晴れ舞台ぞ

 普段使っている椅子なのに、今日に限って不思議と座り心地が悪い気がして……イネルは何度目か分からないが座り直した。


 先日朝の書類回収を終えて執務室に来ると、同僚に関する細かい報告書が机の上に乗っていた。

 良く分からないまま内容に目を通すと……彼女は齢の近い上級貴族の娘とその取り巻きの若者たちに寄ってイジメられていたのだ。原因は名門の家の出であるが故の難癖だ。ただの嫉妬や僻みの類だ。


 でも彼女はそんなイジメられていることをずっと隠し、普段執務室であんなにも明るく振る舞っていたのだ。違う……執務室に居れる時間が彼女にとって唯一の息抜きだったのだろう。

 ずっと気に掛けていた相手がそんなことに苦しんでいたとは知らず、イネルは報告書を抱きしめてメソメソと泣くことしか出来なかった。


 それから数日経つが変化はない。


 クレアは人に移るかもしれないあれ~な病気で欠勤したままだし、上司たるアルグスタは特に話題として振って来ない。唯一次期王妃様が顔を出しては、『小さなクレアは居ないんです~?』と言って『チビ姫もクレアのことを言えないぐらいに小さいぞ? 身長よりも胸が』と遠慮のない上司の言葉に王妃が憤慨する一幕がいつものことになりつつある。


 何も変わらない。変わっていない。

 イネルはそのことに気づいてグッと唇を噛んだ。

 変わらなければいけないのは自分なのだと……だから何も変わらないのだと。


 耳の奥に残っている好きな人の言葉がずっとずっと繰り返し響いている。

『守ってよ……』と、辛そうな涙声が頭の中から消えることは無い。


「アルグスタ様」

「ん?」

「……この書類を届けて来ます」

「いってらっしゃい」


 だが結局切り出せずに、イネルは書類を抱えて部屋を出た。

 そんな弟分の様子に……アルグスタはため息交じりに肩を竦めた。




 トボトボと歩きイネルは廊下を進む。


 何をどう切り出せば良いのか分からない。

 下手をしたら自分はとんでもなく悪いことをするような気がして……怖くなる。


 好きな人は守りたい。でもそのことで"家族"に迷惑はかけられない。

 やるなら自分だけの罪になるようにしないと周りの人に迷惑が掛かる。


 はふぅ……とため息を吐いてイネルは進む。

 角を曲がって反対方向から来ていた人物と正面衝突した。


「申し訳……」


 ぶつかったことを詫びようとする少年の声が喉元から凍り付いた。

 寄りにも寄って自分が頭突きを食らわせた相手は、この国で最も高い地位に居る人物だ。譲位の儀が済んでいるが、広く国民に通知するのは新年の儀だ。それまでは彼が最も高い地位に居る。


 国王ウイルモットが腹を押さえながら笑っていた。


「確かヒューグラム家の御子息だったか」

「もっ申し訳ございませんっ!」


 慌てて平伏する。相手が自分のことを知っているとは夢にも思っていなかった。

 何もしていないのに家族まで巻き込む大問題を起こしたかも知れない……そう思うと生きた心地すらしない。


「良い良い。儂もメイドの尻を見てて前を見ていなかった。気にするな」

「ですが」

「良いと申しておろう」

「はっ」


 慌てて平伏続行。

 その様子を見つめるウイルモットは……相手の人となりを何となく理解した。


「確かお主はアルグスタの部下であったな」

「は、い」

「なら都合が良い。ちょっと共に参れ」

「えっあっ……ええっ!」


 腕を掴まれ引き摺られるようにイネルは国王に攫われた。




「アルグスタ様をどう思う、ですか?」

「うむ。あの者は……ノイエを愛し過ぎるが故に周りが見えなくなる傾向が強い。お主も傍に居ればそのことが良く分かるであろう」

「はい」


 国王陛下の執務室へと連れて来られたイネルは、ソファーに座らさせられ国王陛下の話し相手を務めることとなった。

 メイドたちが準備した紅茶を口に含んで乾ききった喉を潤す。だが緊張から味は全くしない。


「儂も王妃を娶る時はかなり無茶をしたからアルグスタのことを叱れん身だが……でもあの者は無茶が過ぎる。どれほどの問題を起こせば気が済むのか」

「……」


 何故か上司のことを言われているはずなのに、イネルには国王様の言葉が『自分』に向けられているような気がしていた。


「あの者の問題全てを儂らが面倒を見るのだ。無論あの者にもやった責任は負わすがな」


 笑い紅茶を飲む国王様に……イネルは震えながら口を開いた。


「失礼ながら国王陛下」

「良い許す。否……お主の一族は王家に対して発言することに遠慮する必要は無い。それが"忠臣"ヒューグラム家と儂たち王家との間で定められた決まりである。好きに申せ」

「……」


 現一族からすれば重荷でしかない称号が、まさか本当に効力があるとは思っていなかった。

 胸のつかえが取れた様子で、イネルは改めて口を開く。


「国王様に一つ伺いたいのです」

「良い。申せ」

「……もし自分が罪を犯したのなら、周りの人たちや家族を巻き込まない方法は無いかと」

「ふむ。中々に難しいな」


 それらしい形で腕を組み、ウイルモットは首を捻る。


「難しいですよね」


 分かっていたことだ。そんなこと出来る訳が無いのだから。


「ああ難しい。だから簡単にする方を教えよう」

「……」


 驚きの表情を見せる心の根の優しい少年に、ウイルモットは孫を見る目を向ける。


「全てを巻き込め」

「……ですが!」


 片手で国王が少年を制する。


「聞け。お主はまだ子供だ。子供と言う者は大人を頼って良いと昔から決まっている。だから周りを巻き込み、致命的な後始末など大人に任せれば良いのだ」

「……」


 自分の中で何かしらの価値観が音を立てて崩壊する。

 それは余りにも暴論過ぎる言葉だった。


「それにお主の言葉を借りるとなると、儂の馬鹿息子であるアルグスタなど何度罰を背負うこととなるか……むしろあの者に『苦労』を学ばせる良い機会だな」


 ニヤリと国王は笑う。


「イネル・フォン・ヒューグラムよ」

「はい」

「何をするのかは知らんが大いにやって良し。そしてその尻拭いは全てお主の上司であるアルグスタ預かりとする」

「……」


 余りの言葉にイネルは思考が追い付かない。

 クククと笑うウイルモットは、追い打ちのように言葉を続けた。


「やるなら確りとやれ。先祖に負けぬ『男気』を見せ……しっかり護ると良い」


 スッと王は少年の目を見る。


「惚れた女を護るのは、男の晴れ舞台ぞ」




(c) 甲斐八雲

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