泣いた赤鬼は……
ユニバンス軍・右翼
「ヤージュ様」
「言わなくても分かっています」
肺が空になるほどのため息を彼は吐く。
多くの敵を引き寄せるために突進した馬鹿な娘のことだろうと、察しがついたのだ。
本当にあれは無茶ばかりをする。
普段の振る舞いはあれだが、彼女は決して仲間を見捨てない。
自身の回復能力を過大評価しているのか、喜んで刃の前へと突き進んでいく。
今回もそれをやってみせた。
《本当に馬鹿な娘だ》
自分の価値を理解していないのだろう。
彼女が守ろうとしている有象無象の者たちよりも、オーガであるトリスシアの方が遥かに大切なのだ。
だからこそ全員が彼女に従い喜んで死んでいく。彼女を守れるのならばと死んでいく。
「退路は?」
「一応残していますが」
「敵の圧に潰されていますか」
本当にここが死地らしいとヤージュは覚悟を決めた。
ならばすることは一つだ。
「残っている者を集めなさい。それと」
「帝国の鎧ですね?」
「……ええ」
阿吽の呼吸で、部下たちは戦いながら帝国軍の鎧を集めだした。
ヤージュもまた自分が使う物を拾い素早く身に着ける。
「さて……あの馬鹿娘を呼びに向かいましょう」
「「はい」」
死にに行くのと同じことなのに誰一人として迷わない。
《貴女はこんなにも愛されているのですよ……あの馬鹿娘が》
笑いヤージュたちは歩を進める。
雨のように矢が降り注ぐ戦場に向かい迷うことなく。
ここではないどこか
「何だい?」
空は快晴。風もなく穏やかな日差しが地上に降り注ぐ。
見晴らしのいい丘の上に存在する巨石を背にして座っている女性……食人鬼と呼ばれるその存在を、小さな眼が見上げていた。
座っている相手を見上げるほどに小さく幼い存在。それは人の少女だった。
「何か用か?」
「……」
顔色を蒼くしている少女はパクパクと口を動かしてから、改めて口を開いた。
「おにがみさま」
「……ん?」
呼ばれてオーガは軽く首を傾げた。
今日は何となく山を下りて来た。山の上に居ても正直つまらない。
だから暇潰しを求めて山を下りてきたが、結局暇なままなのだ。
「おねえちゃんをたべないでください」
「……」
改めて視線を向ける。
小さくて弱い存在である人間の特に弱い女という生き物だ。
「そろそろ貢物の時期か」
ようやく思い出した。
相手の言葉が何を意味しているのかを。
定期的に人はオーガに対して貢物を捧げる。これは決定事項であって変更は許されない。
人がオーガに逆らうことなどできるわけがない。すれば皆殺しだ。
どれ程優れた武器や道具を使っても人はオーガを倒せない。それ以外の生物もオーガに勝てない。故に最強であり支配者なのだ。
「お前が次の貢ぎ物か?」
問うオーガにフルフルと少女は首を振った。
「おねえちゃん」
「お前じゃないなら構わんだろう」
「いやっ」
「……」
「いやだっ!」
真っすぐな目がオーガを見る。だが所詮は弱くて小さな存在だ。
オーガは手を伸ばしその少女を掴むと自分の顔の前へと運んだ。
「逆らうなら食らうぞ?」
「いいもんっ!」
「なに?」
大きく口を開く存在に少女は決して怯まない。
ボロボロと涙を落としてそれでも吠える。
「おねえちゃんがぶじならっ!」
「そうか……ならお前を食らってついでに姉も食らってやろう」
ベロリと少女の頬を舐める。涙はちょうど良い塩味だ。
何より人の子供は食べる場所が、肉が少ないが……驚くほどに甘くて旨い。
だからオーガの中では『ご馳走』として扱われる。
その味を知るオーガは、そのまま自分の口に少女を押し込もうとした。
勝手に食べればオーガの掟を破ることになる。けれどそれぐらいだ。しばらく人が食えなくなるぐらいで済む。だったらここで極上を味わっておけば良いだけだ。
こんなにも旨い人を好きに食えないことが間違いなのだからと思考が走る。
口を大きく開いて少女を口の中に押し込む。
「こわくないもん! いたくないもん!」
吠える少女が太く鋭いオーガの牙に触れた。
皮膚が裂けて血が流れたのか……血液がオーガの舌を転がり喉の奥へとたどり着く。
やはり甘い。甘くて頬が蕩けそうだ。
一気に口を閉じて咀嚼しようとして……オーガはそれを止めた。
「つまらないな」
「……」
「ああ。つまらない」
口から取り出した少女はブルブルと震えていた。
けれどオーガはそれを摘まんでニカッと笑う。
「これで食ったら勿体ないな。もう少し育ててから味わうことにしよう」
「いやっ! はなして……いやっ!」
家畜は大きくしてから食べる。
