こっちはまだ空腹

 神聖国・アブラミ領主屋敷



「満足」

「ノイエさん?」


 これでもかとお腹を膨らませたノイエに何とも言えない視線を向ける。


「……赤ちゃん」

「食べ過ぎなだけです」

「むぅ」


 ポッコリお腹を摩ってソファーに横になっているノイエが不満げだ。

 君の場合はあと少しすれば、そのお腹は元に戻るでしょう?


 何故かノイエがアテナさんの太ももを枕にしている。

 彼女もお客様である僕らのことを察し、ノイエの我が儘に笑顔で従ってくれているので大助かりだ。


 ただアテナさんの『このお腹は大丈夫ですか?』と言いたげに僕を見ている。

 心配無用です。ウチのノイエは下手なフードファイターよりも良く広がる胃袋を持っているみたいです。そしてその消化能力は破格なので。


 食べ過ぎて膨らんだ胃袋を修復しようと祝福が発動し、魔力を消費して空腹になって行く。

 詐欺だな。それもノイエの都合の良い詐欺だ。


 まあ今日のノイエの我が儘は大目に見るしかない。


 彼女には夜明け前にユニバンスに向けて転移魔法で手紙を送って貰った。無駄遣いとも言えるが、決して無駄ではない。僕がこっちに来てから仕入れた情報の全てと、少数精鋭で動くであろう神聖国の行動を封じるプランをしたためた。真面目に仕事をしてしまったよ。


 おかげでノイエが空腹となった。手持ちの食料を使い紛らわせてはみたが誤魔化せはしない。飢えたノイエを連れて領主屋敷の食堂を占拠してから……色々とあったな。

 結果として分かったことは、ケツ顎が苦手と掌底怖いか。僕は朝から何をしていたのだろう?


 ノイエのことはアテナさんに任せ、中庭に出る。

 木陰に置かれている椅子が何となく僕を呼んでいる気がしたのだよ。


 椅子に腰を下ろして大きく息をする。

 別にのんびりしたいわけではないのだけど、のんびりな時間になってしまった。

 理由は簡単だ。まだ僕らの今後が決定していないのだ。


 ハウレムさんは僕らを置いて仕事をしている。

 厳密に言えば中央から矢継ぎ早に来ている書状や使者の対応だ。食事後すぐにアテナさんの友達の振りをさせたポーラを向かわせ情報収集させてみたが、どうやらあのオッサンは大変優秀らしい。

 書状などを流し読みしながら、あの手この手で交渉して来る使者たちを上手に受け流しているとか。


『兄様。この家族は使えます。連れ帰りましょう』と熱弁を振るうポーラの姿にも納得だ。

 あのオッサンは普通に使えそうな気がする。ただこの家族と言う部分がどうも引っかかる。オッサンが優秀なのは認めよう。だがご夫人は……是非とも連れた帰りたいと? つかいつの間にやって来たの? ポーラさん?


 椅子に腰かけていた僕の傍にポーラが姿を現していた。

 音もなく茶の準備が済んで紅茶が淹れられていたことにはビックリだ。


 で、あのご夫人の何が君の琴線に触れた? あの掌底は素晴らしい? きっと叔母様が見たら学びたがる? これ以上ユニバンスに悪しき武術を広げないように。

 何より女相撲を古武術にした犯人は君の中に居るのだろう? 白状したまえよ?


『笑止! 私じゃないわ! 始祖よ!』


 止めなかった君も同罪だ。つかどうせ喜んで後押ししたんだろう?

 だからこっちを見ろ。キス顔で迫って来ても許さんぞ?


 ワシッとポーラの額を掴んでキリキリと締め上げたら全てを白状した。


 昔々とある魔女たちが酔っぱらい、自分たちを神のように慕っていた部族の女たちに相撲を取らせて遊んだとか。

 男でしなかったのは……もう少しオープンな女性たちを作ろうとした努力の一環らしい。


 オープンの趣旨を間違えていないか? ぶっちゃけ百合の園を作ろうとしたと。

 何故だ? 百合が好きだから? 納得したよこんちくしょう!


 ポーラのモチモチの頬を左右に引っ張って一応躾はしておいた。

 問題はポーラを躾けても意味が無い。僕としては悪魔を躾けたいのだが……僕の袖を引っ張ってどうした悪魔? こっちに来いだと? 全くこの我が儘ちゃんは人の苦労を考えないな。


 はいはい。そっちで良いの? そんな物陰で何を企んでいる? 他人には見せられない? その水晶玉が? だから……それってもしかしてあれですか? 幻のあれですか?


 一回落ち着け僕よ。この悪魔の言葉を素直に信じるのか? もしかしたらシュシュの痴態とか言って背中を掻いている姿とかだって有り得る。つまり過剰な期待はするなと言う、


『ダメだぞ……旦那君……そこは』


 本物でした!

