羽根ペン先生

「シャー」

「……」


 魔眼の中枢で猫とファナッテが睨み合っている。

 時折ファシーは床を蹴って場所を移り相手の隙を伺っているように見えるが、実際は自身に迫る毒から逃れているのだ。


 ただファナッテも中枢を毒で満たす気が無いのか、揮発性の強い強力な毒しか使っていない。吸えば一瞬で人が絶命する程度の威力だ。


「ねえホリー」

「……」

「外の話はちゃんと聞いてる?」


 猫とファナッテの争いに気を向けながら、その耳は外の会話にも傾けている。

 正直忙しいが、唯一の仲間であるホリーが延々と『頑張れ猫。その泥棒猫を殺せ』などと呟いているのだ。猫に猫を殺せともうどっちの猫か分からなくなってくる。


 ただその様子から絶対に外の会話に耳など傾けていないはずだとセシリーンは判断していた。けれど相手の返事はとてもあっさりとしたものだ。

『聞いてるわよ。馬鹿の寝言でしょ?』とのことだった。


 セシリーンはホリーの評価を一段階上げた。

 やはりこの殺人鬼は規格外だ。人として何か別の能力を持っているとしか思えない。


「私はミジュリたちのことを余りにも知らなかったみたいね」


『なら知って同情でもした? 違う猫。そこで相打ち覚悟で突っ込め。死んでもその泥棒猫の喉を食い破れ』


「ウチの可愛い娘を死地に送ろうとしないでくれる? それに猫猫ってもうどっちか分からないわ」


『どっちも泥棒猫だったわね』


「流石に気を悪くするわよ」


 セシリーンは少し呆れながら、自身の足を引き寄せそれを抱いた。


「ミジュリは復讐に飲み込まれているのね。それを察していたアイルローゼは……だから彼女を融かしていたのね」


『ただ単にあの澄ました様子が嫌いだったんじゃないの? それにあの魔女は胸の大きな女性を毛嫌いしているし。そうよ猫。その胸を抉り取ってしまえ』


「それだとリグが常に溶けているわよ。アイルローゼは胸の大きさで人を襲ったりはしないわ」


『そうかしら?』


「ええ。最近の彼女は自分の胸が小さくても深く愛してくれる人が居ると理解したから」


「ニャッ」

「……」


 争っていたファシーとファナッテが同時に歌姫を睨んだ。

 一瞬顔色を悪くしたセシリーンは静かに笑って自分は無害だと2人に示す。


『言葉に気をつけた方が良いと思う』


「2人に声が届かないからって好き勝手言えるホリーが羨ましいわ」


『これでも気を抜くと死んでしまうから大変なのよ』


「気を抜かないなら死なないということは、もう数日で蘇生できるわね」


 経験則からセシリーンはそう判断した。


『ただミジュリは言葉を間違えたわ』


「それは?」


『アルグちゃんにアイルローゼを殺したことを告げた』


「そうね」


 聞いていたからセシリーンも知っている。

 故に気持ちを彼に向けると……確かにホリーの言う通りだ。

 らしくないほど彼の心が波立っていた。あの可愛い妹が狙われていると知った時よりも刺々しくは無いが。


『さあ見物よ。アルグちゃんがあの馬鹿女をどうするのか……そこよ猫! その泥棒猫の心臓を抉る一撃を!』


「ホリー。少しは落ち着いたら?」


 やんわりとそう告げセシリーンは、断腸の思いで自分の意志を外に向けた。

 我が子はきっとあんな毒娘に負ける訳はないと信じて。




 ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸



 僕はきっと今まで生きて来た中で一番悲しい時を過ごしている。

 自分が最も愛する人を傷つけるだなんて……なんて悲しいことをしているのだろう。


「もうっやめっ! ……シーツを捲るなっ! ひゃあん!」


 相手の言葉に対し心の中で耳を塞ぐ。


 今の僕の心は死んでいる。どうして人はこんな酷いことが出来るのだろう?

 愛している人の尻を打つだなんて……途中からムクムクとヤバい感覚に襲われて手が止まらないのです。


 愛している人のお尻を叩く行為がこんなにも興奮するとか僕って終わっていますか?


 と言うか普段のノイエなら無表情で叩かれたい放題だろうから、彼女のリアクションに反応しているのだと思いたい。


「ちょっと! それはダメ! 下着は……変態っ!」


 最終装備を解除して直接愛する人の尻を叩く。

 ああ……とても悲しい。とっても悲しい。僕は今愛する人の尻を叩いている。


「もう少し強めに叩いても平気?」

「この変態っ! なに興奮して、ひゃぁん!」


 口答えなど許しません。今の僕は心を殺してノイエのお尻を……あれ? ところでどうして彼女のお尻を叩いていたんだっけ?