それを実行すると決めたオーガは少女を持って山へと帰った。
ユニバンス王国軍・右翼
「……」
刃が届かなかった。
終わりを察して大人しくしていたトリスシアに刃が届かない。
改めて周りを見渡せば、死んでいたはずの部下たちが立ち上がっていた。
「演技か?」
「ええ」
背後から嫌なほど聞きなれた声がした。
「生きてたか?」
「……殺さないで欲しいものですね」
苦笑が染みついている男の声にトリスシアは大きく息を吐く。
帝国軍の鎧を纏った彼……ヤージュもまた全身を血で濡らしていた。
いつもながらに敵に化けてこうしてやって来たのだ。
敵だらけの戦場の中で、1人敵に立ち向かい時間を稼ごうとするトリスシアを追って。
本当に馬鹿な娘だ。
仲間を救うためにと1人で敵陣深くに突撃して攻撃の目を引き付ける。
全ての攻撃を背負い少しでも仲間が救われればと無茶をする。
だが……トリスシアは自分の価値を知らない。
替えの利かない存在である自分の価値を知らない。
仲間たちの命の方がどれほど安いのかを彼女は知らないのだ。
「トリスシア」
「何だい。ヤージュ?」
「貴女は逃げてください」
「何を、」
言葉が続かなかった。
振り返ったトリスシアはそれを見つけた。
ヤージュに突き刺さる複数の矢の存在を。
「お前……」
「私は……私たちはもう限界なのですよ」
らしくない笑みを浮かべて彼は笑う。
優しすぎて無茶ばかりする娘を見つめて。
「だけど貴女なら……貴女だけならこの包囲を突き破りキシャーラ様の所へ行ける」
カフッと血を吐き彼は前へと崩れる。
その体を抱きしめトリスシアはヤージュの顔を見つめる。
血の気の無い顔をしていた。
いつも煩く叱って来る存在が……生きることを終えようとしていた。
「行くんです。私たちを見捨てて」
「ヤージュ」
「良いんです」
震えながら笑う彼に……オーガは自分の視界がぼやけていくことを感じた。
「……娘に看取られるなんて私は幸運です」
「馬鹿野郎が」
「ええ。ええ」
彼は苦笑してみせる。
「貴女のような我が儘娘を子にした大馬鹿者ですよ。私は」
手を伸ばし彼はトリスシアの頬に触れた。
「泣かないでください。私の娘は……常に笑って逆境を跳ね返すじゃじゃ馬ですからね」
「ヤージュ」
ギュッとトリスシアは彼を抱きしめた。
「ああ……孫を抱きたかったですね……」
最後まで愚痴っぽいことを言って彼はその命を終えた。
失われていく生命を腕の中に感じ、トリスシアは視線を上げた。
壁と化していた部下たちが1人1人と敵の刃を受けて倒れていく。
薄くなる壁を見つめ……トリスシアは笑った。
笑いそして口を動かす。
帝国兵は最後の1人を打ち殺し……それを見た。
オーガがその名の通り人を食らっていた。
バキバキと音を立てて肉片も骨片も残さずに食らっていく。
人一人分を食らった食人鬼はゆっくりと立ち上がりその顔を空へと向けた。
口を開いて喉の奥から声を発する。
それは絶叫だった。大絶叫だ。
余りの声に囲う帝国兵たちも慌てて耳を塞ぐ。
間に合わなかった者は耳の奥から血をこぼし卒倒する。
音響兵器とも言えるその声に兵たちは気圧されてオーガから離れた。
化け物が……オーガという化け物がその姿を変えいた。
内側から筋肉が盛り上がり、外皮は鎧のように固くなる。
その身長は筋肉と共に成長し、目撃していた兵たちは……ゆっくりと視線が上がっていくことに震える。オーガの顔は軽く5mを越えていた。
化け物だ。本当の化け物が目の前に姿を現したのだ。
「……不味いんだよ」
牙と化した犬歯を剥き出しにしてオーガが吠える。
「人は不味いから大嫌いなんだよ……」
急速な成長で全身の筋肉と骨格を軋ませながら、トリスシアはその双眸から血の色をした涙を落とす。
「不味くて不味くて……」
自分の胸に拳を当てる。
「ここが痛くなるから大っ嫌いなんだよ!」
泣いた赤鬼は……凶暴な鬼と化して帝国軍を潰していく。
文字通りに潰し、その死体は見るに耐えられないものとなった。
けれどオーガは止まらない。
止まらずに拳という武器を振るい続けた。
それはあの時と同じように。
~あとがき~
最後を覚悟し思い出すのは過去の記憶。
自分が気まぐれで拾った人の子の記憶。
現実は…絶望的なまでに冷酷で残酷で無慈悲だ。
けれどそんな場所にだって何かがある。パンドラの箱のように。
人を食らった赤鬼は…すべてを踏み越え進んでいく
(C) 2021 甲斐八雲
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