第一話
してますが、なにか?
九月の初旬。
夏休みの余韻でどこか浮ついていた空気も落ち着いてきたころ、その報せは俺の耳に届いた。
「なぁなぁ、聞いたか? 今日、うちのクラスに転校生が来るらしいぜ!」
「マジで!?」
「ああ、というか噂を広めてるのがほかでもないダークネスだから、確かな情報だ」
「うおー、マジか!」
「男か女か、問題はそこだろ! どうなんだ!?」
「それはホームルームまでのお楽しみだって、ダークネスが」
一部の男子連中が、なにやら騒いでいる。
なるほど、転校生か。登校してきたとき、机がひとつ増えてて地味に気になってたんだよな。そういうことなら納得だ。
しかし、転校生かぁ……。
俺は席を立つと、なおもその話題で盛りあがるクラスメイトたちの輪の中へ入っていった。
「可愛い女の子だといいなっ!」
俺が言うと、彼らの視線が一斉にこちらを向いた。
「は?」
「は?」
「は?」
「な、なんだよ?」
なぜか皆一様に、冷ややかな目をしていた。
「たとえ可愛い女の子だとしても、
「そうだぞ、
「はぁ、いいよなぁ由宇真は。学校一の美少女と名高い、あの風見
はぁ……またか。
口々に好き勝手なことを言い始めた友人たちに、俺は軽い呆れを覚えつつも、いつものように反論する。
「あのなぁ、留奈先輩とはそういうんじゃないって、何度も言ってるだろ。ただの部活の先輩後輩。それ以上でも以下でもないって」
「いや、本当に先輩と付き合ってないってことは、俺たちもいい加減理解してるんだ」
「ああ……俺らが言いたいのはなぁ――」
「なんで振ったりしたんだよ、ってことだ!」
「…………いや、それは」
――風見留奈先輩。学年はひとつ上の二年生で、俺が所属している部の部長をしている。
あれは高校入学からそれほど時間も経っていない、四月のこと。
俺は一度、先輩に告白されて……そしてキッパリと振っている。
確かに留奈先輩は、道ですれ違えば誰もが振り返るような美少女だ。
人気を鼻にかけるようなこともないし、基本的に誰に対しても気さくに接するから、アイドル的な人気があるのに親しみやすくて、雲の上の人という感じがしない。
先輩が魅力的な女性であることは間違いない。
…………だけど。
「先輩、ありゃどう考えてもまだおまえのこと好きだろ。付き合うなら今からでも遅くないと思うぞ?」
「なんで付き合わないんだよ、理解できんわ」
「くそ、ナチュラルに下の名前で呼びやがって、気に入らねぇ……だが、由宇真と風見先輩なら、美男美女でお似合いだと思うぜ、畜生!」
……あまり人に言いふらすようなことでもない気がして、クラスの友人たちには今まで黙っていたが、いい加減面倒になってきたし正直に言うか。
それに、こいつらもなんだかんだで、親身になって俺のことを考えてくれてるからなぁ。
「実は俺、好きな人がいるんだよ」
「は? 初耳なんだけど!」
「マジ!? 誰!?」
「いや、おまえらの知らない人。俺の幼なじみ」
「ま、マジかよ……風見先輩と仲が良いだけでも羨ましくて気が狂いそうなのに、幼なじみまでいるなんて……」
「まぁ、そういうわけだから、留奈先輩とはこれからもなにもないよ。もちろん、噂の転校生ともな」
可愛い女の子だといいなっ! ――なんて、実はノリで言ってみただけだったりする。
転校生が来ると聞いて、昔……小学生のころに感じたわくわくが蘇って、ついテンションがあがってしまったのだ。
転校生が女の子だろうが可愛かろうが、俺には関係のないことだ。
俺には――将来を誓い合った、今でもずっと大好きな女の子がいるから。
それからもしばらく談笑していたが、予鈴が鳴ったので俺は自分の席へ戻った。
全員が席に着いたころ、教室前方の入口から男が入ってきた。
全身黒ジャージに黒のサングラスをかけた、長身痩躯の見るからに怪しげな男。ダークネスの愛称で親しまれている、我らが一年D組の担任教師だ。
「ダークネス! 転校生が来るって本当ですか!?」
クラスメイトの一人からそんな質問が飛び出す。
「――あァ。マジだぜ」
ダークネスの返事に、教室にどよめきが起こった。
「つーわけで。さっそく入ってきな、転校生!」
全員が注目する中、すぐに誰かが入ってきた。
女子生徒だった。うちの学校の夏服を着ている。
身長は高くもなく低くもなく、至って平均的な女子という感じ。少し明るめのミディアムヘアは肩のあたりまで伸びている。
前髪がやや長く、軽く目元にかかっている。そのせいか、陰気というほどではないものの、どこか暗い印象を抱かせた。
よく見れば、顔立ちはかなり整っている……が、その暗い雰囲気によって、美少女が持つ眩しさのようなものが打ち消されてしまっているように感じた。
新しいクラスメイトがどんな人物なのか気になって、ついつい、彼女の一挙手一投足に注目してしまう。
俺はもう一度、じっと彼女の目を見つめた。
…………なんだ?
