勝てそうな気がしない

「アルグ。どう言うことだ」

「うわぁ~っ!」


 執務室から出て行こうとしていたイネル君が、押し入って来た相手を見て尻尾を巻いて逃げて来た。

 クレアは迷うことなく机の下へエスケープしている。君はもう少し自分の姉を見習うと良いよ? フレアさんなら問答無用で歩み寄って相手の股間を蹴り上げているに違いない。


 のしのしと入って来る馬鹿兄貴は、すでに腰に差している剣に手を掛けたままだ。

 何かあれば斬るって感じだけど……『殿中でござる』とか言って引き留める守備兵はいないのか? 僕って兵たちに愛されていない?


「聞いているのか……この馬鹿弟が」

「聞いてるよ。少なくともお城の中で、それも対ドラゴン大隊の執務室に殴り込みを駆けて来た馬鹿に馬鹿と言われるほど馬鹿じゃない」

「ならこのふざけた申請書の意味を言え。返事次第じゃ殺すぞ」

「挙句脅迫ですか……確りと罰金払えよ」


 本気の殺気と言うのかな……普段と違って物凄く静かな感じで怒っている相手が怖い。

 夜の海を見つめているような静かで圧倒的な恐怖を感じる。


「申請書の通り、王妃様に会いに行くんで書類などを回すなってことですけど? それとノイエも一緒に行くんで半日程度居なくなるから王国軍などの手配も込みで」


 そう。僕が勝手に休む分には次の日に書類の山と書類の催促を受ける程度で済む。

 だけどノイエが休む場合は一応ドラゴンの対応をする兵を手配しないといけない。たまに不意打ちで『本日ノイエ様お休み』って言う日があるけど、その前日に文官たちが忙しなく走り回って準備する様子から勘づかれてしまうらしい。


 と、馬鹿王子が僕の机の上に足を乗せ、今にも斬りかかりそうな気配を見せる。


「何度か言ったはずだ。お前はあの場所に行くなと」

「だね。でも今回ばかりは仕方ない。誰が裏で手を引いたのか……まあ分かるけどさ。ノイエ本人が行く気満々なんだ。

 そうなるとノイエを愛してやまない僕は逆らえない。彼女の望みを叶えることこそが僕の至上の喜びだからね」

「命がけになってもか?」

「仕方ないよ。って一応そっちのことも考慮して、勝手に行こうとしてない訳だしね」


 わざわざ書類一式作って、後は相手次第だけど日にちまで決めてから行こうって訳だ。


「妨害するならすれば良い。ただこっちもノイエと2人で突破させて貰うけどね」

「……最悪お前を黙らせれば良いって訳か」

「ノイエの本気を見ることになる覚悟でどうぞ」


 と言って、僕は椅子を動かし馬鹿王子に背後の窓を見せる。

 下の方からニョキッと生えたアホ毛がユラユラと揺れていた。


 だからノイエさん……姿隠してもアホ毛が隠れてませんから。って実はそれ、潜水艦の潜望鏡のように辺りの様子が見えるとかっていう機能があったりするの?


 ただ馬鹿兄貴も僕の背後に誰が居るのか気づいて、大人しく机の上から足を退けた。


「アルグよ。これだけは言っておく」

「へい?」

「俺は本気だ。覚悟しておけ」

「……」


 圧倒的な殺意をまき散らして馬鹿兄貴が出て行った。

 何だかね。最近シリアスな場面が多くて困る。僕は基本のんびりまったりが良いんだけど。


「ノイエありがとう。早く仕事に戻りなさい」


 そう呟くと窓の下から生えていたアホ毛が消えた。


 当初ノイエがお城の近くで力を使うと問題視されていたんだけど、僕と結婚してから周りの言うことを聞かないってことでそのルールはだいぶ緩和されてきた。

 ただ緩和して来ただけで許されている訳じゃない。


「クレア~。『ノイエが暴走した時のごめんなさい書類一式』出しといて」

「はいここに」


 机の下から這い出て来た彼女が僕の机に書類一式を置いた。


「……準備良くない?」

「いつものことじゃ無いですか? お蔭でわたしの引き出しをその一式が占領してるんですけど?」

「あ~。机、大きくする?」

「これ以上変な書類が増えて欲しくないんでいいです」


 さっさと片づけを始めたクレアは、扉の傍で腰を抜かしているイネル君に気づいて急いで駆け寄って行った。




「で、当日な訳です」

「はい」


 午前中に仕事を済ませ急いで帰宅。一応王妃様に会いに行くってことでそれなりの格好をした。

 制服っぽいような軍服っぽい感じの衣装だ。で、勿論ノイエはドレス姿だ。本日は淡い黄緑色のドレスを着ている。

 ふっ。惚気にしかならないがうちのお嫁さんは本当に美人だな。このままケースに入れて飾って置きたい。


 暇潰しにノイエを見て待つこと暫し、僕の屋敷に向かい馬車が来た。

 王都の外れにあるこの場所に来るような馬車は間違いなくうちに用のある人だ。つまりあれが手紙にあった迎えの馬車だろう。


 馬鹿兄貴には王弟様からの手紙のことを言っていないけど……頑張れよ。頑張り過ぎると大問題を通り越して犯罪者になるけどな。


 ゆっくりと馬車が止まり、執事らしい人が扉を開ける。

 執事の手を借りて中から出てきた人を見て……目が点になった。

 質素だけれどどこか目を引く紫色のドレスを身に纏った妙齢の女性。僕はその人を知っていた。


「初めましてドラグナイトご夫妻。わたくしが本日、王妃様宅にご同行することとなりました王弟ウイルアムが妻スィーク・フォン・ユニバンスにございます」


 恭しくこうべを垂れる相手は見間違いなくメイド長だった。


「宜しく……アルグ様?」

「へっあっはっ? ……よろしくお願いします」

「あら。血は通わなくても叔母と甥の関係です。どうか硬くならず。王妃様の元に向かう間、ゆっくりとお話でも致しましょう」


 クスッと笑う相手が心底怖いと思った。

 僕は何をどう足掻いても……この人に勝てそうな気がしない。




(c) 甲斐八雲

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