しばらくは恐怖に震えてなさい
「そっちは?」
「大まかな式は描けたはずよ」
「……そう」
そこはノイエの左目の中……眠らなくても大丈夫と言うこの場所の環境をフルに使い、2人は延々と魔法式と睨み合いを続けてきた。
術式の魔女アイルローゼと召喚の魔法を使うグローディアだ。
ようやく完成……と言うには語弊があるが、今回の移動に適した魔法の式を描くことはできた。
だがここに来て問題が生じた。
「これって不可能じゃないの?」
描かれた式を見て魔女は嘆息気味に呟いていた。
「出来るわよ。プレートが1、2……たくさんあれば」
「そのプレートを刻むのは私なんだけど?」
負けず嫌いな一面を発揮している王女様の様子に、心底疲れた様子で魔女は肩を落とす。
どう繕っても描かれた式を作り出すにはプレートが二桁の単位で必要となる。
「どうするの? レニーラの話だと国軍の移動はそろそろよ?」
「……ハーフレンの部下は後から出発するからそれまでにはどうにか」
「式が出来ても刻んでいる時間が足らないのよ」
「……」
王女様らしからぬ振舞だが、グローディアはガリガリと頭を掻く。
「あとから行けばいいでしょう?」
「そうね。ただその間にどれほどの兵や国民が亡くなることになるか」
「あ~っ!」
声を上げてより一層ワシャワシャと激しく王女は頭を掻いた。
「騒いでも打つ手が無いわよ」
「分かってるわよ!」
声を上げことで気持ちを落ち着けたのか、グローディアは描かれた魔法の式を睨みつける。
「これとこれは外せないわよね?」
「ええ。この魔法の根幹だから」
「ならこっちは?」
「それを外したら魔力が円滑に循環しなくなって魔法が発動しないわよ。単純に魔力不足」
グローディアが描いた式を覗き込みアイルローゼは質問1つずつに返事をする。
そうすることで自分の中でも状況を整理し、何かしらの解決策が出来ないかを模索しているのだ。
今一番の問題は、転移魔法に使用する魔力量だ。
いくら膨大な魔力をねん出できるノイエであっても無尽蔵ではない。
だからこそ足らない魔力を過去に見た異世界の魔道具の技術を応用して補うことにした。
結果として……多くのプレートが必要になった。
「だったらこの部分を排除して」
「それだとノイエの負担が大きくなる。下手をしたら魔力不足で『永遠の彷徨い人』よ?」
「……」
魔女の指摘にグローディアは沈黙する。
転移魔法について回る不安……それが目的地にたどり着けないことだ。
入り口から入り出口から出れなかった者は、入り口から戻って来れるわけではない。永遠に出入り口の中間に囚われその中を彷徨い続けると言われている。
故に転移魔法で使用する魔力は、過剰なぐらいが良いと言われているのだ。
「全部で48枚のプレートを刻むしか方法が無いわね」
使用枚数を数えたアイルローゼが苦笑する。
根幹部分はほんの数枚だが、術式内の魔力を循環させて量を増やす物がどうしても削れない。
「こんな大規模な魔道具がちゃんと発動するのかも不安だけど」
「それは術式の魔女の実力を信じるしかないわよ」
「……止めて。術式の魔女なんて大した力を持ってないんだから」
何より失敗することができない。
そのプレッシャーに、アイルローゼの胸の内は押し潰されそうになっていた。
「なら大した力を持った刻印の魔女が手を貸してあげましょうか?」
「「っ!」」
不意の言葉に2人は振り返る。
頭からローブを被った神出鬼没の人外の魔女が……何食わぬ顔でそこに居た。
「10日以上も寝ないで頑張る貴女たちに、このとっても悪い魔女が手を貸してあげる。もちろん私は凄く悪い魔女だから……2人にはそれ相応の対価を支払ってもらうけど、どうかな?」
「何をすればいいの?」
迷わず声を発したのはグローディアだった。
その反応に刻印の魔女はニヤリと笑う。
「貴女はこの国の王女様なんでしょう? だったらその地位に相応しい仕事を頼もうかしら?」
「……良いわ」
応じる王女から刻印の魔女は視線を動かす。
身を竦ませ自分を見ている……ここ数百年の内で上位に入る才能を持つ魔女を見つめた。
「貴女にはとびっきりの苦痛を味わってもらう」
「苦痛?」
