さあ罪を犯そう
神聖国・都の某所
「左宰相様」
「どうした?」
「はい。皆が配置に」
「そうか」
彼はし続けていたスクワットを止め、全身に浮かんでいる汗を拭った。
現在居る場所は目立たぬよう事前に購入しておいた一般クラスの住人が暮らす家の1つだ。
比較的安価で購入できたのは建物の隣に隣家の家畜小屋があるせいだろう。糞尿の臭いが酷い。だがそんなものは気合で我慢だ。口から息をしていれば臭いなど気にならない。
鼻呼吸を忘れ黙々と鍛錬に明け暮れていた左宰相と呼ばれし老人は、色黒の肌を拭っていた布を椅子の背もたれに引っ掛けた。
老いはしたが肉体は仕上がっている。
これで最後だと思えば万全な状態と言える。どんな違法な物でも口に出来るのだから。
机の上に置かれている異国から手に入れた薬に手を伸ばし、彼はそれを煽った。
喉が焼けるように熱かったが、別に焼け爛れたとしてもかまわない。今日さえ乗り切れれば良いのだ。
「女王陛下は……あの子は無事だろうか?」
「ムッスンが居ります。あれが命を賭して守ることでしょう」
「そうであれば良いな」
不安はある。それでも任せるしかない。
「部族の方に連絡は?」
「はい。全部族が兵を集めておりますが到着には」
「構わんよ」
何より地方へと飛ばされた仲間たちに左宰相は感謝する。
仲間たちは飛ばされた地で面倒な仕事を自ら進んで行い信用を得て来た。その地に根付く覚悟で各々が使命を果たしたからこそ、地方の有力部族たち全員が協力を了承してくれたのだ。
「それで左宰相様」
長く仕えて来た部下の声に彼は片方の手を向け言葉を制した。
「その肩書はもう捨てるとするか」
「はい?」
「左宰相を辞めると言うことだ」
「……そうですか」
時が来たのだと部下は納得した。
やりたくもない左宰相の地位に就いた主は、ずっとその肩書を嫌っていた。
それでもその肩書を捨てなかったのには訳がある。女王アルテミスからの指示を守るため。何よりどうしても得なければいけなかった存在を手にするため。
「のう……ブゲイ」
「はい。ゴルベル様」
「……こんな時ぐらい父とは呼ばんのか?」
その言葉にブゲイと呼ばれた者はピクリと身を震わせた。
「自分は貴方様に拾われた身」
「ああ。だがそれでも」
「それに10しか離れていない貴方様を父と呼ぶには……せめて兄でしょう?」
「うむ。こんな時ぐらい『父』と呼ばれてみたくなっただけだ」
「本当に貴方と言う人は」
カラカラと笑い椅子に腰かけた左宰相……だったゴルベルは、大きく息を吐いた。
「もう私たちの故郷が地図から消えてどれ程になろう?」
「さあ? 20年ほどは数えましたが」
「そうか。そんなにか」
息を吐きゴルベルは壁の一点を見つめた。
「醜き偽者は何を欲していると思う?」
「たぶんですが不老不死でしょう」
「愚かなことだな」
ブゲイの返事に彼は頭を振る。
「人は人生に終わりがあると知っているからこそ『今』を全力で生きるのだ。その終わりを無くしてどうする?」
「ご自分が好きなことをして生きたいのでしょう」
「何だそれは? そのような些事のためか?」
ゴルベルは心底嫌そうな顔をし椅子の背もたれに背を預けた。
「どんなに美味い物も一年も食い続ければ飽きる。どんなに見目麗しい異性でも一年もすれば見飽きる。どんなに……そうして次から次へと新しい物を得ようとして人は頑張るのだ」
「まあ確かに」
「だがあの醜き偽者はその終わりなき欲を一生涯追い続けるのか? 呆れてものも言えんよ。どんな虐めだ?」
「ですがあれはそれを望んでいるとか」
「愚かしいな。馬鹿で醜き妹君は自分の欲に溺れ……まああれは昔から性根が腐っていたがな」
聞くにあの妹はその昔、実の姉に対して毒を使おうとした。
病気に見せかけ姉殺害して女王の地位を得ようと画策したのだ。けれどその企みは彼女自身の愚かさで失敗し、そして妹アパテーは己の顔を醜くさせたのだ。
強力な毒を求めた彼女はその毒の効果を試そうとし、自分の手により毒の瓶を開いた。
異国よりその毒を持ち込んだ商人は取り扱いの注意を何度も申していたそうだ。『瓶の中の毒の空気を浴びるだけでも危ない』と。
けれど彼女はその忠告を耳にしていなかった。
軽い気持ち……思い付きで実験を考え自らの手で瓶を空けたのだ。何ら対策もせずに。
