私の国に居れば聞ける名前よ
ブロイドワン帝国・帝都ブロイドワン
日が沈み時は深夜となる。
夜空には月は無く、星だけが浮かんでいた。
静まり返った帝宮内を黒い影が走る。
人の気配は全く無い。無人の建物内を音も無くだ。
向かう場所は決まっている。
無人の場所であるが住んでいる化け物は……いつ寝ているのかも謎だ。もしかしたら寝ていない可能性すらある。
それなら短期決戦だ。一瞬で全てを決めて逃げる。
一気に駆け抜け化け物が普段使っている室内へと突入した。
気配は無い。最初から気配を発する存在ではない。人外の生き物だ。
だから迷わず足を動かす。
駆け抜けベランダへと出る。
日没前に確認した通り、その人物はその場所に居た。
息も絶え絶えで今にも死にそうなほど弱々しい状態でだ。
「だ、れ?」
「済まない。殺しに来た」
「そ、う」
ベランダで横たわる人物の声は何処か安堵した物だった。
故に飛び込んできた人物は動きを止めた。
無抵抗の対象者を殺すほど楽な仕事は無い。死を待ち望んでいる相手の暗殺など濡れ手に粟でしかない。
「抵抗しないのか?」
「この、状態で?」
軽く咳き込み相手は呼吸を乱す。
よくよく見れば褐色の……帝国では余り見かけない肌の色だ。
異国の人物なのだろう。そんな人物が『どうしてここに?』と疑問にも思う。
「何故そんなに死に急ぐ?」
腰に差している短剣に手をかけ、暗殺者は問う。
どうやらあの化け物は居ないらしい。ならば多少の受け答えは出来る。
野外であれば“祝福”を使い一気に逃げることも可能だ。だから余裕はある。
最悪あれは化け物だ。逃げられない場合は口の中に仕込んである毒を飲めば良いだけの話だ。
それが“ユニバンス”の暗殺者だ。昔から変わらない。
「死にたがっている人物の表情には見えないが?」
「……」
軽く咳き込み相手……女性は口元を歪めた。
「これは、私の、罪」
「罪?」
「ええ」
大きく息を吸い女性はまた口角を歪める。
「私は、見捨てた」
「誰を?」
「自分が仕えるべき人を、大切な王女を、可愛い従妹を」
自虐的に女性は笑った。そう笑った。
「だからこれは、私が背負うべき、罪」
「それは大層な理由だね」
静かに腰の剣を抜き暗殺者は身構えた。
「なら願い通りに刻んであげようか?」
「……それが私の罪ならば」
「違うだろう?」
クルリと手の中で短剣を回し鞘へと戻した。
「お前はただ望んでいるだけだ」
「……何を?」
「自分が『悪い』と言われることを、ね」
口元を覆っていた布を緩め、暗殺者は横たわる人物の近くでしゃがみ込んだ。
「大切な人を見捨てて逃げ出した。だからそれを罰することを望んでいるだけでしょう?」
「……」
「どうしてその人を見捨てた? 煩わしくなった?」
「ちが、う」
目を剥いて女性は自分を覗き込む相手を見る。睨みつける。
「私は彼女を愛して、」
「でも見捨てたんでしょう?」
「……」
「言うのは簡単ね。『愛している』となら場末の酒場で誰でも囁くわ」
スッと手を伸ばし暗殺者は横たわる女性の胸ぐらを掴む。
「ふざけるな。お前は何様だ?」
「私は」
「お前は何をした? それはいつの話だ?」
「いつって……10年も前の」
「だったらお前も相手も子供だったのだろう? 違うか?」
「それは」
「なら気の迷いは起こり得る事故だ」
掴んでいた胸ぐらを離し暗殺者は鼻で笑う。
「子供の頃は特にその傾向が強いと思う。人は幼いほど責任感が強くなる」
「責任感?」
「そう。お前もその相手を必死に守ろうと……そう自分に言い聞かせ続けたんじゃないのか? 子供ながらに必死で、それを自分に強く言い聞かせて」
「……」
胸の奥から何かが引き裂かれるような感覚を覚える。
女性は必死に自分の手を伸ばし相手を掴もうとした。
『どうしてそれを知っている?』と聞きたかったからだ。
「だから引き際を間違えた。限界まで庇い続けてどうにもならなくなってから逃げ出そうとした。結果としてお前は自分を追い詰めた。無様に心を病むほどにね」
「どうして……」
それを知っているという言葉が続かない。
相手の冷たく見下す視線に言葉を紡げなくなった。
