簡単な仕事を終えてみせます

 地面に伏したミネルバは必死の思いで頭を上げた。


 それは化け物に捕まって以来ずっと課せられた地獄だ。

 ことあるごとに呼び出されては全身が壊れるほどに殴られ蹴られる。

 虐待などと言う言葉はこの場所に存在しない。

 全てが鍛錬である。痛みを知るのは修練の一部なのだから。


 全身からは痛みしか感じず後の感覚はもう分からない。

 ただどれほど鍛えても目の前に居る存在は高く遠い。


 メイド長……それがこの化け物が得ている地位である。


「休めましたか?」

「……はい」


 体は重く動かない。それでも声をかけられ必死に足掻く。

 意識を手放して寝てしまえば楽だろう。けれどそれは楽などではない。

 ただの逃げだ。逃亡だ。それも最も弱者が用いる敵前逃亡だ。


『ふざけるな!』


 胸の内でその言葉を吐き出し立ち上がる。

 両足が震え膝が折れそうになる。でも立つ。立ち上がる。


『ほぅ』という声が耳に届いた気がした。

 師である目の前の化け物が……そう簡単に感嘆の声を上げる人物ではないと、ミネルバは知っている。だから今のは聞き違いだ。


「なら続けましょう」

「はい」


 グッと腰を落とし構える相手に、ミネルバは両腕をだらりと垂らしたままだ。

 もう腕が上がらない。だから構えることなどできない。それでも顔を上げ相手を睨む。


「上出来です。ならわたくしの拳に耐えてみせなさい」

「お願いします」


 左右からの攻撃を都合10回食らったミネルバは、そのまま後方へと倒れ……仰向けのまま動きを止めた。

 立つ気力はあれど動く手足が無い。


「ミネルバ」

「……はい。先生」


 自分ではちゃんと返事をしている気でしたが、実際どんな声が出ているのかは分からない。


「貴女を拾い数年経ちましたが……今の貴女は何ですか?」

「何とは?」


 師である人の言葉が分からない。

 しいて言えば今の自分は半分死にかけた生き物だろう。良く殴られているから焼けばその肉も柔らかく……ただ人の肉は食えたものではないほど不味いと聞いたことがある。


「美味しくないと思います」

「何の話ですか?」


 答えたら何故か胸を踏まれミネルバは息を詰まらせた。

 考えている内に頭の中がおかしなことになってしまったらしい。


「ミネルバ」

「はい」


 静かな声音で師が問うてくる。


「貴女は何ですか?」

「わたしは……」


 再度の言葉に思い浮かんだ言葉を口にする。


「メイド見習いです」

「そうですか」


 胸の上から足が離れミネルバは空気を貪る。


「ならば問いましょう。ミネルバ」

「はい」

「貴女は何者ですか?」


 何者? そう問われミネルバは沈黙する。


 最初に思い浮かんだのは孤児だ。

 両親を知らないミネルバは物心ついた頃から1人で生きて来た。


 必要だから暴力を振るい犯罪を犯して生きて来た。

 直接的な人殺しは記憶の限りしていない。間接的な物になると分からない。怪我を負わせた相手がその後どうなったのかだなんてことをミネルバは知らない。知ろうとしたこともない。


「元孤児です」

「そうですね。なら今は?」

「メイド見習いです」

「そうですね。ただそれは客観的に見てのことです」

「……」


 確かにその通りだ。

 では自分は何と答えるのが正解なのだろうか?


「ミネルバ」

「はい」

「その昔に三大魔女の1人がとある人形を作ったことがあります」

「何、を?」

「聞きなさい。ただのおとぎ話です」


 告げられミネルバは師の言葉に耳を傾ける。

 言葉に意識集中していなければ今にも気絶しそうだからだ。


「その人形は魔法の力で動き人々の生活の助けになるため働いたそうです。わたくしたちメイドのように。ですが人形は主人の命令に従います。どんな命令であろうと従うのです。それは何故か? 人形には心が無いからです」

「ここ、ろ?」

「ええ。心です。ですから人形は自ら主人を選びません。自分を手にした者を主人とし、その命令に盲目的に従うのみなのです」


 師が何を語りたいのか学の乏しいミネルバには分からない。

 でも今、大切なことを教えられているということだけは分かる。分かるからこそ心に刻む。


「メイドは人です。時に自分が意図しない主人に仕えることもあるでしょう。ですがそんな主人であれば殴り飛ばしてしまいなさい。それがここで育てられたメイドとしての正しい姿勢です。容赦は要りません。情けは捨てなさい。主人をも一人前に育てることこそがメイドとしての役割なのです」