結果として彼女はその顔を焼き、大怪我を負った。
怪我をした妹に同情したアルテミスは、自身を殺そうと企んだ妹を許したのだ。
「のうブゲイ」
「はい」
「人の美しさは内面より輝くものであると……誰の言葉であったか?」
「確か三大魔女の1人、刻印の魔女かと」
「そうか」
本当に三大魔女と呼ばれし者たちは良い言葉を多く残している。
それを知り……己の心に、己の胸に刻めば、人はどんなにも立派な行いが出来るはずなのだ。
「女王は、あの偽者は殺す。我らの手によってな」
「はい。ですが」
「分かっている。あれはきっと神聖国の宝をその身に宿しているはずだ。それか隠しているのだろうな」
本当に厄介なことだ。あれが無ければ女王の遺児であるアテナは女王にはなれない。
大国と呼ばれる神聖国の女王が『自称』では恥ずかしすぎる。
「……ゴルベル様」
「何だ?」
「サーブがあれを手にしている可能性は?」
「無いな」
断言できた。ゴルベルはその可能性はほとんどないと睨んでいた。
「あれは歴史やしきたりよりも自分の欲を優先する」
「ですが他国からは?」
「構わんと思うだろうよ。自分が強ければしきたりなど捻じ曲げられると信じている。その類の愚か者だ」
ただそんな強硬的な姿勢を歓迎する者も出るだろう。
『自称』の王国はこの大陸には何個も存在しているのだ。
「それにサーブはアルテミス様とは疎遠であったからな。あの馬鹿は何も知らないのだ」
「知らないとは?」
座っていた椅子から立ち上がりゴルベルは軽く背伸びをした。
筋肉が更なる刺激を求めているが、今は我慢してもらうほかない。そろそろ時間なのだ。
「これから我々が行うことをだ」
覚悟を……ずっと前から決めていた覚悟を実行に移そうとする人物に彼は視線を向けた。
「……我が主よ」
「言うなブゲイ」
「ですが」
「良いのだ」
苦笑しゴルベルは見つめていた壁……に貼られていた地図の傍まで歩みを進める。
追うようにブゲイも歩き、主人の傍らに立った。
「醜き女王は我らがこんな愚かなことを実行するとは思ってもいないだろう。そして無知なサーブは我らの企みを知っても動くことができない。知らないのだからな」
「はい」
「だが我らはするのだ」
そっと手を伸ばしゴルベルは地図上の一点を指さす。それは神聖国の都からほど近い場所だ。
神聖国を地図上で見ればその形は少し歪だが台形をしている。
上にも下にも国はあるが、神聖国は横に伸びた国だった。
「この地に封じられし存在を解き放つ」
「……都はさぞ混乱するでしょうね」
「分かっている」
自分たちの祖先がどれほど多くの罪を重ねて来たのかをゴルベルは知っている。
そして自分たちもまた罪を重ねて来たのだ。
「償いにはならないだろうな」
「はい。残念ですが」
だが仕方ない。
この封印を解かない限り、神聖国は豊かにはならないのだから。
「歴代の女王とその忠実なる者たちの努力の結晶を、この最も力無きものが実行することになるとは」
「ええ。ですが名は残せると思います」
「大罪人としてであろう?」
これから始めることは、神聖国の開国以来もっとも大きな罪になることは間違いない。
「ええ。ですが我々はその罪を犯すために今まで頑張って来たのです」
「そうか……そうだな」
そっと指を動かしゴルベルは地図上のある一点を指さした。
「覚えているか?ここに我らが住まう村があったんだ」
「はい」
「懐かしいな」
「はい」
涙ながらに頷くブゲイにゴルベルは笑いかけた。
「地図から消えた我らが村を今度はこの地上から完全に消し去ることとしようか」
「……ですね」
鼻を啜る相手の肩にゴルベルは手を置いた。
「さあ罪を犯そう。全身全霊を持ってこの国に厄災を呼び起こしてやろう」
~あとがき~
あれ? 左宰相の名前って出し忘れてた? まっ良いか。いつものことだw
いつも思うにこの物語の登場人物たちって本当に自分が向けた視線の先しか見てないな。
結果として各々が勝手に動くから一体感なんてありはしない。
神聖国の国土が『荒野』が大半の理由がぼちぼち明かされます。
にしても…残る言葉だけは立派な刻印さんなのですwww
© 2023 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます