よく忘れることがある

 ユニバンス王国・王都郊外北側街道



 よく忘れることがある。ウチのペットたちの存在だ。


 ロボは常に屋敷に居てずっと箒とちり取りを手にして掃除をしている。

 メイドさんたちからは『寝ずに働く便利な存在』として愛されている。一番愛されている理由は床を這う虫たちを恐れずに駆除するからだろう。


 ただ天井の隅に巣くう蜘蛛は強敵らしい。ロボがその存在を見あげては悲しそうな表情を浮かべていると報告がちょいちょい届いている。だがアイツに表情は無い。メイドさんたちが蜘蛛の相手をしたくないからどうにかして欲しいと言うのが本音だろう。流石に知らん。

 長い棒でもロボに手渡せと意見したら、それだと生きた蜘蛛が一緒について来ると反論された。蜘蛛は害虫では無くて益虫なんだけどね。


 で、もう一匹のペットがニクだ。ニクのリスだ。リスのニクか。どっちだ?

 今も目の前に居るのにその存在をスコーンと忘れてしまう。


 普段のコイツは宝玉の1つを抱えてポーラの後をついて回っている。

 余りにも自然と金魚の糞をしているので存在を忘れることがある。どうしてポーラの後ろをついて回っているのか……たぶん飼い主がファシーだからだ。


 ニクはファシーの獣魔だ。そしてファシーはポーラの姉的存在だ。

 妹の身を心配するファシーが、ニクを常に傍に置いていると考えるのは僕の穿ち過ぎだろうか?


「で、真実は?」

「私の傍が安全だからじゃないの?」


 現在悪魔モードのポーラは足を組んで窓の外を見ている。

 馬車の中で悪魔が気兼ねなく偉そうにしている。理由は簡単。他に僕とノイエしかいないからだ。


 今日の御者はコロネだ。サポートにミネルバさんが付いてて……2人は馬車の外に居る。だから悪魔は何も気にせずに外に出て来るのだ。


「安全って?」

「安全でしょ? 三大魔女の傍らよ? 誰がどう考えてもこれ以上の安全な場所は無いと思うけど?」

「でもどこぞの悪魔はたまに自爆してません?」

「あん? 演技よ」


 小さな胸を張ってそう言い切ったよ。

 だからノイエさん。張り合わないであげてください。君の方が遥かに大きいのは分かっていますから。


「まあ生き物って自然と安全な人物を見抜く才能があるのよ」

「ふ~ん」


 そんなもんか。


 宝玉を抱きしめてポーラの隣にチョンと座って居るニクに手を伸ばし呼んでみる。するとノイエも真似をして……ニクは黙ってノイエの方に歩き出した。


「だがしかし! 誰に媚を売るべきか理解していないようだな! このニクはっ!」


 安全で考えれば確かにノイエだろう。でも僕はドラグナイト家の当主である。

 それを忘れてノイエに甘えるなど……お前を今夜の夕食にしてやろうか?


「だから動物って素直だって言ってるでしょう?」

「何がよ?」


 僕の心を見透かしたような……そんな目を悪魔が向けて来る。


「逆らっちゃいけない相手には絶対服従。それが生き物の本能なのよ」


 諭すようにそんなことを言われた。




 王都郊外ドラグナイト邸



 馬車が止まると同時に宝玉を抱えたリスが飛び出して行った。


 僕が本気で夕飯のメニューにしてやろうかと企んでいたことを察したに違いない。

 まあ今日の所は許してやろう。だからニクよ……甘えて来るノイエさんを引き剥がす手伝いをしてくれてからでもいいと思うんだ。どうして迷わず逃げた?


「今夜も頑張る」

「君は雨期になるとそればかりだな?」

「気のせい」


 決して気のせいでは無いのだよノイエさん。

 毎晩のように求められるこっちの身にもなって。君がとてもエロいから僕は本気で拒絶できないし。

 こんな綺麗で可愛くて愛らしいお嫁さんの存在が体に悪いだなんて僕は知りませんでした。


「だからまず馬車を降りて」


 一足先に馬車を降りたポーラも助けてくれない。

『はいはい。いつものですね。お風呂と食事の準備をしておきます。それとも真っ直ぐ寝室ですか?』と言いたげな様子で馬車を降りていくのだ。


 ミネルバさんも馬車の中を覗いては顔色一つ変えずに離れていく。

 唯一免疫が無いコロネだけが中を覗いては顔を真っ赤にして馬車の扉を閉めて逃げていく。

 その行為が僕の脱出経路を失わせる結果となるので……ある意味彼女は継続して僕の暗殺を実行しているとも言える。このままだと衰弱死してしまうよ。


「ほらノイエ。まずは馬車を出て」

「はい」


 馬車を出ることをノイエが納得してくれた。

 ただし僕の腕に肘を回して完全にロックだ。愛されているのだと考えれば悪くはない。むしろ嬉しいぐらいだけど……この後を考えると少しだけ憂鬱だ。


 並んで馬車を降りると僕の足が自然と止まった。


「お帰りなさいませ。旦那様。奥様」


『誰?』と一瞬出かけた言葉を全力で飲み込んだ。

 相手が誰であるのかは知っている。その姿形は忘れようがない。


 長くて艶やかな髪は本当に芸術の域まで達していると思う。

 整ったその顔は間違いなく異性を引き寄せるほどだ。そして何より大きな胸が……今日は窮屈そうな服によって大人しくしている。

 清楚という言葉が当てはまって移動しないその姿は、まるでどこかの貴族の御令嬢だ。


「ホリー?」

「はい。旦那様」


 キラキラと効果音が聞こえてきそうなほど優しく微笑んでる。

 美人だから物凄く良く似合うんだけど……逆に何故か怖い。


「だ」

「だ?」


 内心で恐怖する僕の口からこぼれた声にホリーは小さく首を傾げた。


「誰か~! 医者を! 急いでリグを呼んで来て~!」


 恐怖の余りに叫んでいた。

 自分が恐ろしい失敗をしていると分かっているけど叫んでいた。


「もうアルグちゃんったら」


 しかしホリーはクスクスと笑う。お姉さまのような清楚な感じでだ。


「冗談が過ぎるわよ? そんなこと言うとお姉ちゃん、怒っちゃうんだから」


 その言葉に玄関前で待機していたポーラとニクが静かに逃げ出した。

 待ってよ妹よ。お兄ちゃんを見捨てて何処に逃げるの? そしてニクよ……お前の本能はたぶん正しい。ポーラの傍が一番安全なのかもしれない。


 笑い続けるホリーが僕の正面に来て、スッとその表情を無にした。


「良いから黙って屋敷に入りなさい」

「はい」


 彼女の本性を見せつけられて……僕は大人しく先行するホリーの後に続く。

 気づけば僕の腕に抱き着いていたノイエも居ない。あの姉妹は本当に危険回避がお上手ですね。




 入浴から食事へのコンボの間……ホリーは普通にお姉ちゃんだった。


 お風呂場では髪をアップにして肌を大きなバスタオルで隠し、ノイエの体を洗う。

 次いで僕の順番になって覚悟を決めて彼女の前で座るが……普通に洗われただけだ。そのままポーラも洗い、何故か待機していたコロネを捕まえて来て洗いだした。


 ホリーとしてはコロネの義腕に興味を持ったのかもしれないが、僕の前で全裸に剥かれて洗われたコロネは……何よりホリーの大きな胸を見せつけられて色々と絶望してしまった。

 そのまま自分の部屋に引きこもり、すすり泣く声だけが響いていると報告を受けた。


 コロネという脱落者が生じたが、それでも時は無情にも流れる。次なる試練は食事だ。

 ただここでも予定外の展開が待っていた。本当に穏やかな家族のような時間が過ぎるのだ。

 ノイエの世話を焼き僕と会話を楽しむ……本当にホリーなのか不安になるほどお姉ちゃんしている。

 その様子についつい気が緩みそうになり、その度に太ももを抓って痛みで何かを堪えた。


 分かっている。これが夢や幻の類だと僕は分かっている。

 だってホリーの本質は肉食獣だ。それもピラミッドの頂点に君臨する絶対的な王者だ。敵は老いだけの存在なのだ。


 彼女は僕が隙を見せるその瞬間を待っているに違いない。

 きっとこのまま寝室へと誘われて、


「今夜はノイエと2人で寝るから旦那様は別室でね」

「……はい?」


 3人で寝室へと向かい告げられたホリーの言葉に僕の中で何かが崩れた。

 あのホリーがノイエと2人だと? 実はこれは偽者なのか?


「お姉ちゃん?」

「甘えた声を出してもだ~め。今夜はノイエと2人っきりなんだから」


 そう言いながらホリーはノイエの背を押して僕らの寝室へと入って行く。


「お休みなさい。アルグちゃん」


 片目を閉じて小さく笑ったホリーが扉を閉める。

 僕は自分たちの寝室の前で……途方に暮れるのだった。




~あとがき~


 ロボは常に屋敷に居ますが、ニクの方はポーラの尻を追っています。

 ただいつもいつもニクが居ることを書くのも怠いので、割愛していますけどね。


 そんな訳でホリーですが…何かいつもと雰囲気が違うんです。どうした?




© 2022 甲斐八雲

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