 これぞ僕が求めていたモノです。メイド姿のシュシュがそんなことを!

 ヤバい。興奮が止まらない。大興奮時代だ。今の僕なら七つの海を制覇できるに違いない。


「アルグ様。何してるの?」

「……」


 全力で覗いていたら、隣に来ていたノイエも一緒になって覗き込んでいた。


 えっとこれは……君のお姉ちゃんがこっそりとスカートの端を噛んで色々と我慢している姿です。他人には見せられない姿です。僕だから許される物です。


「アルグ様」

「はい」

「する?」


 ノイエさん。迷うことなくワンピースの肩紐に手を掛けないで。脱ごうとしないで。

 場所を考えようか? この場所は物陰で周りからは完全な死角なんだよ? そんな場所で君は何がしたいと?


「する」

「する気になってしまった!」


 上半身を露わにしたノイエがグイグイと迫って来る。

 だがここはハーレムさんのお屋敷。女中とか下働きの人とか……そう言えば今朝から姿を見ていないな。日中はお休みなのかな?


「いただきます」

「いただかないで!」

「大丈夫」

「何が?」

「こっちはまだ空腹」

「どっちが! ノイエさん? ノイエさん? あっ」




 ユニバンス王国・王都王城内



「それでフレア」

「何でしょうか?」


 先代メイド長に声をかけられフレアは自然と首を垂れる。


「ラインリアの馬車は?」

「準備は終わっています。いつでも」

「ならもう少しこのままで良いでしょう」


 孫を抱きしめ上機嫌な前王妃は、座る場所をソファーに移している。

 現王妃を足置きにし、ソファーで横になっている彼女は孫と一緒に寝ていた。


「体が弱い割には張り切って……全く」


 困った様子でどうにか立ち上がったスィークは、タオルケットをフレアから受け取るとそれをラインリアにかぶせた。

 抱かれているエクレアの顔が隠れてしまうが、タオルケットが顔にかからないように配慮されている。


「そもそも誰がこれに声をかけたのですか?」

「誰も掛けていないかと」

「ならどうして?」

「メイドたちの立ち話を盗み聞きしたのでは?」

「それが王妃だった者がすることですか」


 それ以上に王妃に見えない現王妃の尻を叩き、スィークはまた椅子に戻ると腰かけた。


「先生。足の具合は?」

「ヤブ医者が言うにはもう終わっていると」

「……」


 ユニバンスで最も腕の立つ医者……その人物が言うからには、それが事実であるとフレアは理解した。

 故に何も言えなくる。事実なだけに。


「仕方ありません。わたくしも昔から自分の身を顧みず無茶ばかりしましたからね」


 そっと息を吐いてスィークは自分の足を見た。

 もう自分の祝福には耐えきれない。日々の生活でも苦労する足だ。


「ですがわたくしと一緒に各地を巡った足ではあります。これぐらいで終わることは無いでしょう」

「また走れると?」

「わたくしは常に走っております」


 笑いスィークは窓の外へと視線を向ける。


「何よりわたくしがこの程度で終わると?」

「そうでしたね」


 クスクスと笑いフレアも肯定する。

 子供の頃から周りの人たちに怖れられていた人物。ただ間違ったことをしていなければ決して怒ることは無く、正しいことをしていればちゃんと褒めてくれる人だった。


「それでフレア」

「はい」

「アルグスタからの依頼の件ですが」

「はい」


 師である人物に対しフレアは笑顔で首を垂れる。


「喜んで協力させていただきます」


 迷うことなく返事をする弟子にスィークは優しく微笑みかける。


「そうも協力的なのは、彼の手紙のあの文章が原因ですか?」

「そうかもしれないですね」


 素直に認めフレアもまた窓の外へ視線を向ける。


 今のユニバンスの王都上空には守護者たる人物の姿は無い。

 替わりに天を覆うような分厚い雨雲が広がっているだけだ。


「貴女にも母性があると言うことですか?」

「これでも娘を持つ身ですので母性はありますが……」


 師の問いに、フレアは何処か思い出し笑いのような笑みを浮かべる。


「姉の心境ですかね」

「そうですか」


 相手の返事にスィークはアルグスタの人の本質を見る目を再確認した。


 彼はただフレアに対し、手紙の中でこう綴っていた。

『ノイエのお姉ちゃんなら手伝ってくれると思うんだけど?』と。




~あとがき~


 シュシュの恥ずかしい映像は…まあそういうものでしたw


 フレアが協力的だったのは、アルグスタが何気なく書いた文章のせいです。

 まあフレアもあの手のかかるノイエの面倒を見て来たという自負もあります。

 何より、ノイエを嫌ってなどいませんから…まあ釣られるわけです




© 2022 甲斐八雲

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