アルグスタ様が悲しむことは許しません
神聖国・都の郊外
「のごぉ~」
「……」
彼女はそれを眺めていた。
いつも通りのガラス玉を思わせる何ら感情の無い瞳でだ。
大好きな人が両眼を押さえて地面の上を転げ回っている。
何故かずっと『待って』と言われたが、その理由は分からない。だからずっと待って移動しなかった。けれど彼はどうしてか地面の上を転がっている。不思議だ。
それは良い。お腹が減るけど彼の怪我は全て治る。
代わりに自分の両目がズキズキと痛みが走るけれどいつものことだ。
家族から貰った魔法を適当に使ったらそれは出来た。
これがあれば彼は怪我をしない。違う。怪我をしてもその怪我の全てが自分に降りかかる。
『だいしょう』と言う名の魔法だ。良く分からないけれど便利だ。
自分ならどれほど傷を得ても問題無い。痛いことにも慣れている。だから良い。
大切な、大好きな彼が傷つくのは見たくない。ただこうして地面の上を転がり回るのは……良く分からない。きっと好きなのだろう。だからそのままにしておく。
きっとこれがお嫁さんの仕事と言うものだ。
「……」
改めて視線を向け直す。
あの黒い嫌なモノは全て消えた。一番濃く色づいていた部分もちゃんと消えた。
本当にこれは面倒臭い。疲れるし、何より消えるのなら静かに消えて欲しい。
『ありがとう』とか声をかけられても良く分からない。それも“全員”で“一斉”に言って来るから本当に困る。物凄く煩い。頭と耳の奥がズキズキと痛むほどに煩い。お腹が空く。
ただ煩い後の静かな時間は好きだ。普段は短い時間だけれどとても静かになる。いつも聞こえる音が止んで、とてもとても世界が静かになる。だから感謝の言葉は要らない。別に聖女の力を使っただけのことだ。感謝をするくらいなら口を閉じてそのまま消えてくれた方が遥かに助かる。
いつもいつも聖女の力を使う度にこれだから嫌になる。
そんな不満を“姉さん”に言おうものなら『ノイエ! 貴女は不謹慎って言葉を知っているのかしら!』などと言って怒るに決まっている。
それなら一度姉さんもこの頭が破裂しそうなほどの轟音を聞いてみれば良い。知ればきっと理解してくれる。知って欲しかったから譲ろうとしたのに、姉は聖女の自分に嫌なモノを押し付けて来た。おかげで疲れたしお腹も空いた。
『アルグスタ様は……うん。大丈夫。怪我は目だけかな?』
今一度最愛の人に、心配そうな視線を向けて確認する。
魔眼の中に居る“家族”から贈られた魔法のおかげで彼は今日も絶好調で地面の上を転がり回っている。本当に元気だ。でも一度自分の不注意で彼の心臓が止まってしまった。あの時は本当に焦った。あんなミスはもう二度としない。愛している彼が死んでしまったらきっと私は耐えられない。だからちゃんと護る。
それにしても代償の魔法は完璧だ。ちゃんと彼の傷を肩代わりしている。それ以外にも使っている魔法も大丈夫だ。問題無い。そもそも彼はとても強いから多少の傷なら直ぐに治る。こんなにも綺麗で強い人の中身を見たことが無い。えっとあれだ。魂だ。
魂が綺麗で強いおかげで自分の魔法も維持できる。
こうして見ていたら色々と我慢できなくなって来る。こう体の奥からムラムラして来た。
彼を抱きしめてキスしてそれから……赤ちゃんだ。自分は子供が作れない体だと言われているけれど、たぶん大丈夫な気もする。きっといつか作れそうな気はしている。でも赤ちゃんは欲しい。子供が居る家族は仲良しだ。だから子供は欲しい。
子供が居れば彼も今まで以上に笑ってくれるはずだ。
一度息を吐いてノイエは軽く自分の髪を払った。
爆音が治まり静寂の時が来た。今ほど幸せを感じる時は無い。
普段耳の奥で爆発しているあの音が全て止むのだから。
『アルグスタ様は大丈夫だし“怨嗟”の類も完全に祓えた。お腹は少し減っているけど魔力を使わなければ大丈夫。それよりも』
また視線を巡らせノイエはそれを見つめる。
あの魔女が姿を変えて2人の子供に迫っていた。あの2人は間違いなく悪霊や怨霊の類だ。この世に居てはいけない存在だ。聖女としてではなく人としてあれらの存在は了承できない。
『アルグスタ様が可愛がっていたからそのままにしていたけど……』
軽く頬を膨らませノイエは小さく息を吐く。
やはりあの少女は何処かで消しておくべきだった。
あれも存在してはいけない類だ。少女がではなく、あの子の中に居るあの悪霊だ。
どうして人はあんなになるほど悪い感情を生み出し蓄えるのだろう?
