風見留奈襲来
チャイムが鳴り響き、現国の教師が教室から退出した。
ようやくだ……ようやく光里と話せる!
そう思って、俺が椅子から立ちあがった、そのとき。
突然、周囲のクラスメイトたちがざわつきだした。揃いも揃って教室の後方へ視線を向けている。
……嫌な予感がする。
俺が振り返ると、その人は一直線に俺のもとへと歩いてきていた。
予感的中。
「来ちゃった」
「来ちゃった、じゃないですよ。用もないのに来ないでください――留奈先輩」
胸元までまっすぐに伸びた黒髪がよく映える、スレンダー体型の美少女。
黒目がちのつぶらな瞳、すっと通った鼻筋、血色のいい唇……パーツのひとつひとつが整っていて、無駄がない。
なんというか、本当に絵に描いたような美人だった。校内で芸能人のような扱いを受けているのもうなずける。
淡白な俺の返事に、留奈先輩はむう、と唇を尖らせる。
「もうっ、相変わらずつれないなぁ、水科くんは。いいじゃないっ、用がないのに遊びに来ても!」
これだけ端整な顔立ちをしているのに作り物めいて見えないのは、こんなふうにころころと表情が変わるからだろう。
……傍から見てるぶんには面白い人なんだけどなぁ。
「やっぱり冷やかしじゃないですか。帰ってください。迷惑です」
「ひどい!? う〜、私は水科くんのこと、こんなに愛してるのにぃ……」
留奈先輩は悲しげな顔をしながら、俺の腕に抱きついてくる。
周囲から飛んでくる風見留奈ファンの視線が、ちくちくと痛い。
うちのクラスには俺に好意的な人間も多いから、まだそこまでの痛さじゃないけど、教室の外でこれをやられるともうたまったもんじゃない。
いくら言っても自重する気配はないし、先輩は本当は俺のことが嫌いで、俺にヘイトを集めるためにわざとやってるんじゃないかとさえ思ってしまう。
「放してください。胸に当たって痛いです」
言いながら、腕を振りほどく。
「痛いってなに!? 気持ちいいの間違いだよね?」
「あずきバーでも仕込んでるのかと思いました」
というのは、まぁ冗談で。
実際はほんのちょっとだけ柔らかかった……気がする。
真っ平らではないだけで、膨らんでいるとは言いがたい――そんな先輩の微妙な乳と書いて微乳は、一部のファンからは風見留奈唯一の欠点だと言われたりもしているらしい。
「ねぇちょっと水科くん、なんかいつもより当たりが強くない? あんまりひどいこと言うと、私だって傷つくんだよ?」
……確かに、ちょっと言い過ぎたかもしれない。早く光里と話がしたくて、気が急いていた。先輩だって、なにも俺の邪魔をするために来たわけではないだろう。
「すみません、言い過ぎました」
「ううん、わかってくれればいいの」
「では、改めてお願いします。どうか、今すぐに帰っていただけないでしょうか? 正直に申しあげて、非常に迷惑しております」
「言い方の問題じゃないからね!? 丁寧なぶん余計傷つくよ!」
「いや先輩、マジで今は後にしてほしいんですよ」
「え、なに? ごめん、なんか忙しかった?」
「ほら、あそこ……」
光里の席に視線を向けると、周囲にはすでに人垣ができていた。人垣を構成しているのは、大半が女子だった。
しまった、出遅れた……。
これがダークネスが言うところの、質問攻めタイムか。
ふと、思い出す。
昔――小学二年生のときに、光里が転校してきたときのことを。
あのときの光里は、むしろ自分からあちこちに突撃して回って、逆・質問攻めでみんなをたじたじにさせてたんだよな。懐かしい。
「なにあれ?」
「今日、うちのクラスに転校生が来たんですよ。俺と初の幼なじみで……って、先輩は光里のこと、初から聞いてるんですよね」
「え……ヒカリって……水科くんと結婚の約束をしたっていう、あの伝説の?」
「伝説かどうかは知りませんが、その光里です」
「……ふぅん、そっか。帰ってきたんだ」
いまいち感情が読めない表情で留奈先輩はつぶやいて、もう一度人垣に目を向けた。
質問が終わったのか、ちょうど何人かの女子がその場から離れ、俺の席から光里の姿が丸見えになる。
「私、昔の写真とか動画をちょっとだけ見せてもらったことあるけど……なんか雰囲気違うね」
「でも可愛いのは昔のままじゃないですか?」
「や、それはそうかもだけど……水科くん、ほんとに好きなんだね、光里ちゃんのこと」
「それはもう」
光里はまだクラスメイトたちと話し中だ。
割り込むのも忍びないし……仕方ない、もう少しだけ留奈先輩に付き合ってあげよう。
「う〜ん、困ったなぁ……」
「え、なにがですか?」
「だって……光里ちゃんがいると、水科くん、ますます私のこと相手にしてくれなくなりそうだから」
「そうですかね? 別に変わらないと思いますけど。元々相手にしてないわけですから」
「……もういい、そんな意地悪ばっかり言うなら、帰るもん」
「お出口はあちらです」
「もうっ! 水科くんなんて嫌い!」
留奈先輩は拗ねたように言って、俺に背を向けた。
怒っているようで実はそんなに怒ってないということは、この数か月の付き合いで理解していたので、俺は安心して見送った。
「――水科くんっ!」
