ノイエには言えないこと
「……」
見慣れた天井だ。
見慣れ過ぎているから一瞬全部夢だったのかとも思う。
石の床と正面からキスした記憶もあるけど、やっぱり気のせいだよね。
体を起そうとするけど余りのだるさに起き上がれない。
ヤバい。リアルだ。つまり気絶して倒れたで間違い無い。
辺りを見渡すけど、いつも通りの夫婦寝室。そしてノイエの姿は無い。
はうぅぅぅ!
胸が痛い。マジで泣きそうだ。って涙が出てる。
倒れたのに看病もして貰えないなんて……そんなにも自分は、ノイエの逆鱗に触れてましたか?
直接呼ぼうと思えば出来るけど、拒絶されている今呼ぶのは拙いよね。
必死にベッドを這い出して部屋の隅に設置されている伝声管に嚙り付く。
合図の糸を引くと管を通して鈴の音が聞こえて来た。
「もしもし?」
『お目覚めですか旦那様』
「うんそれで」
『少しお待ちを。シュニット陛下より命ぜられていることがありますので』
「……」
言葉を遮られてメイドさんがパタパタと足音を発して駆け込んで来た。
足音なんて珍しいけどそれ程急いでいるっぽい。
「旦那様。シュニット陛下よりの伝言です」
「……はい」
恭しく差し出された紙を受け取るとそれにはお兄ちゃんからの指示が書かれていた。
『ノイエに休みを与えるために無理をさせている。出来る限り彼女の邪魔をせぬように頼む』とあった。
そうか。休ませるためにノイエは仕事をさせられているのか。
安心しきったせいか、カクッと足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。慌てて駆け寄って来たメイドさんの手を借りてベッドに戻る。
「旦那様」
「はい?」
「飲み物などお持ちしましょうか?」
「お願い」
一礼してメイドさんが部屋から出て行く。
天井を見上げて深く息を吐くと……また少し気が遠のいた。
「ノイエ。頑張ってね」
軽く囁くと、遠くで凄い爆音がしたような気がした。
うん。頑張れ……本日出勤の兵士さんたち。ノイエのやる気は高そうだ。
これでもかと大暴れしたノイエは待機所へ戻ると急いで着替えを済ませた。
待機している兵士たちも後片付けを済ませて城内へと戻るだけだ。
と、直ぐにでも帰りそうな勢いのノイエが足を止めて暫し悩む。
ツカツカとルッテの前にやって来た。
「教えて」
「……はい」
顔をくっ付けんがばかりに迫るノイエに気圧され、ルッテは涙目でコクコクと頷く。
「怒るのってどうすれば良い?」
「はい?」
「怒るはどうすれば良い?」
相手に怒られている様な状況のルッテにはそれが分からない。
救いを求める様に周りを見ても、今日は副隊長の2人が居ない。
フレアは半日で、ミシュは別件で留守だからだ。
「教えて。どうすれば良い?」
「……それで良いと思います」
「……?」
「今の隊長の様子が怒っている感じです」
言われてノイエはキョロキョロと自分を見る。
大きく頷くと……音も立てずに姿を消した。
「何なんですか? も~っ!」
ルッテの叫びに答える者は誰も居なかった。
「……」
「ノイエ……さん?」
「……」
何も言わずに顔を寄せて睨んで来る相手が怖い。
帰宅してから真っ直ぐ寝室に突撃して来たのであろう彼女のお陰で、メイドさんたちが開いたままの扉の向こう側で困った様子で立っている。普通お風呂から食事が一連の流れだしな。
ただこっちの空気を察してか、軽く頷いて扉を閉じてくれた。
2人きりになった寝室で、ノイエは黙って僕の目を見つめて来る。
何も言わずに真っ直ぐにだ。
と、彼女は離れて指折り何かを確認し始めた。
「……謝って」
「ごめんなさい」
言われるがまま素直に謝ると少しノイエのアホ毛が揺れた。
と、また指を折る。
「名前」
「名前?」
コクッと頷いた彼女がこっちを見て来る。
ごめんなさいノイエさん。それはいくら何でも情報が足りません。
少し待っているとノイエのアホ毛が困った様子で左右に揺れる。と、また自分の指を折り始めた。
「謝って貰う。次は……名前」
「ごめんなさいノイエ。色々と言葉が足らないです」
「?」
小首を傾げてこっちを見る彼女は、『どうして分からないの?』と不満げに見える。
流石毎日顔を見合わせて来たから少しの変化でも脳内変換できるようになって来たよ。
「名前って何の?」
「……アルグ様、変」
突然の言葉に僕のハートはブレイク寸前だよ?
しかしノイエはいつも通りの無表情で口を開く。
「寝ていて目を覚ます。アルグ様、違う名前で呼ぶ。変。……怖い」
ウルっとした彼女の目を見て気づいた。
そう言うことか。
「教えて。どうして違う名前? アルグ様言う。『言わないと分からない』って。分からない。アルグ様言わないから分からない」
「あ~」
「言って。分からない」
ポロポロと泣く彼女を見て心が圧し折られそうになる。
言いたい。全部言ってスッキリしたい。でも、
ふと一瞬……ノイエが前のめりに倒れかける。一歩二歩と足を動かし自分を支えるとその顔を上げた。
「……言ったらどうなるか分かっているわね?」
冷たくて凍り付くような碧眼。
まるで鏡を覗き込んだかのように僕と同じ瞳の色だ。当たり前か……彼女には僕と同じ血が流れているのだから同じ特徴でもおかしくないんだ。
「分かっているよ。グローディア」
「なら良いわ。仮に貴方がどれほどノイエに嫌われるようなことになっても、私たちの存在を明かすことだけは許さない。そんなことをすればどうなるか分かる?」
「聞きたくない」
「なら教えてあげる。ノイエの内側からその精神を」
「だから言うなっ!」
はっきりとした拒絶に彼女はニヤッと笑って口を閉じた。
分かっている。ノイエには言えないことがあることぐらい。
それから僕は泣き続ける彼女に対して謝り続けるしかなかった。
(c) 甲斐八雲
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