 良く思い出せ。確か理由があったはずだ。


「本当に痛いって! 痛いの! もう少し優しく……人の話を聞いてよ!」


 煩い黙れ。喉元まで出ていた理由が引っ込んだじゃないか。

 確か叩きだした理由は、


「ああ思い出した。アイルローゼだ」

「何を言ってるのよ!」

「躾の理由?」


 そう。これは躾です。良い子っぽいファナッテに命じて彼女を庇ったアイルローゼを殺害するように唆したミジュリに対する躾なのです。


 ただこのミジュリは挫けない。ずっと痛い目を見て来たせいか、痛みに対して決して挫けない。

 ずっと叩いていたら段々と僕の方が怪しい思考に走ってしまった。ちょっと反省。


「本当に君と言う人は謝るという精神を持ち合わせていないのね」

「……謝る? どうして私がそんなことをしないといけないのよ」


 お尻を丸出しにしてミジュリが睨みつけて来る。

 あれほど叩いたからか流石にノイエのお尻も真っ赤だ。


「お尻を突き出して強がっても格好はつかないぞ?」

「誰のせいよ!」


 コロッと転がりミジュリが仰向けになった。

 お尻をシーツに擦ったのか一瞬痛そうな表情を浮かべるが、直ぐにまた僕を睨みつけて来る。


「君は他人を睨むことしか出来ないのかね?」

「私のお尻をあんなに叩いておいて、睨まれないとでも思ったの!」

「ノイエだったらむしろずっと叩いてと自分からお尻を突き出してくると思う」

「あの子を変態扱いしないで!」


 事実だしね。ノイエは僕のことが好きすぎるから暴走しやすいのです。


「まあ僕がお仕置きをしても意味は無いんだよね。するなら先生が生き返ってから直接するだろうしね」


 アイルローゼはそう言う女性です。やられたら10倍返しを率先するタイプだ。


「生き返った先生に狙われ続けると良いよ」

「構わないわよ。復讐さえ済ませれば後はどうなっても」

「本当にそればっかな」


 仰向け状態でモゾモゾと動いているミジュリは、頑張って下着を元に戻そうとしている感じだ。

 恥じらいは持ち合わせているのに、許す心は持ち合わせていないらしい。


「なあ?」

「何よ」

「お前ってさ……夢とか無かったの?」

「何よそれ」


 どうしてそんな呆れた声を出せるのですか?


「少なくともお前だって何かしらの希望を抱いて魔法の勉強をしていたんだろう?」

「……忘れたわよ」

「そうか。なら仕方ない。羽根ペン先生の出番かな」

「アンタって奴は!」


 絶叫してミジュリがジタバタと暴れ出した。

 ただ僕が巻き付けたシーツから逃れることが出来ずに……しばらく暴れて動きを止めた。


「もう忘れたわよ」

「嘘吐け」

「良いでしょう。どうせもう叶わないのだから」


 諦めきった様子でミジュリがため息を吐く。


「それはどうかな? 意外とどうにかなるかもよ?」

「無理よ」

「言ってみなって」

「どうしてアンタに」

「羽根ペン先生」


 右手に掲げた羽根ペンに、ミジュリの表情が一気に蒼くなる。


「言った方が身のためだぞ?」

「本当に最低な男ね」


 この状況下だと誉め言葉な気がする。


「……私の故郷は西部にあってとても貧しかった。だから私は魔法使いとして有名になって、お金を得て故郷に還元しようと思っていた」


 以外とまともな夢でした。


「それぐらいなら今からでも」

「もう故郷は存在していない」

「……はい?」

「無能な貴族が重税を課して住人はそれに反発した。貴族は騎士と兵を派遣して……本当に馬鹿よね。貴族の見栄で私の故郷は皆殺しにされた」

「そっか~」


 何とも言えない過去である。


「だからかもしれない。私は貴族が嫌い」

「それは仕方ないね」

「……貴方、自分が貴族だと忘れていない?」

「僕って貴族の前に王族ですから」

「詭弁ね」

「褒めないでよ」


 心底呆れた様子でミジュリがため息を吐いた。




~あとがき~


 魔眼の中枢では猫対ファナッテの睨み合いが。

 ただ両者手詰まりで…本当に睨み合っている状態ですね。


 アイルローゼの恨みは自身が晴らすだろうと言うことで、主人公は色々とねじ曲がっているミジュリを躾けて正そうと試みています。

 躾です。大切な人のお尻を叩いてハイになっているとかそんな事実はありませんw




© 2022 甲斐八雲

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