聞いてたのね?

 アカン。起きられない。

 何か先生とオーガさんが話をしているっぽいが、少し遠くて聞こえない。

 先生もオーガさんを見習って腹の底から声を出そうよ?


 ここで仮に起きたとする。近づいたら……先生のことだ。会話を終えるな。

 ノイエの中の人たちは僕に過去を知られることを毛嫌いしてる節があるし。


 ならどうする? このまま近付くか? ズリズリと……無理だ。あの先生が僕のいる場所を覚えていないとか考えられない。少しでも動けばアウトだ。

 ここは後でオーガさんを買収して、


「……分かった。アタシも戦い以外の場所で死ぬのはごめんだ。今聞いた話は全部酒を飲んで忘れるよ」

「ありがとう」


 先生~っ! 貴女って人はどうしてそうまで頭が良いの~っ!

 先手を打たれた。無理だ。ダメだ。

 こうなれば……バレない間に寝てしまおう。起きているのが気づかれたら終わる。


 と、背後に人の気配が。大丈夫。ノイエが戻って来ただけだ。


 横になった相手が僕の背後から背中に抱き付いて耳元で、


「寝た振りだなんて命知らずね? どう殺されたいの?」


 くぅお~っ! お酒の匂いがっ! 何より優しく耳に吹きかけられる吐息がっ!


 耐えろ僕。これはたぶん罠だ。ここの反応すれば、たぶん終わる。


「……あら? 本当に寝てたのね」


 背中にノイエの胸の感触がっ! 大丈夫。いつも味わっている物だ。焦るな。


「何だ。折角気分良かったから色々と話でもって思ったのに」

「……」


 耐えた。そんな誘惑に僕は屈しない。違う。そんな誘いには乗らんぞアイルローゼ!


「寝てるのか……つまらないわね」

「……」

「飲み過ぎて熱いし、少し離れて寝ましょう」


 相手が遠ざかり背中の温もりが急激に消えて行く。


 耐えた。先生の誘惑に屈せず耐え抜いたわ!

 あの先生が僕を誘惑するとかあり得ない。たぶん今の話を聞いていたかどうかの確認だ。判断を誤れば罰ゲームからの地獄の折檻的なあれだ。


 しばらく時間を置いてゆっくりと背後を見る。

 浴衣姿でスヤスヤと寝ているノイエの髪は、いつも通りの白銀色だ。


「危なかった」


 安堵から息がこぼれたよ。


「甘えて来る先生とかマジ恐怖だ」

「そうね」


 ビクッと反応して見れば、赤い瞳がこっちを見てた。


 しまった~っ! 先生は髪の色をそのままに出て来れるんだった!


「聞いてたのね?」


 ゆっくり起き上がった相手が幽霊か何かに見える。最早ホラーだ。


 誰か助けて……オーガさん!

 彼女は椅子に座り毛皮を布団に寝ていた。


 モミジさん!

 最後に見たままの状態でビクビクと震えている。


 ええい! ならば実力で乗り切るまでだっ!


「話の内容は全く聞こえてませんでした。もう少し大きな声で会話して下さいっ!」

「潔いくらいの開き直りね?」


 拳をバキバキと言わせて、先生がこっちを見る。


「誰が支配者なのか……教えてあげましょう、か?」


 何となく僕は死を予感した。




「はふ~」


 甘い声が湯船の方から聞こえて来る。

 露天だから寒いっす。また雪がちらちらと。


「先生」

「何よ?」

「寒いです」

「でしょうね」


 湯船に居る先生の声は容赦ない。

 本当に本気でそう思っている感じだ。


 寝た振りがバレて流れる動作で先生のビンタを往復でいただいて……引き摺られて来たのがここだった。

 浴衣を脱いで真っ直ぐ温泉に飛び込んだ彼女は満喫している感じだ。で、外で立たされている僕はとても寒い。


「せめて上着を」

「ダメよ」

「鬼畜ですかっ!」

「なら雪の中に移動する?」

「……」


 ちょっと寝た振りをしただけじゃないか。

 厳し過ぎるよこの先生は。


「ん~。気持ち良い」

「寒いっす」

「黙りなさい。氷漬けにするわよ」

「あはは~。かき氷にして食っちゃるわ~」


 無理です。もう寒すぎます。

 いそいそと浴衣を脱いで先生の邪魔にならないようにこっそりと端に入る。


 手にした布で胸元を隠す先生のそれは本来マナー違反な気がするけど……絶対零度のような厳しい視線が飛んで来たから、こそっと視線をずらして温まる。


 いいもん。後でノイエに戻ってからいっぱい見るから。


「堪え性の無い。あの女の子の方が余程根性があるわ」

「あんな変態と一緒にしないで下さい」

「大差ないでしょう?」

「心外なっ!」


 僕はノーマルです。決して変態などでは無い!


「ん~」


 と、先生が湯船の中で身を伸ばしのんびりしだす。

 自由人って良いな。やりたい放題だよマジで。


「温泉って良いものね」

「入ったこと無いの?」

「地元には無かったわね」


 身を起こして彼女は腕を擦る。


「子供の頃は預けられた魔法使いの元で勉強していたし、それから魔法学院に入って……外に出ない生活へと移行して行ったから」


 チャプチャプとお湯を手でかき混ぜて彼女は息をつく。


「今思うとつまらない人生を送っていたわ」

「ならこれから色々と楽しめば良いんじゃないんですか?」

「それだとノイエに迷惑が掛かるでしょ」

「あの~。僕は?」

「ん?」

「何でも無いです」


 本当にこの人は、ノイエに優しくて僕に冷たい。


「それにいつまでもこんな風にしていられないでしょうね」

「ん?」

「こっちの話よ」


 クスクスと笑って先生が上を見る。釣られて見ると露天の温泉から満天の星空が。

 と、首に冷ややかな冷気が。あれ? 首が動かないぞ?


「先に上がるからのんびりしてなさい」


 彼女がお湯から上がる音はするけど首が動かなのです!


「って、本当に首が痛いんですけどっ!」

「早く溶かさないと大変なことになるわよ?」


 鬼か~っ!


 慌てて湯の中に沈むと、その間に先生は消えていた。




(c) 甲斐八雲

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