私はとんでもない愚か者だな

 フレアの朝は、王都にあるクロストパージュの屋敷で始まる。


 ゆっくりとベッドの上で体を起こし、重く感じる頭を振るのだ。

 あの日以来熟睡することなど無い。毎晩悪夢にうなされ、気絶するかのように短時間だけ意識を失う。

 そのような生活を続ける少女の顔色は悪い。髪にも艶が無くくすんで見える。


「……」


 重たい頭を軽く振ってベッドから出ると、フラフラとして足取りで机に向かう。

 習慣と言うか、何かしていないと"あれ"を思い出してしまうから、ペンを手に魔法語の書き取りをするのだ。

 徹底した基礎の反復……嫌と言うほど叩きこまれたそれを少女は完ぺきにこなした。


 そして一息ついて、口元を押さえて部屋の隅へと駆け寄る。

 その為に置いてある壺に胃液を吐いて……フレアは床に転がった。


 もう嫌だった。何もかもが嫌だった。

 心が壊れてしまいそうで、何より自分が怖くて。


「助けて下さい……先生」


 涙でぼやける天井を見つめ、フレアが求める救いの相手は……最愛の人では無くて、自分の師だった。


 フレアが彼の名を呼ばないのには訳がある。

 もう自分が相手に相応しくないと思っているからだ。

 自分はただの人殺しだと理解していたからだ。


 敵兵だけでは無くて……味方を含めて殺したのは、あの場で自分だけだったのだから。




「これで全部か」

「はい」

「本当に?」

「ええ」


 報告書を持って来たコンスーロは、変わり果てた主を前に何とも言えない気持ちになっていた。

 幽鬼のように書類の束を何度も見つめ、行き詰っては最初に戻るを繰り返す。

 見ている方が痛々しい気持ちになるほど彼は、ハーフレンは憔悴しきっていた。


 誰が悪いと言う訳ではない。

 コンスーロはそう思っていた。

 ただ……運が悪かったのだ。


 突然の敵の襲来。新兵だらけの輸送隊を護ってみせた三人の存在。

 だがその三人は襲撃を受けた時に、きっと国内で発生した『狂った子供たち』と同じ現象に陥って居たのだろう。


 それを理解しながらも、コンスーロは全てを闇に葬った。

 彼はその三人を帝国兵をせん滅した功労者に仕立て上げたのだ。

 真実を語れば……国中の者たちから白い目を向けられかねない。

 主とその伴侶となる少女を護る為ならどんな汚名でも被る覚悟を彼は持っていた。


 だが世の中は全て上手く行かない。

 1人の少女だけが心を病んでしまった。


 居た場所が悪かったとも言える。

 敵は魔法使いを最初に倒そうとしたのだ。


 強襲した敵兵を迎え撃ったのは、赤毛の天才と呼ばれた術式の魔女の弟子だった。

 見たことも無い武装を用いて敵兵を屠った彼女は、撤退する敵兵を執拗に追いかけた。


 血に染まる雪原で倒れている彼女を発見したのはコンスーロだった。

 そしてコンスーロは彼女が抱えた闇を見た。


『殺した……わたしが……味方まで……全員……』


 焦点の定まらない視線と吐き出され続ける言葉と胃液。

 彼が少女に強い当身を食らわせ、意識を刈り取ってしまったのは仕方のないことだった。


 それから王都に戻り休むことなく"魔女"の討伐だ。

 少女の心があの時点で良く壊れなかったと思う。


 だが無理をさせた代償は重い。

 実家の王都の屋敷に籠った彼女は、一度だけ墓参りに出ただけで……それ以降自室からもろくに出ない。


 せめて自分の手で命を絶つことが無いようにと刃物を遠ざけているが、人間は死ぬ気になればどんな手を使ってでも死ぬる。

 伝わってくる言葉から彼女が生きているのが不思議なほど衰弱している。


 コンスーロは視線を主に向ける。

 自分以上に少女の状況を知る彼が、これほど焦る理由は……聞くまでも無い。


 だから主は求めた。

 報告を……彼女が居た場所で何が起きたのかを徹底的に。


 何度も調べさせ、何度も検証させた。だが悲しいことにあと二人の死因が特定できない。

 帝国兵の魔法攻撃だったかもしれないし、彼女の魔法攻撃だった可能性もある。

 故に主の調査は終わらない。主は明確な証拠を欲しているのだ。


「ハーフレン様」

「何だ?」


 ろくに寝ないで報告書を睨みつけている主の焦燥っぷりは本当に酷いものだ。

 食事も喉を通らず、それでも彼は日々の業務をこなしているのだ。

 痩せて来ていることは間違いない。だが彼は止まれないのだ。


「正直に申して……たとえ証拠を集めたとしても、フレア嬢を納得させるのは無理かと」

「言うな」

「いいえ。彼女は出来た子です。そして何より優しい。たぶんもう」

「言うなっ!」


 机の上の書類を弾き飛ばし、ハーフレンは幽鬼のような表情を部下に向ける。

 その表情もさることながら……放たれる気配は冷たい。

 あの日を境に、主たる王子が放つようになった冷たすぎる殺気だ。


「ならどうすれば良い? 俺は誓ったんだ……アイツを護ると。

 母さんもフレアも護れない俺はどうすれば良い? なあコンスーロ」

「……」


 胸を吐くような言葉にコンスーロは呼吸すら忘れた。

 必死に探しているのは何も彼女を救う為だけでは無い。彼もまた救いが必要なのだ。


「申し訳ございませんハーフレン様。何か見落としがあるかもしれません。また現場に赴いて調査いたしましょう」

「……」


 顔を覆うように机に肘をつく主に一礼してコンスーロは部屋を出た。


「私はとんでもない愚か者だな……」


 主はその体格から一人前に思われがちなのだが、今年13になったばかり"子供"である。

 王子と言う立場を思えば甘ったれたことなど言えないが、それでもまだ子供なのだ。


「この国は生き残ることばかりを考えすぎて……大切な何かを育て忘れたのかもしれないな」


 呟く彼の言葉は奇しくも国王ウイルモットが常日頃抱いている思いであった。

『この国は近いうちに滅ぶやもしれん。次世代を担う子供らの教育を間違えているのだからな』と。




~あとがき~


 唯一敵以外の者を殺めてしまった可能性のあるフレアの心の傷は大きくて深い。

 彼女は自分の行いを心の中で責め続け、壊れてしまう一歩手前まで自分を追い込んでいます。

 そしてまた護れなかったハーフレンも心に闇を抱え苦しんでいます。


 アカン。コンスーロが格好良すぎる。

 本編だと静かなのは、きっと過去で頑張り過ぎて燃え尽きたのでしょうw


 迷走し続ける現状は……どんどんと転がり続けます。




(c) 甲斐八雲

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