彼女の目を見ていると、全身にビリビリと電気が走るような感覚に襲われた。
頭でなにか考えるよりも先に、心臓が早鐘を打ち始める。
呼吸が荒くなる。身体じゅうが急速に熱を帯びて、じんわりと汗がにじむ。
わけもわからず、俺は彼女から目が離せなくなる。
彼女はダークネスに促されたわけでもなく、自ら教卓の前へ歩み出た。
緊張をまったく感じさせない、落ち着き払った佇まいだった。
その透き通った二つの瞳は、まっすぐに前を見据えていて、抱いた印象に反して、彼女という人間の芯の強さが感じられる。
そして彼女は、教室じゅうの視線を受け止めながら、臆することなく口を開く。
そこでようやく、俺の頭が回転を始めた。
あぁ――
俺は、彼女を知っている。
昔とはまるで雰囲気が違うけど、面影は確かにあるし――なによりも、抑えきれないこの感情が、彼女が俺にとって特別な存在なのだと教えてくれる。
そっか……
帰って、きたんだ……!
「
彼女は深く頭を下げた。
俺はもう居ても立ってもいられなくなり、思いきり机に両手をつきながら立ちあがった。
「――光里!」
頭を下げた姿勢のまま、彼女――光里の肩が、ピクッと震えた。教室じゅうの視線が俺に集中するが、そんなことはどうでもよかった。
光里は、おそるおそるというように、ゆっくりと顔をあげた。
視線が交わる。
数秒間じっと俺を見つめたのち、光里は驚愕したように目を見開いた。
その反応を見るに、俺がいることを知っていたわけではないようだ。
「…………ゆう、くん?」
光里が小さな声でつぶやいた。
「あぁ、そうだよ俺だよ! 由宇真だ!」
「……ゆうくん」
もう一度、今度は疑問形ではなく、はっきりと俺の名前を呼ぶ。
「ずっと会いたかった! 光里!」
「なんだァ? おまえら、知り合いなのか?」
俺が感動に打ち震えていると、ダークネスが当然の疑問を口にした。
「もしかして幼なじみか?」
「ただの幼なじみじゃないですよ。俺がこの世でいちばん大切な人です」
「なんだそりゃァ? おいおい、まさかとは思うが、遠い昔に結婚の約束とかしてねェだろうな?」
ピンポイントなダークネスの言葉に、俺は即答した。
「してますが、なにか?」
ざわつくクラスメイトたち。光里は……特に表情も変えず、じっとしている。
「はぁ、マジかよ。子どものころに結婚の約束をした幼なじみと、運命的な再会……ンなお約束展開が、現実に起こるとはなァ。由宇真、おまえは前々から主人公の器だと思っていたが、やはり俺様の目に狂いはなかったようだな。まったく、いいモン見せてもらったぜ……」
感慨深げに、ダークネスが言う。
余談だが、ダークネスはクラスの誰よりも漫画やアニメといった二次元文化に詳しい。ダークネスという愛称も、カッコいいからという理由で自ら名乗ったものだ。
「そんじゃァ灰谷、積もる話もあるだろうが、今は我慢して席に着け。あそこの空いてる席がおまえの席だ。なにかわからないことがあればクラス委員長に聞くといい」
ダークネスが指し示した席は、窓側から二列目の最後尾だった。両隣には女子生徒の姿がある。クラスの人数の関係で、偶数列は元々机ひとつ分の空きスペースがあった。
「おっと、言っておくが、あの机は俺様が朝一で運んできたんだからな。なんで都合よく空いてる席があるんだ、なんてツッコむんじゃねェぞ?」
光里は席へと向かう途中、一瞬だけちらりと俺を見た。俺の席は教室のちょうど真ん中あたりで、光里の席とは微妙に距離がある。
とはいえ、そんなことは問題にならない。ダークネスの話が終わったタイミングで、俺は席を立った。
早く光里と話したい。話したいことが山ほどある。まずはなにから話そう? いや考えても仕方ない、なんでもいいからもっと光里の声が聞きたい――そんなことを考えながら俺は一歩を踏み出し、
――始業のチャイムが鳴った。
「お約束の転校生への質問攻めタイムは、どうやらあとのお楽しみのようだな。んじゃおまえら、一時間目の授業頑張れよ!」
教室の外にはすでに一時間目の現国担当教師が待機していた。くそ……俺は仕方なく椅子に座り直す。
もどかしい! 本当は今すぐ抱きしめたいくらいなのに!
ダークネスと入れ替わりで現国の教師が入ってきて、クラス委員長である俺は渋々号令をかける。
着席し、朝から眠たくなるような授業が始まる。
俺は最後に一度だけ、ちらりと背後を振り返って、光里を見た。
目が合った。
――光里も、俺を見ていた。
うれしかった。
ただ視線がぶつかっただけで、心と心までもが繋がった。
想いが通じ合った気がした。
八年間の空白が、一瞬で埋まった気がしたんだ。
――このときの俺は、確かにそう思っていたんだ。
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