線の内側に寄ってくれた。

 ほっとして、わたしも改めて隣に立つ。

「ところで、回し蹴り女って呼ぶのもやめてほしいな。わたしには、赤川アカガワ真広マヒロって名前があるの。この際、ちゃんと覚えてね」

「はいはいわかったよ、バカ川さん」

「わたしのミスを叱るときの嶽内タケウチ監督と同じ呼び方したー!?」

「誰だよ」

「うちの事務所のアクション監督さん。ちなみに、私が出てる〈想造戦隊オリジンジャー〉は、毎週日曜朝九時半からテレビ夕陽ユウヒ系列全国ネットで好評放送中だよ、観てね!」

「知るか。調子こいて番宣かよ」

 なんだかんだで会話を続けながら、ふたりで電車を待った。


「――俺は、ヒーローなんて信じない。こんな世界、早く滅んじまえばいいんだ」


 黒杉くんの否定意見は、春のあたたかさの中でも息が白くなりそうな響きがして。

 ほんとに失礼だし、腹が立つくらい性格が悪いけど。

 彼のことも、わたしはもっと知っていかないといけない――そんな予感がした。

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