しませんって

 夕暮れ間近の薄暗い世界で……煌々と焚かれる明かりを見ながらルッテは軽く伸びをした。

 汗ばむ季節なのと普段の仕事内容から基本薄着のルッテが伸びをすると……一斉に近くに居た男性諸君の視線が集まり、勘づかれる前に離れた。

 能力の無駄遣いにも見えるが世の男性など所詮そんな生き物だ。


 タプンと胸を揺らしてから足元の荷物を確認してそれを肩に掛ける。

 今日は待機所の鍵当番だったのもあって、引き上げて来るのが最後の馬車となった。


 騎士や兵士たちの間を恐縮しながら通り過ぎ、外勤部隊用の建物の中に入って行く。そんなに立派な建物では無いが、中にはカウンターがあって引き継ぎ専門の文官たちが書類を手に忙しそうだ。

 ルッテはまず明日の食事用のリストを発注専用の籠に入れ、ついでカウンターの列に並ぶ。数人の行列を待つこと少しすると彼女の番となった。


「対ドラゴン大隊所属ノイエ小隊の騎士見習いルッテです」

「はいお疲れさん」


 顔なじみの中年男性に手にしていた書類を渡し、軽く内容の確認が終わるのを待つ。


「はい……問題は無いね。明日の分は?」

「先に籠に入れて来ました」

「了解。本当にノイエ小隊の面々は書類が確りしてて助かるよ」


 あははと笑って中年文官が、本日の仕入れに関する書類と台帳の数字を確認し承認のサインを入れてくれる。

 その様子にルッテは何とも言えない笑みを返すしかない。


 ノイエ小隊の財務を握る先輩がとにかく細かくて厳しいのだ。そしてその先輩よりも上司たる大隊長の方がもっと細かい。本当に王国一のお金持ちなのかと疑いたくなるほど細かすぎる。

 日々の厳しい教えの元で、ルッテが作る書類は本当に丁寧で一目で分かる物になっていた。


「明日も仕事かい?」

「はい」

「頑張ってな。夜遊びなんてするんじゃないぞ?」

「しませんって」


 あははと笑ってルッテは戻された書類を手にしていた物と一緒にして1つに纏める。一応全ての書類があるか確認して、建物内の壁に並ぶ木製の箱へと向かう。

 昔の小学校などに見られた戸が付いた下駄箱のような箱の1つに手を伸ばす。ノイエ小隊専用の箱に書類を入れておくと、翌日アルグスタの元で働いている見習い少年が回収して行ってくれるのだ。


「……」


 仕事を終えて帰るだけなのだが、どうも自分を見ている中年文官の視線が気になってルッテは何となく顔を向ける。すると彼が軽く手招きしたのだ。

 何事かと思って歩いて行くと、彼はとても言い難そうな表情で口を開いた。


「……お嬢ちゃんの所の小さな副隊長が居るだろう?」

「えっ……ええ」


 その時点で悪い予感しかしない。


「あれが夕方戻って来た時にな……メイドから何やら手渡されて発狂したように騒ぐと、高いワインとチーズを購買から強奪して行ったんだ。一応請求書は手渡してあるが」

「……分かりました。明日確認して明日の夕方以降に報告で良いですか?」

「悪いな。最悪給料から差し引けば良いんだが、それを勝手にこっちでやると書類が面倒でな」

「ですね。……お手数おかけします」


 ペコペコと頭を下げ続けるルッテの様子に、カウンター内の文官たちがスッと中腰になって覗き出す。絶妙な角度で首元から微かに覗ける豊かな双丘の一部を見る喜びを味わい噛み締めた。


 そんな若い同僚の様子に軽く頭を振って……中年文官の男性は真面目な顔でルッテを見た。

 田舎出身で世間知らずの若い娘は、全体的に隙が多過ぎるのだ。


「お嬢ちゃん……ちょっとオジサンの言葉を真面目に聞いて貰えるかな?」

「はい?」


 確りとお説教され、ルッテは半泣き状態で建物を出た。

 見た感じは一人前以上の容姿をしているが、中身が伴っていないルッテは……何故かベテラン衆から我が子のように可愛がられるポジションに居るのだ。


 うるうるとその目を潤ませながらちゃんと胸元を閉じて歩くルッテは、帰り際に貰った砂糖菓子を舐めながら両親が待つ寮の部屋に向かう。


 と、何とも言えない気配を感じて慌てて物陰に逃れた。

 顔を出して様子を伺うのすら恐怖に思い、自身の祝福を開放して確認する。

 薄暗くて見づらいが、良く良く見れば見覚えのある人物だった。


(ハーフレン王子?)


 元が付くが上司であった人物だ。

 豪快でいい加減で仕事など適当な感じの人だが……ゴクッと喉を鳴らしルッテは唾を飲み込む。

 やはり見間違いなどでは無い。その纏う気配は禍々しいほどに殺気立っている。


 野山で出会ったドラゴンに匹敵するその気配に……ルッテは震え祝福を止めて相手がどこかに行くのを待ったのだった。

 結果帰宅がだいぶ遅くなったルッテは……両親から『夜遊び』を心配され、違うと理解して貰うまで涙ながらに説明する羽目となった。




 鬼気迫る気配を辺りに向け発散する王子の姿を見るや、騎士や兵士などは自然と視線を逸らし嵐が過ぎるのを静かに待つことを選ぶ。

 危ないまでの気配を放ちながら……彼はただ帰宅の途に着いていたのだ。


 今日の失態を思い出しては殺気だった気配を放って視線で手軽な獲物を探す。

 だが喧嘩を売れる相手がそう居る訳もなく、彼は無事に屋敷へと戻ったのだった。




(c) 甲斐八雲

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