底に居てもずっと上を見ているから

「先生。叔母様は?」

「……両足の脛の骨にヒビが入っておる」


 両手を布で拭きながら病室から出てきた先生がそう告げる。

 診療所に運び込んだ叔母様だが、先客が居たのでそのまま空いている病室に直行となった。余程足が痛むのか叔母様は自分の足で立って歩けないのだから。


「それに筋や腱なども酷いな。しばらくは安静だ」


 息を吐いて廊下を進んでいく先生がチラリとこちらを振り向くので、僕は慌てて追いかけて診察室に入った。


「無理をさせたか?」

「……はい」

「なら仕方ない」


 ナーファが診察室の掃除をしていたけれど、それに構わず先生が椅子に座るので僕も倣う。


「元々あれはウチの常連だ。気にすることは無い」

「そうなのですか?」


 意外というか全く知らなかった。


「ああ。どんなに強いと言っても人間だ。人間の強度など魔法を使わなければ強くはならん。何よりあれは魔法を使えん。結果として体を壊すのだよ」


 比較的本日の先生は普通だ。格好も奇抜じゃない。


「壊す度にここに来て治す。『自愛しろ』と言っても聞く耳を持たん」

「叔母様らしいですね」

「確かにな。でもあれも良い齢だ。老いれば体もガタが来る」


 ナーファが紅茶を淹れてくれたからそれを啜る。すきっ腹にお茶が美味しい。


「あと1匹か?」

「ええ」

「勝てる見込みは?」

「薄いですね。驚くほどに」


 あの賢者の嫌な所は、こっちの手の内を知っていて潰しに来ている所だ。

 だからたぶん明日の最後が本命で、尚且つ僕を潰しに来る気満々だろう。


「だが戦うか?」

「ええ」

「そんなにこの国が大切か?」


 手にしているカップから視線を外して先生を見る。

 ああ。そうか……僕ってば元王子様で王族だったね。


「はっきり言うと、国とか王都とか忘れてました」

「そうか。忘れていたか」

「はい」


 だって僕は家族を救いたいんだ。


 あの人たちはノイエの家族であり、僕の家族だ。

 あの目の中の全員とは言わない。でも僕の為に頑張ってくれた人たちを、ノイエのことを愛してくれて頑張ってくれた人たちを、救いたいから頑張ってるんだ。


「……あはは」

「どうした?」


 自然と笑い声がこぼれて先生が『コイツ大丈夫か?』って目を向けて来る。


 貴方にだけはそんな目で見られたくないわ!


「たぶん僕は馬鹿だ」

「そうか」

「そして変態だ」

「……そうか」


 今の間は何だ?


 大きく息を吐いて両手で持つカップを軽く回す。


「きっと今……普通の人なら絶望のどん底なんだと思います。でも僕はそんな気が微塵も湧かない」

「何故だ?」

「たぶん底に居てもずっと上を見ているから」


 紅茶を飲み干してカップを机の上に置く。


「下を見ていないから、今立っている場所がどん底か分からないんです」

「上を見ているからか?」

「そうです。それと僕はこんな逆境の方が燃えるみたいです。足元がどうなっているのか知らないけど……でも上に見える遠い何処かまで、どう行こうかばかり考えてます。

 たぶん凄く苦しいだろうけど、その過程なんてどうでも良いんです。目的地に着いてご褒美を得られるのならそれだけで頑張れる」

「そうか。そうか……くっははは……」


 我慢出来なくなった様子で先生も笑い出した。


 もしかしたらご褒美なんて無いかもしれないけれど、それでも『ある』と信じて僕は必死に足掻いて上を目指す。足元は知らない。だって目を向けないんだから知り様がない。


「そんな訳で明日も勝って終える気満々な僕は、明日に備えて準備に行きます」

「ああ。ハルムント家の方には私が連絡しよう」

「ありがとうございます」


 空腹は酷いけど軽い足取りで診察室を出て……ついでにルッテの病室を見る。

 何か昨日と全く同じ状態で2人がモジモジしているんだけど? 大丈夫か?




『そうよ。そう書けば良いの』

「はい」


 言われるままにペンを動かしポーラは紙に言葉を書いていく。

 頭の中に響く声に従ってペンを動かさばいいのだから楽は楽だ。


「できた」

『上出来よ。それをお兄様に見せたら褒めて貰えるわ』

「ほんとう?」

『でも貴女が書いたと言うと怒られるかもしれないわね』

「……」


 笑顔が消えてポーラはシュンとなる。

 クスクスと頭の中に笑い声が響き、少し拗ねて頬を膨らませたポーラは使っていたペンを片付けた。


『何処に?』

「ねえさまのところ」

『大丈夫よ。膝を抱えて泣いてるから』

「……」


 それはそれで全然大丈夫じゃない。


 ポーラは自分の部屋を出ようと動き出し、その前に姿見の前に立つ。

 あの怖いオバ……叔母様から『メイドたる者は常に服装を正しく』と言われている。家に居る時はメイド服を着るのは半々だけれども、その習慣が身に付き常に鏡の前で確認をする。


 今日はメイド服を着ていた。特製のメイド服でエプロンもお兄様に教えて貰った結び方だ。

 頭に乗るカチューシャの位置を正す。

 もう一度鏡で確認する。そこには右目……赤い瞳に金色の模様を宿した自分の顔が映っていた。


『その右目の模様が気になる?』

「へいきです」

『ごめんなさいね。まさかコンタクトが同化するとは想定して無かったから……中二病極まれりよね』

「ちゅうに?」

『気にしなくて良いわ』

「はい」


 素直に頷き顔を上げると瞳の模様は消えていた。


 今一度服装を確認してノイエの居る部屋へと向かう。

 彼女は今日もベッドの上で膝を抱いて震えていた。


「ねえさま……」


 また泣いているのであろう姉を見るのは本当に辛い。

 と、彼女の髪の色が栗色に変化した。


「さてと。明日の仕込みをしないとね」

「……」


 大好きな姉の体を使って相手が何をしているのかポーラは理解している。

 その企みが湯水のように自分の頭の中に流れ込んで来るからだ。


「どうして?」

「ん?」

「どうして、にいさまやねえさまをいじめるの?」


 真っすぐ自分に向けられる視線に……刻印の魔女はクスリと笑った。


「期待しているからよ」

「きたい?」

「そう」


 視線をそっと窓の外に向け彼女は綴る。


「期待しているから厳しくするの」

「どうして?」

「だって……」


 満面の笑みを浮かべ魔女は少女を見た。


「そっちの方が楽しいでしょう?」

「……」

「どんなに苦しくても、ね」




~あとがき~


 どん底に居ても足元を見なければそこが底なのかは分からない。

 その昔に作者の師匠が言ってた言葉です。そんな訳で使ってしまいました。

 決してアルグスタが折れない理由…らしくないなw


 刻印さんは着々とポーラに力の使い方を伝授中です




(c) 甲斐八雲

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る