きっと長生きするわよ

 ブロイドワン帝国・帝都ブロイドワン



「あら? 野良犬の気配があったのだけど……逃げ足の速い」


 ベランダへと来た魔女は姿を消していた存在に苦笑する。

 本当にあの国は厄介な人材を多く抱えている。ユニバンス王国は国が小さいだけで決して弱い国ではないと改めて痛感させられた。


「それでこの死にぞこないは野良犬と何をしていたのかしら?」


 覗き込むように身を折る化け物に……“リグ”はニヤリと笑った。

 今までに見せたことのない表情に魔女は眉間に皺を寄せる。


「何の笑みかしら? それは?」

「ええ。希望を知ったから……死ぬのが怖くなったの」

「怖く?」

「ええ。だから今は殺されないように貴女に媚を売ろうかと」


 相手の言葉に体を起こし魔女は笑う。


「気が変わったというのね?」

「そうよ。だから手当てを欲しいの」

「手当て?」

「ええ」


 口角を上げてリグは笑った。


「鍵を使うまでは無事に生かして欲しいのよ。これは我が儘かしら?」

「……」


 冷たい視線を向けて魔女は小さく頷いた。


「分かったわ。でも分かっているわよね?」

「ええ。時が来たら私を殺すのでしょう?」

「その通りよ」


 また身を折って魔女はリグの腹の上に手を置いた。


「ここからあれを動かす鍵を奪い取り発動させる」

「それをされれば私はきっと死ぬわ」

「ええ。だからそれまでは生かしてあげるわ」


 魔女は長い舌を伸ばし蛇のようにリグの頬を舐めた。


「野良犬が来ることを許してあげるわ。どうせ貴女たちはこの場所から逃げられないのだから」


 身を翻し魔女は“亡国の王女”に対し肩越しに目を向ける。


「貴女はここで死ぬの。あと数日で確実にね」


 告げて魔女は暗闇の中へと姿を消した行った。




「だからそう思い通りに進むのかな~」


 魔女が消え全身を冷や汗で濡らしたリグは、その声に青白い顔を向ける。

 恐ろしい化け物が姿を現す前に消えていた自称野良犬が、また姿を現した。


「あんな化け物に貴女は勝てるの?」

「あっ私は無理無理。流石にあれには勝てないわ~」


 あの魔女は規格外の化け物だ。一度殺したはずなのにまた復活して来るのだから始末に負えない。何をどうしたら勝てるのか逆に教えて欲しいぐらいだ。


「でもこの世界にはあんな化け物を手玉に取って遊びだすふざけた夫婦が居るのよ。貴女の大好きな人を匿っているふざけた存在がね」

「何その化け物……本当に怖い」


 汗で濡らしたこともあり、リグは大きくその身を震わせた。

 そっと布を取り出したミシュはその布で相手の体を拭いだす。


「あら酷い。色んな意味で」

「……ずっと牢獄に居たから」

「そう」


 それ以外にも女性の体には複数の傷跡が見えた。

 暴行を受けたのであろう傷跡だ。死ななければ何をしても良いとされていたのだろう。


「妊娠はしなかったの?」

「嫌なことを聞くのね。孕むとお腹の中の鍵が移るからと」

「別に構わないでしょう?」

「そうね。その乳飲み子が長生きすれば良いのだけれど」

「納得した」


 生まれた子供が長生きする保証はない。だったら今大人である彼女を長生きさせた方が良い。


「だったら暴行した意味が分からないわね」

「ええ。最初は私の重要性を誰も知らなかったから。私自身も」

「また納得よ」


 体を拭い終え、ミシュは次いで傷の手当てを始める。

 戦場に赴いた経験もあり、ミシュはひと通りの手当てを習っていた。

 応急処置でしか無いが、何もしないよりかはマシだ。


「食べ物は?」

「硬くないパンが欲しい。カビの生えていない干し肉が欲しい。ゴミの浮いていない水が」

「ユニバンス王国王都名物の焼き菓子ならあるわよ」


 ガシッとミシュは相手に両手を握られた。


「ぜひ」

「……貴女はきっと長生きするわよ」


 もう死にたがっていた女性の姿はそこには無かった。

 絶望を希望に変えた彼女は、ただただ一瞬でも長く生きようとしている。

 本当に見上げた根性だ。


 苦笑し、ミシュは持って来た背負い袋の中から箱を取り出す。

 前上司の執務室から大量に勝手に頂いた菓子箱の1つだ。


「飲み物はワインしかないんだけど……死んでみる?」

「本当に死ぬかもしれないから遠慮する」


 包みを破いてリグは箱を開ける。所狭しと並ぶ菓子を手に取りリグはそれを頬張り出した。


「そんな勢いで食べると……へいへい。水よね」


