おかしいことはしてないはずですがっ!

 最近ノイエの中の人たちが静かだ。

 何か僕が異世界人だと知られてから出て来なくなった。

 先生はたまに出て来て本を読んでいるみたいだけど……読み終えたまま放り出さないで欲しい。


 机の上の本を片付けていると、ベッドの上でノイエが珍しく寝返りを打っている。

 出会った頃は隙なんて無くて、僕が寝てから寝て、僕が起きる前に起きているのが普通だった。


 でも一緒に暮らして緊張が解けて来たのか、今の彼女はある意味で自然体だ。

 寝顔だって見せるし、こうして僕よりもたっぷり寝る日もある。たぶん今日は先生が本を読み続け……僕との子作りよりも読書の方に疲労を感じるっておかしくないですか?


 それに対する軽いセクハラは後で執行するとして、本を片付けている僕の手が止まった。

 一番下……机の天板に一枚の紙が置かれていた。


『出来たわ』


 ただそれだけの簡素なメモ。

 でも理解し机の引き出しを開けると、そこには美しいとしか言えない綺麗に文字や図式が刻み込まれたプラチナのプレートが4枚置かれていた。


 横に添えられている取説的なメモを手にしてプレートを眺める。

 あんな凶暴でおっかないアイルローゼ先生が刻んだとは思えないほどの美しさだ。

 何だろう……平面なのに角度を変えると立体に見える部分すらある。これが『術式の魔女』の実力なのかな? マジで凄い。


「アルグ様?」

「おはようノイエ」

「……?」


 僕を探してベッドを転がっていたノイエが、体を起こしてこっちを見てくる。


「どうしたの?」

「……お腹空いた」

「あれ珍しい」


 持っていた物を机に戻して急いで壁際まで行くと、伝声機でメイドさんに朝食の量を多めの注文と軽食を求める。身を起こしていたノイエがガス欠で止まりそうになっていると、メイドさんが大量の焼き菓子を持って現れた。


 ただ受け取ったノイエが、シュレッダーに紙を流し込むかのように全てを口に入れて行く。止まらない、まだ止まらない。

 メイドさんが冷蔵庫から冷えた紅茶をグラスに注いでノイエの元に届ける頃には半分が消えていた。


「旦那様」

「ほい」

「……朝食は質より量で構いませんね?」

「うん。ノイエにはそっちが良さそう」

「畏まりました」


 恭しく一礼をしてメイドさんが部屋を出て行く。

 お嫁さんが抱えていた焼き菓子がもう尽きようとしてるんです。


「どうノイエ? 少しは治まった?」

「……はい」

「正直に」

「……もっと欲しい」


 上目づかいでそんな大パンチなことを言わないで~。言わせたのは僕だけどさ。


 軽いセクハラをして僕的には満足なので、ノイエの隣に座って彼女の様子を見る。

 普段と変わらない。ただお腹が減っていると言うことは祝福が発動しているはずだ。


 あっ……そう言うことか。

 そしてそれが意味することは、また出来なかったと言うことか。


 いたたまれない感じになってノイエの頭を優しく撫でる。


「なに?」

「僕が撫でたいだけ」

「……はい」


 身を寄せて甘えて来るノイエの頭を撫で続ける。


 見た限り怪我などしていないノイエの祝福が発動している理由は、女性特有の月に一回のあれだ。

 あれが起こっていると言うことは、またノイエのお腹に赤ちゃんは宿らなかったらしい。


「難しいよね」

「はい」

「……今何となくで返事した?」

「はい」

「……そんないい加減なことをする子は許しません」


 ノイエのアホ毛を捕まえて軽く甘噛みする。

 頬を真っ赤にした彼女が体をビクビクと痙攣させてベッドの上に転がる。

 ぬははは。ノイエ君。君の弱点はもう完璧なまでに把握しているんだ。ここが良いんだろう?


「ダメ……根元は……はうっ」


 甘い声を出してノイエが転がり続ける。

 本当にこのアホ毛ってどんな仕掛けなんですかね?


 しばらく夫婦で仲良くじゃれていると、呼びに来たメイドさんが扉を開け……そしてまた閉じた。


 おかしいことはしてないはずですがっ!




「おにーちゃんです~」

「何だいチビ姫」

「あまあまです~」

「うん甘いね」


 少し苦めな紅茶とビターなビスケットを食べている僕でも甘く感じる。

 ホイップクリームたっぷりのケーキを食べているチビ姫からしたらもっと甘いだろう。


「はいイネル」

「クレア、もうちょっと」

「……食べてくれないの?」

「…………あ~ん」


 またスプーンで掬われた生クリームがイネル君の口の中に。

 頑張れ少年よ。恋愛とは時と場合によってとんでもないパワハラが生じる物なんだ。


 両親公認の婚約者同士となった二人が、仲良く並んでケーキを食べている。厳密に言うと一方的に食べさせられている。

 甘えたいクレアの様子にイネル君が完全に押し負けている感じだけど。


 でもクレアの気持ちは分からなくもない。二人でイチャイチャ出来るのはこの執務室くらいだ。

 クレアは王都の別宅に住んでいるし、イネル君は寮暮らしだ。


 イネル君がクレアの家に行くのはハードルが高過ぎるし、逆も別の理由でハードルが高い。そもそもの理由はクレアの自爆だからこの件に関してはノータッチだ。

 イネル君の看病をしていたクレアが欲情して彼に襲いかかり、彼の部屋の外で扉に張り付いていた寮生たちが寮長に報告して……イネル君の部屋が寮長の横の部屋になったらしい。


 その報告書を届けに来たクレアをしばらく見つめて、ニヤニヤと笑い精神的な嫌がらせをしたけどね。

 怪我から復帰したイネル君に甘えるクレアを見ていると心が和むから良いんだけどさ。

 ただ……我が隊は独身者が多いから、売れ残りな1名が最近執務室に来なくなったけど。




(c) 甲斐八雲

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