胸の膨らみ

 代り映えの無い執務室。いつも通り部下はクレアが1人居るだけだ。

 外回りと言う名の外部調整役と化してしまったイネル君は、朝と夕にしかこの部屋に来ない。


 夫婦揃って一緒に来ては、一緒に帰宅するのがパターンなのだとか。手を繋いでやって来る初々しい様子に皆が小学生の登下校を見守る保護者のような目を向けている。

 成人してるんだけどね。夫婦なんだけどね。


 あとは僕付きのメイドであるポーラだ。ドラグナイト家の末妹なのにメイドだ。

 ただ真面目過ぎる彼女は色々な分野の教育を自ら進んで学びに行く。最近は分厚い辞書を手に走り回っていた。あの子のゴールは僕にも想像できない高みなのかもしれない。


 ポーラの戦闘訓練以外はミネルバさんが基本この部屋に居て僕を監視している。絶対にあれは監視だ。


 そして何食わぬ顔をしてソファーの一角を占領しているのが我が国の王妃だ。

 今日もソファーに横になって両足をバタバタさせながら手にしている羽ペンを動かし書類にサインをしている。

 あれがする書類は大半が重要書類のはずなのだが……この様子を知られたら大問題だな。


「おにーちゃん。ケーキはまだです~?」

「今日の仕事が終わったらね」

「頑張るです~」


 ケーキの為に処理されていく重要書類って一体?


 呆れつつも僕もそこそこ重要な書類にサインを入れていく。書くのが面倒だから僕のサインを元に作ったハンコだ。

 それをポンと押すだけでサインが量産される素晴らしさだ。


 山と貯まっていた書類の大半を3日かけて制圧した僕は、ついに現実と向き合う覚悟を決めた。

 僕が提出して大騒ぎになった今回の帝国との騒動の関係書類だ。


 現在北西部の旧アルーツ王国だったユニバンスの自治領は、コッペル将軍が残り治安維持に努めている。この『戦いが終われば国元に帰るはずが帰れなくなる』のはユニバンスだと良くある話だ。気の毒にね。


