第9話 この、生ゴミ野郎が!

 私は大変にいきどおっている。そんなに興奮するな、と誰かが言えば私自身も注意の一つ二つもしたくなり、精神安定剤の一つでも飲み下して、我に返るであろうが、そうは言ったって、仕方が無い。少し前から最近までの話を蒸し返して想い出し、さらに腹を立てている。


 要するに、普段でかい面してるくせにすぐに逃げるヤツの一種で、口先と頭の中の矢印が逆向きのヤツ、であり、口先の言葉で人をだまして被害を与える阿呆のことである。そういうのを、テレビなる媒体で見なければいいのに見たり、またよせばいいのに、ネットワークなど使って調べ始めたりして、しまいには腹の虫が収まらなくなってくるのである。


 また、どこぞの親玉とその取り巻きが、若くして一生懸命いっしょうけんめい働く方を、手前たちで作成した「社風」なる反社会的決まりで、半ばなぶり殺しにしてしまった。


 経緯けいいはどうでもよくはないが、今さら私がとやかく言っても仕方がないし、貴重な若い命がこんな下らんことで、なぶり殺しにあっていいものか、という、私のイカレタ神経でも理解できる本能で感ずるところである。


 さすがに「世間様」も、この親玉をただじゃあ放っておく訳にもいかず、公的なる場所に引っ張り出して、この生ゴミみたいに匂う親玉にしゃべらせた訳だが、もう聞くに堪えず、こいつもやっぱり矢印が口と頭で逆転してる、そのくせ、すぐに逃げを打つヤツだということが判明し、いよいよ頭に血が昇るわけではある。この生ゴミ、まったくもってなってない。


 ところで、別に隠遁いんとんしてるどこやらの親玉はどうなった、といえばまだしゃあしゃあとしているわけで、そこらへんも私は納得できぬわけである。脳の中ではそうと思わずとも、少なくとも、私も同じです、もう一度すみません、とでも言え、と私は思うわけだが、なんでだか分らぬが若い人のために、なぞとほざく。違うだろうが、君の考えてることは。


 どういう頭がその口に、かくなる言葉を吐かせるのか理解に苦しむ。おまえも、若い芽をつぶして歩く畑荒らしだ。何が謝罪だ、そんなもの本人が望むわけはないじゃあないか、阿呆にも限度というものがある。おまえも三六五日二十四時間、起床して動いてみよ、一週せずに死ぬであろうが、おまえの口と行動は別だ、要するに矢印が反対向きだ、ということはよく知ってるから、そんなことはしないということも分かっている。全く、おまえと接近した人たちは、いかがわしいヤツだと言っているそうだが、何が、自死者ゼロの世界だ、おまえの口から出た言葉が、逆の結果になって出てくるのが、恐ろしく、かつ不気味で仕方がない。


 さて、我が身の周囲を見るならば、そんなやから、あるいはその前身がゴロゴロとうごめいているわけで、全くもってケシカランわけだ。そういう生ゴミにはかなわないが、しかし、いずれ生ゴミになるに違いない連中が存在してもいるわけで、そう思うと腹の虫の居所が再び動き出すわけである。元来、生ゴミとは臭いわけであるが、もとから臭かった訳ではなく、ほったらかしにして、中には褒めたりする者もいるから、生ゴミに変化して、周囲に臭気を放って甚だ迷惑な存在となるわけである。


 そういう生ゴミもどきの段階の奴らは、ヒラメのごとく、生ゴミの様子をうかがっているわけで、ああいうふうに腐れば上がりである、と勘違いしているわけである。何がルールだ、何が働き方だ、おまえの口は頭の中身と正反対のくせしやがって、どういう神経なら、そういう口から出まかせができるのやら、正直な私には理解できないわけだが、どうやら生ゴミもどきが、生ゴミを尊敬するところに起源があるようだ。そうして、逃げの打ち方とやらを学んで、ろくでもないものになる。


 生ゴミを尊敬するとは妙なことだと、みなさんも思われるかもしれないが、ゴミ捨て場を見よ、周りはゴミだらけなわけだ、より汚いゴミが偉そうに目立っていやがるのであって、同じ場所で、同じ環境でそれが「常識」だと勘違いしてしまうと、もう、生ゴミへの進化は始まっているわけである。同時に、俺は美しいなどという甚だしき錯覚まで生じ、いかがわしい書物など書いて、どうしようもないわけだが、それが「常識」の世界にいるわけで、また生ゴミもどきが生ゴミになりたがったりもする訳である。


 どうにも窮屈きゅうくつだと私たちが思う理由には、偉そうな生ゴミの頭の中の矢印が反対向きになっていのも一因か、一因どころか主因かと思うわけだ。大衆は力がないから、そんなことは分かっていても、口先の向いてる方に動いてみせてるわけである。


 私は最近、「硫黄島からの手紙」という映画を再三見ているが、召集令状を持った国民婦人会なるタスキをかけた女が、招集される本人に、おめでとうございます、と令状を渡すわけであるが、渡された本人は、大変栄誉に存じます、お国のために云々うんぬん、などと思ってもいないことを言わなくてはならぬ。


 これは昔の例ではあるが、似たようなことは日常茶飯事に起きているわけで、腹が立つやら何やらで、私は正直だから、そんなものは拒否したいが、行かなければどんな仕打ちがあるかわからぬから、しょうがないから行く、と言う訳である。顰蹙ひんしゅく買うことはなはだしいのではるが、本心を言ってみよ、と大衆なる皆様にも進言したいわけである。


 はなしが一見、バラバラのように見えるであろうが、それは私の神経と文章がむちゃくちゃになってるからであって、本質は同じなのだ。脳みその矢印を元に戻せ、と、そやつらに言いたい、ただそれだけの話なのだ。


 今回は内容が薄くて申し訳ないが、相変わらず、疲れることには変わりなく、医者も色々としてはいかんと言ってることを、私はしてるわけであり、申し訳ないがここまでとさせていただく。

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