「ええ。貴女がもっと出来る子ならこんな所で躓いたりしてなかったでしょう?」
「……」
グッと下唇を噛んでアイルローゼはその言葉を受け入れる。
悔しいがその通りだと自覚したからだ。
けれど刻印の魔女としてはそれは誉め言葉でもあった。
少なからずこの短期間でここまで来たのだ。
普通の魔女ならたどり着けもしない場所に。
「罰は終わってから与えるから……しばらくは恐怖に震えてなさい」
クスクスと笑い刻印の魔女はローブの中から袋を取り出すと、結び目を解いてその中身を床にまいた。
転がってきた金属製の……プレート状の板を手にしたアイルローゼは軽く目を見張る。
「これはただの金属ね」
「そう。一般的に鉛と呼ばれる柔らかく加工のし易い金属よ」
告げられてアイルローゼは手に持った板を軽く力を籠める。グニッと板は曲がった。
「これでは魔法に耐えられない」
「ええ。そうね」
クスクスと笑う伝説の魔女にアイルローゼは静かな視線を向けた。
「でもそれだったら1度の使用には耐えられる。違う?」
「……確かに。1度ぐらいなら」
曲げてしまった板を手にし、アイルローゼは改めて確認する。
確かにこれならば1度の使用には耐えられる。1度なら。
「そしてそれは柔らかいから加工が簡単なのよ。金型を作って上か叩けばあら不思議……その術式に必要な循環系のプレートが大量に出来上がるわ」
「っ!」
思いもしない方法にアイルローゼは目を剥いた。
最初から複数回での使用を想定して、プレートの使い捨てなど想像もしなかった。
何よりそれが今の魔道具における一般常識だった。プレートに使うプラチナが高価なのもあり……そもそも使用する素材がプラチナと限定されているから起こる発想の弊害だった。
これならば確かに何度も入れ替えが効く。
根幹の部分だけプラチナでプレートを作り、残りの部分をこの鉛製で大量生産すれば……改めて描かれた術式を見つめるアイルローゼに苦笑しながら、刻印の魔女はどこか呆れている様子の王女に目を向けた。
「手助けになったかしら?」
「ええ。でもこれは術式の魔法形態を根底からひっくり返す発明になるかもしれないわよ?」
「あら? 昔に流行った潰えた方法よ」
「潰えた?」
「ええ」
クスクスと笑い、刻印の魔女はその五芒星が浮かんでいる目をグローディアに向ける。
「安易な方法だから各国がこの方法を取り込んだ。結果として同じものばかりが作られ……そしてそれは兵器ばかりだった。殺し合いは激化してこれを作る工房や職人が攻撃の対象になる。ここまで言えばわかるでしょう?」
「嫌な過去ね」
各国が互いに製造元を狙った結果……その技術は潰えたのだ。
何せこの方法は使い捨て。一度使えば消えてしまうのだから。
「それにこの国ならこの方法を悪用しないと信じているわ。ねっ? お姫様」
またクスクスと笑い、刻印の魔女はその姿を消した。
壁に寄りかかり深い溜息を吐いたグローディアは、相手が掲示した『王女』として役割を理解した。
《あの馬鹿を巻き込んで、この国の魔法管理の方法を根底から変えないといけないわね》
面倒くさいがやるしかない。本当に面倒くさいが。
「アイルローゼ? 作業に戻るわよ……アイルローゼ?」
ふと視線を向ければ術式の魔女は笑っていた。
内から溢れて来る歓喜に身を震わせるように、ギンギンに光る眼をグローディアへと向けてくる。
「少し……かなり弄るわよ?」
「……」
「この方法ならこの大陸全部を移動できる物が作れるのよ!」
暴走を開始した魔女が床に描かれている式に手を加えだす。
魔女という生き物を目の当たりにしたグローディアは……そっと呆れたような溜息を吐くのだった。
~あとがき~
2人の作業に遅れが生じていたのには理由がありまして…躓いてましたw
アイルローゼの知識と技術があっても時間の制限は飛び越えられない。
で、最近ノイエの中にフラッと現れる悪い魔女の登場です。
刻印さんは本当に“悪い”魔女ですから…アイルローゼへの罰はどうなるのか?
(C) 2021 甲斐八雲
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