僕の指が汚染されるっ!
ユニバンス王国・王都王城内謁見の間の天井
「そろそろ引き所ですね」
ハーフレンが退出したことに気づいたメイドは決断した。
黒づくめのメイド……メイドの魂でもあるエプロンやカチューシャまで黒く染め上げたその者たちは、先輩の声にくっ付けていた耳を離す。
会議の内容としては大したことは無かった。ただ事前の事前……アルグスタ・フォン・ドラグナイトが来るまでに行われていた会議は全て筆談であったためにその内容を確認することは出来なかった。
相手も流石に警戒しているとしか言いようがない。筆談で使用された紙も全てその場で燃やされてしまったから諦めるしかない。
ただ会談の内容はある程度理解できた。
やはり王家は王家主体で何かを企んでいる。
それもドラゴンスレイヤーに関係したことで間違いない。
「私たちの手にドラゴンスレイヤーが居ないことが悔やまれますね」
「やはりポーラ様に当家に移っていただき」
「諦めなさい」
ピシャリとリーダー格であるメイドは同僚を叱った。
あの才能の塊である幼き才女が唯一メイド長を引き受ける代わりに出した提案が『ドラグナイト家の所属のままで』だ。
彼女はあくまでドラグナイト家のメイドであり、そしてドラグナイト家の娘だ。
その立場も地位も変える気が無いのだ。
それを聞いた自分たちは愕然とし、その申し出を翻すよう強く訴えた。
けれど師であるスィークが応じてしまったのだ。
『メイドが仕えるべきと心より定めた主人の傍に居るのは当然でしょう? それを引き剥がし無理に仕事をさせても十全な働きは得られません。でしたら所属など気にしなければ良い。あの子はきっと最も優秀なメイド長としてこの国のメイドを率いることでしょう』
そう述べて認めてしまったのだ。それでも挨拶代わりに『我が家に来ませんか?』と声をかけるのは、彼女に対しての評価でしかない。『貴女のような優秀な人材を当家はいつでも求めている』と。
相手から断られたぐらいで移動の誘いを止めるのは誠意を感じさせない。本当に必要と思っているのであれば、相手を誘い続けることを止めるべきではない。それこそ永遠に声をかけ続けることで『貴女への評価は変わっていません』とこちら側の誠意を示し続けているのだ。
本当に師であるスィークは深い思考の持ち主である。
それを弟子であるメイドたちは全員が理解していた。
そしてそんなスィークはあることをメイドたちに厳命している。それは二つ。
『ドラグナイト家とは敵対しないこと』と『アルグスタの命を狙わないこと』だ。
もしその二つの禁を破ればあの一族と敵対することとなる。ユニバンス王国でも有数な精鋭メイドを抱えるハルムント家でもドラゴンスレイヤーであるノイエの無慈悲な暴力の前では太刀打ちできない。
そして次代のメイド長であるポーラも敵に回る。それに彼女らは最近、ドラゴンスレイヤーになりえる西部の少女や元暗殺者の少女を引き取り国宝級の魔道具を与えたと聞く。
着実に戦力を伸ばしているあの者たちと敵対するのは愚策だというのが、師や先達たちの総意だ。
「まあその話はまた後で」
リーダー格のメイドは物音を立てずに移動を開始する。
場所は謁見の間の上に存在する天井裏だ。
本来であれば石造りのこの場所に人の動けるスペースなど存在しない。
だから作ったのだ。何年もかけて石を削り空間と強度を確保し人が潜める場所を作り出したのだ。
そんな場所はこの王城内にいくつか存在している。
全ては師であるスィークの為だ。あの人の指示に対し完璧な行動で示すために作ったのだ。
2人のメイドは気配すら発せずにその場から移動した。
後は隠し通路を伝い移動しながら着替えを済ませる。密偵からただのメイドに戻り、普通に部屋の掃除へと戻るのだ。
ただし報告は忘れない。簡単に纏めた物を同僚に渡し……それは巡り巡ってスィークの元へ届く。
それがユニバンスの、否……ハルムント家のメイドとして正しいスタイルだからだ。
王都王城内アルグスタ執務室
「ぐぅ~」
「頑張るですぅ~」
机に突っ伏し唸っているクレアの頭の上にチビ姫が書類の束を置いていた。
あれだ。月一名物クレアの物置だ。
ただ僕を無視して勝手に開催しているチビ姫には罰が必要だと思う。具体的にこのドチビはお漏らしをして緊急避難的に事前会議から逃げ出した。つまり敵前逃亡だ。
ギルティである。
足音を立てずに相手の背後へと回り込む。
机で突っ伏しているクレアの頭に書類の束を置いているチビ姫は自分の背後に気づいていない。何より愛されキャラである我が国の王妃様(笑)は、勿論メイドさんたちからも愛されている。つまりアイコンタクトで彼女たちは僕に情報を寄こす。『馬鹿は気づいてません。そのままそのまま』と。
うむ。王妃に馬鹿はダメだと思うぞ? そんなことは言っていない? 僕の翻訳ミスか?