扉の前まで行って立ち止まると、留奈先輩は振り返って俺を見た。
「やっぱり好きです! 愛してます! 水科くん、私と付き合ってくださいっ!」
教室の喧騒がやんだ。誰もが話を中断し、先輩と俺に注目しているのがわかる。
今までもあからさまに好意をアピールしてきてはいたが、こんなふうにちゃんと告白されるのは、これが二度目だった。
先輩は真剣だ。なら俺も、真摯に答えよう。
「丁重にお断りします」
「……いいもん。たとえ水科くんが振り向いてくれなくても、私は水科くんのこと、ずっと大好きなんだからぁ!」
捨て台詞のようにそう言い残し、先輩は走り去っていった。
ざわざわと、徐々に喧騒が戻ってくる。
はぁ……やれやれだ。先輩の相手は疲れる。友人として付き合いたいと言うのなら、普通に歓迎するんだけどな……。
「先輩も先輩だけど……おまえらもよく飽きないよな」
俺たちのやりとりをずっと見学していたギャラリーの皆さんに向けて言う。
「いやいや、そりゃ気になるだろ……」
「かわいそうな先輩……俺なら幸せにしてあげられるのに」
「風見先輩も、なんで水科なんかを……」
女子が光里の周りに集中しているぶん、こちらのギャラリーは男子が多い。
「まったく……というか、おまえらは転校生のほうには興味ないのか?」
光里は可愛いから、光里の話題で持ちきりになってもおかしくないのに、どうもそんな雰囲気でもない。
「え? う〜ん……別に、興味ないことはないんだが」
ほかのやつらも似たような反応で、どうにも煮えきらない感じだ。
「って、そっか。俺があんなこと言ったからか」
結婚の約束をしているなんて堂々と宣言すれば、気になっても手を出そうとは思わないだろう。
「いや、まぁそれもあるけど……」
「なんだろうな……なんか、いまいちテンションあがんないっていうか」
「あ〜、わかる。なんていうかあの子、地味なんだよな。いや、顔は確かに可愛いとは思うけどさ……」
「そうそう、なんか地味なんだよな」
揃って首をひねりながら、口々にそんなことを言う。
「ダークネスに言わせれば、俺らみたいな美少女に縁のないモブキャラはここで、『なんで由宇真ばっかりおいしい目に! 許せん!』って嫉妬すべき場面なのかもしれないけど……そんな気も起こらないっていうか。あ、別に悪い意味じゃなくて」
「やっぱ風見先輩が素晴らしすぎるんだよな」
「うんうん、だよな。尊すぎる」
「風見先輩に踏まれてぇなぁ」
「いや、別に先輩ドSキャラじゃないだろ」
「え、普通は踏まれたいって思うだろ?」
「ただのおまえの性癖だよそれは」
彼らは早くも光里への興味を失くしているみたいだった。
……地味、か。
昔の光里にそんな印象を抱いたことは一度もない。名前を体現するかのような、光属性の活発な女の子だった。
俺は席に座る光里の姿を眺める。
確かに今の光里は、地味だという彼らの印象もうなずける。はっきりとは言わなかったが、留奈先輩も同じような感想なのだろう。
前髪が長いせいかとも思ったが、それだけじゃない。佇まいというか、雰囲気が大人びたように思う。まぁ、八年も経ってるんだから、なにも変わらないほうがおかしいのかもしれない。
地味だろうがなんだろうが、光里は光里だ。一緒に過ごしたあのころの思い出は、けっして色褪せることはない。
……ただ、ひとつ気になるのは。
クラスメイトと話す光里の顔に、笑顔がないことだ。
灰谷光里という女の子はいつだって楽しそうに笑っていたから、やっぱりどうしても違和感はあった。
ふと、光里の周りにいた女子が、最初に見たときよりだいぶ減っていることに気づいた。
こうして眺めているあいだにも、一人、また一人と光里の席から去っていく。あの調子なら、俺の番ももうすぐ回ってきそうではあるけど……。
俺と留奈先輩が水をさしたせいだろうか。それとも……。
俺はちょうど光里のところから戻ってきた隣の席の女子に声をかけた。
「どうだった、光里の印象は?」
「えぇ? 印象って言われてもなぁ。なんだろ、友達作ろうって気あるのかな、って感じ?」
「というと?」
「あんまり興味持たれてない感じがしたなー。こっちが質問したら答えてくれるけど、本当にそれだけ。あれじゃ仲の良い友達はできないんじゃないかな……って、余計なお世話か」
「そっか……」
う〜ん、どうしたんだろう、光里。
「てか水科くん、本当に灰谷さんのこと好きなんだね。留奈先輩がいるのに」
「留奈先輩は関係ないって」
まったく、女子までこれだからなぁ。
「まぁあたしは陰ながら応援してるから。ほんとに結婚したら式呼んでね」
「おう、さんきゅ。盛大にやる予定だから楽しみにしてて」
「ちなみに相手はどっちでもいいよ?」
「それ結婚式行ってみたいだけじゃん」
「あは、バレたか」
「……って、こんな悠長にしてる場合じゃなかった!」
見ると、最後の一人が光里の席から離れたところだった。
よし! 今行くぞ光里――
……だが無情にも、チャイムは鳴り響いたのだった。
くそぅ……次の休み時間こそ、絶対に話してやるからなっ!
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