 喉を詰まらせ身もだえだした女性に、ミシュは呆れて急いで水を求め移動した。


「あれは本当に長生きしそうだわ」


 あと余命数日のはずの女性のはずだが、ミシュにはそうは見えなかった。

 しいて言えば、前上司の通じる精神的な図太さを感じる。


「まあでもあと数日よね……」


 きっと彼女はあと数日で、『今日死んでおけば良かった』と後悔するはずだ。

 あの夫婦は本当に容赦ない。容赦なく根底から色々をひっくり返すのだから。


「うん。仕方ない。一緒に地獄を味わう仲間は1人でも居た方が良いしね。うん」


 何度も頷いてミシュは水入れを抱えベランダへと戻った。




 ブロイドワン帝国・旧フグラルブ王国領地下室内



『ごめんなさい。これを聞いているのが我が子のリグとは限らなかったわよね』


 泣き終えた女性の声が落ち着いた様子で新たに言葉を紡ぎ出した。


『もしお聞きになっているのがリリアンナ王女様でしたら、どうか王家の決まりを守りこの国に封じられている全ての魔道具を消滅させるように動いてください。その為の鍵は貴女のお腹の中にあります。そして実行するためには……ゴホッゴホッ! カハッ!』


 ビシャビシャと嫌な音が響いた。液体をぶちまけたような生々しい音だ。

 そして音声は、ヒューヒューと水分多めの呼吸が続く。


『……もう限界みたいです。王女様。ごめんなさい』


 今にも消え入りそうな声がようやく聞こえて来た。

 ガタガタと全身を震わせる“リグ”をアルグスタは優しく抱きしめ続ける。


『ですが王家の決まりを忘れずに実行してください。それが我々フグラルブ王家に連なる者の宿命なのですから……』


 深い深いため息が聞こえ、最後に聞こえてくるのた2人の名を呼ぶ優しい声だった。


『リリアンナ……リグ……どうか……幸せに……どうか……』


 ブツリと音が止まり静寂が辺りを包み込んだ。




「で、だ」


 優しくリグの……リリアンナらしいリグの背中を撫でる。と言うかもうリグで良いでしょ?本物のリグが生きているかも分からないんだしね。


「結局王家の宿命って何よ? ここに封印されていた魔道具を消滅するってどうやって?」

「教えてあ~げない」


 椅子から飛び降りた悪魔がクルクルと回り出す。

 何故か両手にはリグのお腹から回収したらしい鍵を持っているのが気になる。


「おい悪魔。正直に言え」

「いやん……言って良いの?」

「何を言う気だ?」

「ウチのお兄様は絶〇野郎だって、ありがとございますっ!」


 真正面から放り投げたハリセンを食らい、馬鹿が一匹静かになった。

 決してそんな事実はない。僕が本当に選ばれた存在であればホリーたちに負けたりしない。そうだろう?


「アルグ様」

「なに?」

「ぜつり、」


 手を伸ばしてノイエの口を塞ぐ。君からその単語は聞きたくない。


「夜の営みが強いって証拠だよ」

「お~いリグさん?」

「ん」


 泣き止んだらしいリグがそれでも僕にすがりついたままだ。


 と、ノイエが口を押さえる僕の手から逃れた。

 ソファーから立ち上がり、床の上でビクンビクンと蠢いている妹を抱え上げた。


「お腹空いた」

「ノイエさん?」

「だから外に」

「お~い」


 僕の言葉を無視してノイエがスタスタと歩いて行ってしまった。


「何なんだろうな」


 本当にノイエは自由人だ。

 と、ノイエからさっきの宝石を回収しておかないとな。


「さてとリグ。ノイエたちを追うか」


 立ち上がろうとしたけど抱き着いたリグが離してくれないのです。


「リグさんや?」

「ん」

「甘えん坊さんですか?」

「うん」


 はい? 珍しく素直にはっきりと言い切りましたね?

 抱き着いているリグが顔を上げ上目遣いで僕を見る。


「ボクが相手だと頑張れない?」

「死者を偲びなさい」

「うん。でも寂しさが強いから今は無理」

「……そっか」


 ならば仕方ない。仕方ないのか? まあ仕方ない。




~あとがき~


 ユニバンス王国には『吸血のリグ』と言う咎人が居ました。

 最近は生存が確認された…医療に長けた存在です。


 それを知ったリグは何を思う?

 自分が愛した人が生きていると知ったら?


 リグは自分の過去を知りました。それはとても寂しいものでした。

 ですが今は…好きな人が傍に居ます。大好きな人が




(C) 2021 甲斐八雲

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