「わかり、ました」


 師である人の言葉に間違いなど無い。だからこそミネルバはその言葉を深く胸に刻む。


「それとミネルバ」

「はい」

「貴女はたぶんこれからも強くなることでしょう。もしかするとわたくし以上の強いメイドに至るかもしれません」

「先生のような?」

「ええ。それには並外れた精進が必要ですが」


 クスリと笑い声が聞こえ、ミネルバは一度息を整える。

 全身が焼かれているかのように熱い。気付けば痛みが熱へと変わっていた。


「ただ貴女はどうも過去を引きずっている節が見受けられます」

「過去ですか?」

「ええ。孤児の生まれであると言う一部分です」


 指摘されミネルバは実感する。

 自分がそう思っているのだから周りにもそう見えるのだと理解した。


「ですがわたしは孤児の出で」

「気にすることはありません」

「ですが」


 と、また師である女性に胸を踏まれる。


「気にすることはありません。この世界において最初から国王だった者など居ないのです。その証拠にこのユニバンスの祖も元は自警団の団長だったと伝わっています。この地を守護して居た者たちが場所を守り国へと作り替えていく中で王へとなったのです」

「……」

「ですから出自など些末なことなのです」


 グリッと軽く胸を踏まれ、師の足がまた退いた。


「ミネルバ。もし貴女が望むのであれば、貴女は貴族にだってなれる可能性があるのです」

「……そんなことは」

「不可能ではありません。可能です。ちょっとその辺に居る独身の貴族をその気にさせて襲わせ、身ごもってから一族の実権を握り支配すればいいのです。ほら簡単でしょう?」

「……そうですね」


 簡単というには色々と問題がある気もするが。


「ただ出世をするのは簡単ですが、出世するよりも難しいことがあります」

「それは?」

「自身の内に根を張る概念を破壊することです」


 告げて師であるスィークは弟子の顔を覗き込んだ。


「自分を人殺しの道具だとか……そう思い込んでいる人物に『あなたは人です』といくら言っても通じません。自分が道具であることを望んでいるからです」

「道具でいることを望む? 何故ですか?」

「決まっています。楽だからですよ」


 吐き捨てるように師は言い放った。


「自分が道具であると言ってそう振る舞えば、楽でしょう? 考えを放棄し、生きることを放棄し、壊れるまで命令に従えばいいのですから」

「そう、ですね」


 確かに楽だ。楽だとミネルバにも分かる。


「人殺しの道具になるのはただの自棄です」


 スッと師がその右手を差し出してきた。


「最初の問いです。ミネルバ」

「はい」

「貴女は何者ですか?」

「わたしは……」


 重く動かない腕を根性で動かし、ミネルバは師の手を掴んだ。


「メイドです。メイドになりたい人間です」

「宜しい。ならば今日よりメイドとして生きなさい」


 手を引かれ立ち上がる。

 そっと師に抱かれてミネルバは全身が脱力するのを感じた。


「試験は合格です。ミネルバ……今日より人として、メイドとして、貴女は生きなさい」

「はい。先生」




 ふと古いことを思い出しミネルバは笑った。

 目の前に居る人形は、たぶんあの日……師と出会わなかった自分の成れの果てなのかもしれないと気付いたからだ。


 ならば自分は幸運の持ち主なのだとミネルバは理解した。

 自分は人として、メイドとして、何より主人を得たのだから。


《負けるはずがありません》


 そっと屈んでミネルバは自分の足に巻いている道具の金具を外した。

 狂犬でも人形でもなく……人のメイドとして目の前の人形を片付けると決めたからだ。


《見ててください。ポーラ様。このメイドめが簡単な仕事を終えてみせます》


 地面に足枷を落とし、ミネルバはニヤリと笑って相手を見つめた。




~あとがき~


 スパルタ国のようなメイドランドでミネルバは育ちました。

 狂犬と呼ばれ手のつけようのない腕白な少女でしたが、トップブリーダーの鉄拳調教で鍛えられて真面目に加工…成長したのです。


 ミネルバはメイドとして主人の命令を実行します。両足の枷を外して…




(C) 2021 甲斐八雲

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