「お前は少しは相手のことを考えたことがあるのか?」
「……」
「年下だからって相手のことを、守っている人物を勝手に弱いと考えていなかったか?」
「違う、の?」
「例外は居る。年下の存在が獣だと言う可能性だってある。私がそれだった」
「……」
「つまらない話よ」
それは本当につまらない話だ。
少女はずっと疑問に思っていた。どうしてこの“姉”は自分を守ろうとするのか? 自分より遥かに弱い存在なのに姉はいつも自分を守ろうとしていた。それが疑問だった。むしろ邪魔だった。
姉が居なければ何かが起きてもすぐに逃げられる。けれど居るおかげでそれが出来なかった。
あの日だってそうだ。姉に逃げろと何度も言った。
むしろ邪魔だから先に逃げろと言い続けた。
けれど彼女は……最後まで笑っていた。笑って『大丈夫。お姉ちゃんが守るから』と。
オオカミに噛まれ続けても彼女は必死に守ろうとしてくれた。邪魔だった。逃げられなかった。
先に逃げてくれていれば……その思いは姉の表情から生気が失われた時に激しく爆発した。
逃げるための力を攻撃に使った。激情のままに獣を獣が駆逐した。
全てを殺し思ったことは、どうしてこの姉は早く逃げなかったのか……そればかりだ。
逃げてくれていればこんな気持ちにはならなかった。
悔しかった。悲しかった。
年下だから、妹だから、だから守られた存在だった自分が。
「ちが、う」
弱々しい声が響いて来た。
暗殺者が視線を巡らせれば、ベランダに横たわる人物は泣いていた。
「違う」
「何が?」
問いかけに女性は大きく息を吸う。
全身の骨が悲鳴を上げたような気がしたがそれでもだ。
「きっと貴女のお姉さんは、貴女を愛していた」
「……」
「心から愛していた。だから先に逃げられなかった。愛している人をどうして見捨てられるの?」
「でも貴女はそれをしたのでしょう?」
返す刀で振り下ろされた言葉は、女性の心を激しく揺さぶった。
「……そうよ。そうした」
事実だ。それは隠しようのない事実だ。
そっとしゃがんだ暗殺者に女性は視線を向けた。
「疑われたのよ」
「何を?」
「王家の血を引く者が、生き残っているんじゃないのかって」
目を閉じて女性は顔を上げた。
「故郷を破壊し、封印されていた魔道具の中から、彼らは“あれ”を見つけ出した。そして必要になった」
「何を?」
女性の手が動き自身の腹部へと移動する。
「この中に封じられている、鍵が」
「……」
「これは私が死ねば機能しなくなる。そして私が妊娠すれば子供に移る。移るのは女の子に限るけれど」
「それであの化け物が貴女を生かしていたのね?」
「ええ」
クスリと笑い女性は顔を上げた。
「改めて殺したくなった?」
「そうね」
顔に巻いている布に手をかけ暗殺者はそれを引き剥がす。
現れた素顔は何処か幼さを感じさせる女性の物だった。
「でも殺してあげない」
「どうして?」
本当に疑問に思う女性に暗殺者……ミシュは微かに笑う。
「貴女には、ここで死んでおけば良かったと思う地獄を見せてあげると決めたから」
「何それ?」
「ただの予言」
ベランダの手摺りに足をかけミシュはその場から逃げ出す準備をする。
「で、身代わりさんの名前は?」
「自分は名乗らないのに?」
「私は犬よ。名もなきただの犬よ。わんわん」
「酷い話ね」
小馬鹿にしているようにも見えるが、相手はこんな魔窟にやって来た人物だ。
きっと普通じゃないのだろうと納得した。
「私の名前はリグよ。リグ・イーツン・フーラー」
静かな声にミシュは鼻で笑った。
「良く聞く名前ね」
「本当に?」
「ええ。私の国に居れば聞ける名前よ」
上司のおかげでミシュはその名を良く知っていた。
~あとがき~
その頃帝都では…と言うことで暗殺者ミシュの出番です。
マリスアンが殺さない女性を暗殺するために出向きましたが…シリアスさんが帰ってきましたw
そして明かされたミシュの過去。
自分よりも弱かった姉がどうして逃げなかったのか?
答えは…
(C) 2021 甲斐八雲
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