お肉は全部軽食

 そこは真っ暗な場所だった。

 周りを見渡しても誰も居ない。


 小さく首を傾げて足を進める。


 もう何度も見た。

 これは何度も見た。

 前から何度も見て来た。


 見る度に胸の奥がギュッとする。

 凄く痛くて凄く重い。


 足を進めて……ずっと歩く。


 やはり誰も居ない。

 いつもなら誰かしらが居て、手を伸ばせば抱きしめてくれた。甘えさせてくれた。

 ギュッと抱き着くと暖かな温もりで包んでくれた。でも姉たちの胸の奥はいつも真っ黒だった。


 この場所と同じで真っ黒だった。


 ズキズキと胸の奥が痛む。

 痛いのは良い。痛いのは我慢すれば良い。自分が我慢すれば良い。


 でもこれはダメだ。

 探しても居ないのはダメだ。

 胸の奥が凄く痛い。息が出来ないほど痛い。


「ダメ」


 知らずに声が出た。

 一度出るともう我慢できない。


「ダメ」


 ポロポロと涙が溢れて止まらない。


「消えないで」




 痛いと言うか熱いと言うか……下腹部のある一部分が熱を持って凄く痛い。

 おかげで寝ては覚めてを繰り返し、本格的に眠れない。


 明日は早朝に王都の屋敷に戻ってお仕事だと言うのに絶望的だ。

 今回は本格的に病欠だ。だから許して欲しい。

 頑張れ部下たちよ。恨むのなら舞姫と言う痴女に言え。


 というか本当に大丈夫かこれ?

 本格的に心配になって来た。後でリグを呼んで治療を……僕は自分にとどめを刺す気か?


 ヒリヒリとする痛みに耐えていると、ノイエが抱き着いて来た。


 鏡に向かい自分の顔にレニーラに対する呪いの言葉を発したから、ずっと僕の横に居て甘えていた。

 ようやく寝たと思っていたら……ノイエを見てたから特に寝れなかったのかもしれない。


 最近だと珍しいな。ノイエが悪夢を見るなんて。


 根性で抱き着くノイエを抱きしめ返す。

 腕がろくに動かずノイエのお尻を掴む格好になったのは事故だ。拘束されすぎて筋とかが硬くなっているだけだ。


 温泉に来たのに体を壊す不思議かな。


「大丈夫だよ。ノイエ」

「ダメ」

「うん」

「ダメ」

「うん」

「消えないで」

「消えないよ」


 全力で彼女を抱きしめる。手がお尻の位置なのはご愛敬だ。

 大丈夫。僕は心でノイエを抱きしめている。


 泣きながら抱き着いて来るノイエの寝言に返事をしていたら、パチッと彼女の瞼が開いた。


「居た」

「居るよ」

「ダメ」


 甘えるようにノイエが僕に体を寄せて来る。

 全身でスリスリしないで。ノイエの魅力に僕の重傷患者がっ!


「消えちゃダメ」

「消えないよ」

「本当に?」

「任せなさい」


 僕の人生設計ではノイエと一緒に玄孫を抱くまで生きることになっている。


 スリスリと頬を擦り付けて来るノイエが体を起こすと、僕にキスして来た。

 ここまで情熱的なキスとか珍しい。呼吸も止まってしまうぐらいに……ノイエさんノイエさん。ちょっと呼吸がね? 少し顔を離そうか? ヘルプ!


 必死に体を震わせたら、ノイエの顔が離れて戻って来た。

 消えちゃうから! 違って意味で僕が消えちゃうから!


 火事場の何とやらを発揮してノイエの唇を離す。


「……ノイエ」

「なに?」

「キスするのは良い」

「ん~」


 迫らないで最後まで聞こうか? 僕は君ほど呼吸を長く止められない。


「呼吸をさせて」

「……」


 何故不思議そうに首を傾げるの? 僕が首を傾げたいよ?


「ノイエさん」

「はい」

「君はどれほど息を止められるの?」

「……」


 だからどうして首を傾げるの?


「いっぱい?」


 何故に返事が疑問形なの?


「ノイエさん」

「はい」

「あそこに水の入った洗面器があります」


 何かの時の為に置かれている洗面器には水が入っている。

 他意はない。不思議なことに寝ていると体液で大変なことになってしまうことがある。それを拭くために僕ら夫婦のベッドの傍には常に置いてあるのだ。

 一応加湿の意味合いもあるらしいけど。


「その洗面器に息を止めて顔をつけてみて。苦しくなったら顔を起こしてね」

「はい」


 迷わずベッドから起き出し、ノイエが洗面器に顔をつける。


 黙って見ていたら……意外と粘るな。体感で1分は過ぎたか? まあノイエならそれぐらい……もう2分かな? 流石ノイエだこれぐらい……もう3分かな?