 で、領主であるキシャーラのオッサンはというと……帝国に奪われた領地の奪還と更なる侵攻だ。

 今回の戦いで帝国側は軍師と軍団長を喪った。結果として生き残った兵たちは降伏し、そして降伏した兵たちを素早く纏めたオッサンが逆侵攻に転じたのだ。

 帝国軍側の兵站などほぼ無傷で手に入れたのも大きい。


 カウンターで攻めて来たユニバンス軍に帝国軍は退却戦を繰り返しているとか。

 このペースなら攻められる前よりも広い土地を得られそうだとか、先日戻って来たミシュの報告だ。

 そしてあの売れ残りは、ノイエの手により強制的に前線飛ばしを食らっていたが。


 ミシュは僕宛にキシャーラのオッサンからの個人的な手紙も届けてくれた。


 内容は騒動終結後の僕からの支援協力に対する感謝の言葉とオーガさんの様子だ。

 かなりの無茶をして体に負担をかけすぎたらしい彼女はどうにか復帰し、また元気で戦場を走り回りながらドラゴン退治もしているそうだ。

 ただやはりどこか寂しそうで、軽口が減ったとも書かれていた。


『もし暇が出来たら細君と共に会いに来て欲しい』と手紙はそう最後に結ばれていた。

 ノイエはオーガさんの遊び相手じゃ無いんだけどね。


 きっとノイエのことだ。『煩い』とか言いながらも会いには行ってくれると思う。

 ウチのお嫁さんは優しい人ですからね。


 まあその辺は僕個人の話だから問題は無い。

 問題は……やはり報告書としてあげられてきたポーラとカミーラだった。


 僕らしか使えない転移魔法を勝手に使用し移動したポーラには、叔母様を中心に色々と調査のメスが入った。

 けれどポーラ本人が『グローディア様の実験に付き合って』とか言い訳に徹した。


 素直で純粋なポーラは嘘をつかないことで有名だ。

『どうしたらあのように素直な子に育つのだ?』と不思議がられるほどの純情可憐なポーラはお城の内外で高い人気を誇っている。


 結果として全てグローディアのせいになった。僕としてはいい気味だ。


 で、問題はカミーラだ。

 戦場に突如として現れ『グローディアの護衛をしている』と自らがそう告げたのだ。

 僕も知らなかった話に正直青ざめた。


 絶対に追及されると思っていたら、案の定追及された。

 1日こってりと馬鹿兄貴に絞られ……これまたグローディアが勝手に動いたこととして処理された。


 完璧だよ。全てあの馬鹿な従姉が悪いのだ。

 少しは地獄を見やがれと言うことだ。


 馬鹿兄貴の追及後何故か陛下に呼び出され『カミーラをどうにか復職できないだろうか?』と相談を受けた。

 ユニバンスは守りに優れた気質なのであれほど攻撃に特化したカミーラという存在は喉から手が出るほど欲しいらしい。だがその件も全てグローディアに回すことにした。


 だってカミーラは自称あれの護衛ですから。


 一件落着と思ったら陛下から山のように書類を手渡された。

 僕宛ではなくグローディアとアイルローゼに宛てたものだ。


 アイルローゼ宛は魔道具の試作依頼だ。

 前に話が出ていた『遠距離通話に関する魔道具の製作は可能か?』等のことが書かれていた。


 グローディア宛は分厚すぎて読む気も起きない。

 たぶん今回の報告書やら魔法の管理に関することやらカミーラに関することやら……何故かラインリア義母さんの手紙が一番分厚い気がするけど気にしないのが僕の優しさだ。


 その山が机の上に存在している。目の前にだ。


「良し。帰ろう」


 全てのしがらみを捨てて帰宅しようとすると、クレアが飛びついて来て僕の腰にしがみついた。


「逃がしませんから!」

「逃げではない。ただの早退だ」

「それを逃げると言うんです!」


 離せクレア。僕はもうこんな勝手に厄介ごとが増える環境が嫌なんだ。

 具体的に言うとノイエの自称姉たちが暴走して止まらないんだ。

 なんて恐ろしい。きっともっと恐ろしいことが起きるに決まっている。


 具体的には最近ホリーが静かなんだよ! なんて恐ろしい!


 グイグイと僕の腰にうっすい胸を押し付け、帰宅の邪魔をするクレアに何故かチビ姫まで合流して来た。


「ケーキを出すまで帰っちゃダメです~」

「お前はそれだけだな!」


 ええい! 嬉しそうな顔をして抱きついてくるな王妃! ここは正月の実家じゃないんだ!


 おチビたちの抱きつき攻撃を振り払い逃げようとする僕にまた1人加わって来た。ポーラだ。

 良く分かっていない様子だが便乗して抱きついて来てる感じが半端ない。一緒に来たミネルバさんが何とも言えない表情をしている。


 そんなどっちつかずな表情をしているのならこのお子様たちを止めて欲しいものです。


「このおチビどもめっ! お前たちに現実を教えてやる!」

「「「?」」」


 僕の声に抱きついている3人が同時に首を傾げた。


「1番はポーラ。2番はクレア。3番はチビ姫です」


 胸を張って告げた僕に増々首を傾げて3人が『?』を掲げる。


「この中で将来有望なのはポーラだけだな」

「何がです~?」


 代表してチビ姫が聞いてきた。

 この中では最も地位が高いだけはある。最下位なのにな。


「胸の膨らみ」

「「「……」」」


 3人が僕から手を離し同時に一歩離れて自分の胸に触れる。

 何とも言えない表情を浮かべるポーラを、何故かクレアとチビ姫が捕まえそのまま運んで行った。きっと王城内に存在するお風呂だろう。


「ミネルバさん」

「あっはい」


 突然のことで反応に困っていたミネルバさんが慌てて僕を見た。


「ここのこの山を屋敷に運ぶように手配しておいて」

「畏まりました」


 頷き彼女はこの場から退場して行った3人を追いかけて行った。

 そして僕は悠々と執務室を出たのだった。



『裏切者』という名誉ある称号を得たポーラは、何故か帰宅してからずっと笑顔だった。




~あとがき~


 復帰したアルグスタは真面目に仕事をしています。

 ただ目の前に現実逃避が必要な案件もありまして…結果逃避しますw


 お風呂場での描写は割愛です。王妃様の名誉のために割愛です。

 彼女は崩れ落ちて現実と言う名の強敵に打ちのめされたということだけは記しておきます




(C) 2021 甲斐八雲

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