『私が言えたことじゃないけど』
分かっている。自分は家族の悪いモノを全て取り込んで一度真っ黒になってしまった存在だ。でも後悔はしていない。大好きな家族が笑ってくれるなら、自分なんていくらでも汚れても構わない。
あれ以来、頭の奥で爆音がするようになったけれど、でももしまたその選択肢を突きつけられたら迷うことなく同じことをする。
『私なんかが汚れても問題無い。家族が元気ならきっと私よりもいっぱい人のためになるんだから』
ドラゴン退治をすることくらいでしか人のために働けない自分よりも、数多くの魔法や能力を持つ家族が働いた方が数多くの人たちを幸せに出来る。それは間違いないことだ。
アイルローゼお姉ちゃんの魔法は凄いし、レニーラお姉ちゃんやセシリーンお姉ちゃんの踊りや歌はみんなを笑顔にする。ホリーお姉ちゃんはきっと嫌そうな顔をしながらもみんなのためにいっぱい良いことを考えてくれる。それに……
『うん。だから私はこれからも家族を守らないと』
それは決定事項だ。
だって家族は暖かくて気持ちの良いものだ。一緒に居て胸の奥が、心の奥が、ポカポカとして来るのだから。きっとこれが幸せなのだ。その幸せの為なら自分はいくら汚れても良い。
大丈夫。何かあれば聖女の力を使えば良い。その為の力だ。
『ノーフェ姉さんも残ってくれるし、アルグスタ様は赤ちゃんを連れて来てくれると言ってくれた』
今回も色々と手にするモノが多い。いつも通り彼と仲良くする時間をたくさんくれれば文句など無かったが、でもこれはこれで良い。何より彼が言っていた。
『私は我が儘を言っても良いんだから』
嬉しい言葉だった。
今までだって沢山我が儘を言ってきたにもっと言って良いと彼が言ったのだ。
ならもう少し我が儘を言っても良いはずだ。
『その為にも今はもう少し頑張らないと』
仕方がない。何かを得るためには何かを支払わなければいけない。
それがこの世の決まりだ。
『それより……』
改めてまた彼を見る。幾分動きを小さくしているが心配になる。無理はしないで欲しい。怪我なんてしてしまったら自分は泣いてしまう。泣いて済まなくなってしまう。
それよりも何故かいつも一緒に彼と地面の上を転がるお義母さんが居ない。
楽しそうに彼と地面を転がる機会を逃さないあの人が何もしないということは、ユーリカ姉さんと一緒に結界の中に居るのだろうか?
何度か視線を向けているがいる様子はない。
しいて言えば自分の目の中にそれっぽい気配がある。何かのはずみで飲み込んでしまったのか?
その場合は不慮の事故だ。あとで謝っておこう。
『でもその前に』
辺りを確認していたノイエは軽く足を動かした。
あれはダメだ。あれを“今”許すと彼が悲しむ。するなら彼が親しくなる前にして欲しかった。
『アルグスタ様が悲しむことは許さない』
故にノイエは軽く地面を蹴った。
「刻印の」
「魔女」
兄妹の声に、怯えた2人の目に、刻印の魔女はその顔に笑みを浮かべた。
出来るだけ感情の無い冷たい感じで笑って見せる。それが自分の演じる悪役には必要だからだ。
「前に言ったはずよね? 今度“2人”揃って姿を見せたら消滅させるって」
冷たく告げて魔女は軽く右手を振るう。
普段弟子が使っている魔道具を呼び出し、卵大のそれを長い棒へと変化させた。
魔女が見せた銀色の棒に対し兄妹はその表情を青くする。
「今度こそ殺すわ」
それは決定事項だ。前に決めたことだ。
ギュッと手にした棒を固く握り魔女はその先端を2人が居る方へと向けた。
分かっている。全部自分が悪いのだ。
愛情をもって接すればきっと理解してもらえると信じていた。信じていたからこそ……育児放棄したあの馬鹿からこの子たちを引き受け育てたのだ。
「くっ」
不意に熱くなる両目に魔女は息をこぼした。
込み上がってくる感情で喉の奥が痛くなる。
分かっている。全ては“自分”が悪いのだ。
あれは育児放棄などしていない。泣いて泣いて泣きじゃくって……そして最後はちゃんと母親として我が子と夫の死体を埋葬したのだ。
現実を受け入れられなかったのは自分だ。自分が子供のような甘い考えでこの子たちを、
『間違いは正さないと』
目には目を。歯には歯を。そして死には死を……だ。
一度終わったその生を誤魔化し永らえさせたのは自分の罪だ。罪なのだ。
「殺すわ」
何度でも言う。それは決定事項だ。決定事項なのだ。
故に魔女は握っている棒状の魔道具に力を流し、
「アルグスタ様が悲しむことは許しません」
棒を掴まれた。
魔女はハッとして視線を巡らせると、そこには“姉”がいた。
いつもとは違うその顔に“感情”を宿らせた姉が、流暢な言葉づかいで話しかけて来たのだ。
~あとがき~
前にリグの故郷で姿を現した真のノイエ。
別名、無負荷状態ノイエさんが姿を現しました。
この存在は作者さん的にはぶっちゃけアウトです。ストーリークラッシャーとしては三大問題児の1人であるアイルローゼに匹敵するほどの厄介な存在です。ちなみに残りの2人はノイエとあの人です。最近登場していませんけど。
何故厄介かと言うと…この状態でノイエが全てを語ると、この物語の謎が8割は解決しちゃうんです。厄介さが伝わるでしょう?
問題は基本時間制限付きだから普段は問題無いんですけどね。
それに今回は…
© 2024 甲斐八雲
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