 見ているこっちが怖くなる。


「ノイエ」

「ぼっ」


 洗面器から空気の音がっ!


「もう顔を上げて良いから」

「……はい」


 顔を上げたノイエがキョロキョロと辺りを見渡してタオルを探す。

 何故か最近たれているリスが寝床にしていた。


 たれリスを退かしてノイエがタオルを手にするとゴシゴシと拭いて床に投げ捨てる。

 自由人ノイエの真骨頂だな。


「ノイエ」

「はい」

「ずっと息を止められるの?」


 今も軽く3分以上は止めていた。

 ただノイエがクククと首を傾げて、だいぶ傾いてから元に戻った。


「必要」

「何が?」

「水は怖い」

「ああそっち」


 よくよく忘れるがノイエにも恐れるものがある。水だ。

 お風呂ぐらいなら良いが、大きな川とか海とかはアウトだ。だからって呼吸を止めて耐えるのって……その発想がノイエらしい。


「それにあれは嫌い」

「あれ?」

「……」


 クルンとノイエがアホ毛を回す。


「お腹空いた」

「君は答えに困るといつもそれだな?」

「はい」


 素直に認めたよ。


「アルグ様も食べる?」

「そうだね。何か軽く食べようかな」

「はい」


 スタスタとノイエが歩いて部屋を出て行く。


 見送ってから視線を巡らせると、何故かリスが床に投げ捨てられたタオルを布団に丸まっていた。

 あのニクも最近サボり過ぎだろう? まあファシーは動物に対しては優しすぎるくらいだから放任しているのかな? ならば仕方ない。


「アルグ様」

「はやっ」


 寝ているリスを見ていたらノイエが戻って来た。何故か両腕で大きな肉を持ってだ。


「ノイエさん」

「はい」

「その肉は朝になさい」

「……」


 ちょっとノイエさん? その母親に子猫が見つかった子供のような感じで肉を隠そうとしないの。丸見えだからね?


「その肉は軽い料理じゃありません」

「大丈夫」

「何が?」


 若干ノイエが胸を張った。


「お肉は全部軽食」


 恐ろしい名言がお嫁さんの口から出たよ!


 カレーは飲み物じゃありません。あっカレー食べたいな。あれってスパイスとかの難があるから……あの馬鹿賢者なら作り方を知っているか?


 僕の思考が脱線している間にノイエがベッドに戻りお肉を食べだす。

 モフモフと口に運んで……ポテトチップス感覚で豚の角煮を食べていく感じだ。


 このペースだとノイエが全部食べそうだな。


「アルグ様」

「はい?」

「あーん」


 迷うことなくノイエが拳ほどの肉の塊を突き出して来る。

 そんなハンバーガーをどうぞって感覚もどうかと思うけど、それはお肉のみだよね? 胃もたれしそうっす。


 と言うか腕が動かない。


「ノイエ大変だ」

「なに?」

「腕が動かない」


 ずっとお肉を差しだすノイエの手が震えた。

 ゆっくりとアホ毛が起き上がり、ヘロッと力なく垂れた。


「大丈夫」

「はい?」

「食べさせるから」


 何故か両手にお肉を装備したノイエが僕に迫る。

 どうしてだろう? ノイエがお肉を食べさせてくれるだけのはずなのに、命の危険を感じるのは?


「あーん」

「……」

「あーん」


 え~い。ままよ。

 口を開けたら案の定ノイエが肉を押し込んできた。

 口いっぱいにお肉です。顎が閉じません。


「アルグ様」

「もご」

「お肉は気合」

「も」


 お嫁さんの口から本日2回目の恐ろしい名言が。


「お肉は根性」


 これ以上、名言を増やさないで!


 必死に顎を動かしどうにか咀嚼する。

 その様子を見つめるノイエはどこか楽しげにアホ毛を揺らして僕のことを見つめてくる。


「アルグ様」

「なに?」


 どうにか肉を飲み込んだら、容赦ないノイエさんが2個目をこっちに向けて来る。


「消えちゃダメ」

「だったらもう少し優しくしてください」

「はい」


 そっと頷くと、ノイエが手にしていた肉を齧ると……僕に迫り口移しで押し込んできた。


「これで良い?」


 ノイエが可愛いから許せるな。



 翌朝夫婦揃ってポーラに叱られた。

 仕方ない。ベッドの上で肉の塊を食べれば……汁でベトベトになってしまうのは当然である。




~あとがき~


 悪夢に苦しむノイエは最も近くに居る存在に抱き着く。

 今は常に彼が居てくれて…『消えない』と言ってくれる。


 ちなみにノイエは空腹じゃない限り結構な時間呼吸が止められます。

 何故ならば? 窒息死程度なら蘇生しますので。苦しいのは我慢です。


 リスがたれているのには理由があります。その理由は…




(C) 2021 甲斐八雲

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