第3話 ウソと見栄

 私の田舎は住んでいる住人にいわせれば、「由緒ある観光地」だそうだが、もうとにかく人間関係がいやだ。なぜ、いやか。


 近所で顔を突き合わせたらニコニコと話しながら、家に帰ってクソミソに悪口を言っている。それも、当家だけではなく、みなそのようなのだ。見栄と外聞と恥の文化を強烈に感じ、気持ち悪いといったらありはしない。


 近所の私より少し年配の方が、まあ、ようするに、うつかなんかだったんだろう、自宅付近の草むらに火をつけてしまった。事件は瞬く間に警察に通報され、自宅敷地内であるにもかかわらず、その方はいわゆるところの「キ○ガイ」のレッテルを貼られ精神病院送りになった。


 私の両親は、私が彼と話しをするのが気に入らず、「あの人どういうひとかわかってるの、付き合うのはやめなさい」等という。彼が今では差別用語とされ(差別用語とやらもすきではないが)使うのもためらわれる「キ○ガイ」とされるのであれば、私だって十分なる「キ○ガイ」である。分かってやしないのだ、おかしな行動をとれば、レッテルを貼られ、地域社会からはじき出される。


 彼のご両親は私が彼の自宅を訪れることに対しても疑問を抱いていたようだ、「〇〇さん、なんでウチの息子みたいな人と話をしているのかしら」「知らないんだよ、遠くに住んでるからね」、知ってるんだよ、でも彼を「キ○ガイ」だと、自分の息子を「キ○ガイ」だと、言うだろうか、単なるうつ病なんだよ、誰だってなるんだよ。


 自分は正常で、他人は異常という神経、世間とやらを気にする態度、ああ、もういやだ、太宰の言うところの「世間て君だろ」というやつだ。


 彼は周囲からもそう言われて自覚してしまったようだが、私から見れば知性ある人間だから、だから話をしてるんだよ、世間体で彼を自宅に軟禁するなんて良心のすることか、おかしいだろ。


 私だって精神病院に通っているが、そこにいる人は俗にいう「キ○ガイ」なんかじゃないのだ、少し歯車が狂ってしまって、行動が少しおかしくなっただけなのだ、何をかいわんや。


 もういやだ、この世間とやらは個人的感情を周囲の自我に拡張させるために都合がいい、「世間」が正しいというから、という理由で下らん戦争おっぱじめて見事に負けるんだ。今では、経済競争にすら負けつつあるが、根は同じだよ。


 見てくればかりよいものを作って、使う人、買う人のことなんか考えていやしない。どうだい、この見てくれ、職人の域だろう、おかしいだろ、そんなもの機械で作れよ、安いんだから。そんな見てくれだけのもの床の間にでも飾っておけばいいのに。


 私には到底とうてい理解できないのだが、おまけに人のせいにするのが実に巧妙こうみょうで、あれは生まれつきの才能かしら、とか思うが、真似しようとして努力を積んでもなかなかその域には到達できず、生きるのがへたくそだ。


 あの口先から出るウソと見栄となにかしらいやらしいものは何だろう、それがいやだというんだよ。

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