第4話 目に見えない真実
しつこくて申し訳ないが、また書いて、私のいかれた神経をなんとかせねばならぬ。
私の主張はもうそろそろ、分かっていただけたかと思う。というより、自分で何言ってるんだか理解できぬくらい書いていることもあるが。
まずだよ、人の目、とか世間とかなんだこれ、何でこんなものに従わないと食べていくのさえ苦労しなければならないのか。それと、それに上手いこと対応してる人物の気持ち悪さ、自分の常識を世間の常識にすり替えてしまうという技を持った連中、そういうのがいやなのだ。
常識なんていうものは本来存在しないはずだ、なぜなら、これまでに何度価値観が変わってきたか振り返ってみればわかるはずだ。
昔は精神病院に行くなどといえば「世間」に冷たくされるのが「常識」であったが、いまや精神科は人であふれかえってるよ、必要のない人まで来るんじゃない、それほどなんだよ。バブルのころ、土地は永遠に価格が上昇するといってたじゃないか、そんなわけあるか。今じゃあ、景勝地のバブル別荘が邪魔者になって困ってるほどだ。
常識とかではなくて、人の真実、というのを私は信じている。釈迦、イエスにはわかっていたはずなのだ、だが、釈迦は途中で自分の考えなど理解されないと思い、教団を解散しようとしたことまである、それほど常識とやらの壁は厚く、目に見えない真実は隠蔽されているのだ。
私は言いたい、彼らがどれほど苦しんで、その考えにたどり着いたかを。生きるというのは苦しいものだ、とは言うが、イエスや釈迦の時代ならともかく、今時そんなこと言ってるのは、もしかしたら日本人だけじゃあるまいか、なぜなら欧米にはlife is too shortという言葉があるくらいなのだ、つまり生きている限り、楽しめということだよ。
もうこのなんだろう、もう書いたかもしれぬが、ねばい液体を取り去りたいんだよ、それを妨害してるやからがたくさんいて、そのような人はカネを持っているから難しいが。
なんでまた、苦しんで苦しんで、やりたくないことばかりやって、病気になって、それでいていらないモノばかり買って、もうどうかしてる。
評論家なるものがいるが、彼らは、今後は一生労働だとか言ってる、労働なんてかつては奴隷のすることだったわけだが、みんなが奴隷で、ごく一部が貴族という、これちっとも中世と変わらないじゃないか。
もう、いらんものなんか、いらんと拒否したいわけだよ、なのに次から次へと人の欲を刺激するように世の中できている。
みんなスマホなるものをもっているだろうし、私もしかたなくもっているが、電池さえ入れ替えられないのだ、つまり、ダメになったら買い替えろということだよ、もう進歩なんてたくさんだ、というよりもう五年以上進歩なんてしてないだろ、したふりすんじゃない、知ってるんだよ私は。人を幸せにする進歩ならばそれはみとめねばならないが。
釈迦は欲を捨てれば、楽になれる、といっている、人に認めてもらおうとか、常識に従おうとかホントはしたくはないんだよ。しないとメシを食えないから、仕方なくそうしてるだけなんだ。
そんなことなら、人生五十年でたくさんだ、なんでまた八十まで健康でとか、健康なんて楽しみあってのものだろう、喜びを享受して何が悪いのだ、サバンナにはたくさんの草食獣がいて、肉食獣にいつ食われるかわからないわけだが、だからといって、遊んでいたり、戦ってみたり、それはそれであろう、いつかは食われるとしたって食われることが悪だとするから、そんなことになるんだ。
そろそろ、疲れてきた。今日は、ここまでにしたい。乱文、粗雑、暴言もうしわけなし。
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