追憶 アイルローゼ

《天才と言われてもこんな物よね》


 空を見上げて術式の魔女は深く深く息を吐いた。


 彼女が使ったのであろう魔法の式を読み解くことが出来ても、変化してしまった物を戻すことは出来ない。


 一度混ぜってしまった物をどうすれば分離できる?

 もし分離できたとしてもそれは本当に同じ物なのか?


 答えは『分からない』だ。


 あの壊れてしまった少女を実験台にでもすれば、答えが判明するかもしれない。

 けれど出来ない。もうしたくは無い。二度と。




「先生」

「どうしたのミローテ?」

「お茶にしませんか」

「……そうね」


 資料と材料に囲まれていた彼女は軽く背を伸ばし、住みかとなっている机から這い出た。


「そろそろ掃除しないと流石に辛いわね」

「ですね」


 クスリと笑いミローテと呼ばれた女性は手早くお茶の支度を整えた。


 蜂蜜色をした髪を作業の邪魔にならないように束ねている彼女は見目麗しい女性だ。

 貴族の出であり実家に戻れば令嬢として扱われる彼女だが、そんな生活を彼女ミローテは捨てた。全ては敬愛する師である術式の魔女の為にだ。


『本当に馬鹿な弟子よね』と苦笑するしかなかったが、それでもこんな場所に監禁されている都合見知った者が1人でも居てくれた方が嬉しい。


 王都の南東。木々が茂る森の中にひっそりと存在する旧王家の別荘の1つだった建物。

 昔は温泉が出ていたそうだが、それが枯れてからはこうして特殊な人材を隠す場所となった。


 周りに居るのは腕利きの密偵ばかりだ。ミローテ以外に居るメイドや雑用係の者とて全員が軍事経験を持つ者たちだろうことは容易に推理できる。


 椅子に腰かけ軽く赤い髪を払い……掴み直してマジマジと見つめる。


「どうかしましたか?」

「煩わしいから切ろうかと考えて」

「いけませんっ!」


 らしくないほど声を荒げる弟子に彼女は目を向けた。


「先生のその長い髪は綺麗なんです。芸術なんです。それを切ってしまうだなんて勿体無い! もしどうしても切るというなら、その髪を全て私が貰い受けて白い布に刺繍でもして……ハァハァ」

「やっぱり止めておくわ」


 興奮した弟子が熱い吐息を吐き出したので、師である彼女は視線を逸らした。


 普段は大変優秀な弟子なのだが……時折こんな風に壊れてしまう。

 こんな刺激のない場所では彼女のそんな行為が細やかな変化になり得る。


《私の人生は……もう終わってるわね》


 禁呪である終末魔法を作ってしまったが為に監禁された自分。


 けれど術式の魔女と言う看板が命を救ってくれる。

 飼殺されているが……それでもこうして穏やかな時を過ごしているのだから。


「さて。ミローテ」

「はい先生」


 妄想を終えたらしい彼女は普通の弟子に戻っていた。


「掃除をしてから作業をするのと、作業をしてから掃除をするのと……貴女はどちらを選ぶ?」

「でしたら先生が作業をし、私が掃除をします」

「良いの?」

「はい」


 とびきりの笑みを見せる弟子に魔女は目を細めた。


「先生の作業している姿を見るのが大好きなんです!」

「そう。分かったわ」


 どうやらまだ弟子は興奮冷め止まぬな様子だった。




《新年をこうして湯船で迎えるなんて……》


 厳密に言うと新年は昨日だったらしい。

 けれど発注の多さに祝っている暇もなく、祝う気もなく……魔女は延々と終わらない作業を繰り返していた。


『強い魔法を。強い武器を』


 そんな物を限りなく求めて来ているのは、この国が劣勢である証拠だ。

 もう少しすれば自分が前線に出向いて禁呪を使うことになり得るのかもしれないと……そんな風に魔女は考えていた。


 ピシッ!


「くっ!」


 鋭く頭に走った激痛に魔女は顔をしかめる。


 今のは間違いなく自分に対する攻撃だ。それも魔法かそれに準ずる物を使って。


 湯船の縁に置いておいた魔道具を軽く掴んで確認する。道具の中に仕込んでいたプレートが燃え尽きていた。

 一撃でこの防壁を潰すような魔法を魔女は知らない。


「ミローテ? ミローテ!」


 呼べば飛んで来る弟子が……来ない。

 不審に思い湯船を出て魔女は浴室を出た。


 軽く体を拭いて髪の毛は……こんな時だけはその長さを恨んだ。

 急いで準備したがそれなりに時間を消耗し、魔女は静まり返っている廊下を歩く。


 異臭を感じる。


 余り嗅ぎたく無い臭いだが、自身も女であるので定期的に嗅ぐものだった。


「何をしているの?」


 角を曲がり魔女はそれを見た。

 蜂蜜色の髪を濡らし……ケタケタと壊れたように笑う弟子の姿を。


 そして彼女は切断したのであろうメイドの頭をその手に持っていた。


「何をしているの? ミローテ?」


 スッと目を細め魔女は再度問う。

 持っていた頭部を投げ捨てて弟子が自分に向かい歩いて来る。


「そう。あの馬鹿……やっぱり間違えたのね?」


 願いを叶えるために無茶を繰り返していた王女の顔が脳裏に浮かんだ。

 成功はしたのだろう。けれど呼び出したモノは彼女の願いを叶えるとは限らない。


 ゆっくりとその手を動かし魔女は弟子に掌を向ける。

 ミローテもまた手を上げ師である彼女に掌を向けた。


 高速詠唱は師である魔女の十八番だ。相手の半分の時間で魔法語を綴り魔法を放つ。


「腐海」


 全てを融かし……弟子も頭部を残して全てが消えた。


《これも私の罪なのかしらね?》


 苦々しく笑い……魔女は涙を落とす。


 けれど立ち止まることは出来ない。時間が惜しい。

 弟子のやった罪を、彼女が殺害した者たちの遺体を全て融かして回る。


《あの子は狂った私が殺したのよ。それで良い》


 屋敷を出て外で待つ。


 弟子に殺人の汚名など着せることを魔女は許せなかった。

 だったら自分が全て被れば良い。何より自分は"共犯者"なのだから。


《ならば私は立派な魔女になりましょう》


 スッと目を細めこちらに来る兵に魔女は視線を向けた。


《悪名高き悪い魔女になりましょう。そうすれば……ここでの出来事なんて誰も詮索しない》


 弟子であったミローテはただ狂った魔女に殺された。

 それを願う魔女は、やって来る兵に掌を向ける。


「腐海!」




 あの日最も人を殺したのが悪名高き術式の魔女……アイルローゼだ。


 彼女はやって来る王国軍を相手に延々と魔法を使い抵抗し続けた。

 最後は自分の弟子である少女と激しい魔法の打ち合いをし、一瞬の隙を突かれて猟犬により意識を刈り取られた。


 ただ魔女は終始笑っていたという。

 全てを融かす魔法に対し、溶けた傍から全てを強化し形とする弟子に対して……とても嬉しそうに。




 魔女が殺害した者の中に弟子の1人の名が残っている。


 彼女は被害者として、残っていた頭部のみが共同墓地に埋葬された。

 ただの被害者として。




~あとがき~


 実はアイルローゼはあの日狂っていませんでした。

 けれど弟子の罪を隠す為に、自ら狂った振りをして暴れ続けたのであった。


 本当に先生って不器用な生き方してるな~




(c) 甲斐八雲

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