アイコンタクトで妄想会話をしつつ、僕はチビ姫の背後に立つ。
「この書類を、」
狙うは前屈みで気づいていない齢の割には派手なあの下着の奥の奥!
「邪法! 三年殺し!」
「のぉふぅ~」
床に跪いて下から斜め上へと禁断の攻撃を放った。
クリティカルだ。会心の一撃だ。きっとモンスターなら一撃で昇天だ。
生憎とチビ姫はモンスターではないので即死はしていない。ただ何とも言えないポーズでフリーズして完全停止していた。
うむ。そろそろ困ろうか? 余りにも完璧に決まってしまったために……どうしよう? どのタイミングで指を抜けば良いんだろう?
「と言うか僕の指が汚染されるっ!」
気づいてしまった事実に慌てて指を引き抜く。
ビクンと全身を震わせたチビ姫が両手で自分のお尻を掴み……何故かバレリーナのように爪先立ちで移動し始めた。
「おひり」
「はい?」
声にならない声を上げ、マッチ棒のようにピーンと伸びたチビ姫が全身を震わせた。
「出ちゃうですぅ~!」
『何が?』とは聞かない。それが紳士と言うものだ。
お尻を押さえて全力疾走で部屋を飛び出したチビ姫の後を、彼女のお付きであろうメイドさんたちが追いかける。ただ何故か数人が僕に対して会釈をしていく。その意味は?
最後に残っていたメイドさんにアイコンタクトで問うと『ここ数日王妃様は便秘でして』と言う返事を得た気がした。
つまりあれか? 完璧すぎて……ちょっと待て? それってば僕の指が完璧に汚染されていないか? 下着越しだからセーフか? 否、アウトだろう?
色んな意味でアウトだ。
そんな訳で僕も慌ててチビ姫が駆けて行った方向とは違う方へ駆け出した。
とりあえず手を洗いたい。指を洗いたい。そして出来れば消毒したい。この世界には消毒用アルコールとか無いから消毒は無理だ。
酒精の強い消毒用アルコールの開発を進めるべきか? 確かあれだよね? 蒸留すれば良いんだよね?
問題はその装置の作り方とか知らんけど。
完璧に手と指を洗い自分の部屋に戻って来たら、まだクレアの馬鹿が机に突っ伏していた。
チビ姫は居ない。きっと今頃お手洗いでハッピータイムを堪能しているだろう。
しているよね? もしかして下着越しで突いたから切れ痔とか発症したか?
それは可哀想なことをした。今度リグでも呼んで……うむ。それはあれだ。アブノーマルすぎて色々とアウトだな。
つかリグの魔法をどうにかして欲しい。
舐めるってどうなのよ? 治療個所よっては色々とアウトだぞ?
「クレア~?」
「ぐぅ~」
突っ伏している馬鹿から色気も何も感じさせない返事があった。
これはダメだな。完全に死んでいる。
「だから、酷い時は休めと言っているだろうが?」
「ぐぅ」
頭の上の書類の束を退けてやると、お腹を押さえて突っ伏す馬鹿の様子が確認できた。
不調が服を着て歩いている状態だ。
「まったく」
本当に世話のかかる保護対象だ。
仕方がないからクレアを抱えてソファーに運んでやる。
今日はこれ以上は無理そうだな。と言ってもイネル君は仕事が忙しく直ぐには帰れない。まあこの馬鹿は1人で寝込んでいると、どんどん気が滅入って寂しくなるから無理してここに来ているのだろうけど。
「まあとりあえず寝ておけ」
「ぐぅ」
メイドさんに湯たんぽを頼み僕はイネル君に置き手紙を書く。
『今日は急ぎの仕事が終わったら馬鹿を連れて帰ること。以上』と。
そして部下が帰りやすい環境を作るために本日の僕は執務室を後にするのさ。
これは決してサボりではない。断じて違う。
~あとがき~
ポーラは三代目メイド長就任の話を受け、その話を受諾しています。
ただ唯一の交換条件として彼女が提示したのが『ドラグナイト家の所属のままで』です。これをスィークは受け、そして緘口令がしかれています。しいている理由は…どうしてなんでしょうね?
© 2024 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます