印刷か
それは雨期が始まり、フレアさんが長期休みに入った頃の話だ。
「どうしたのルッテ?」
「アルグスタ様~」
「ああ。また書類の書き間違いをしたのね」
「だからわたしは狩人の娘なんです。こんな書類とか縁の無い生活を送って来たんです~」
涙目で書き直しをしている彼女を見て思う。
貴族の中にも読み書きが怪しい人も多い。下級貴族なんて一般の人と大差ないレベルだとか。
そう考えると山の中を走り回っていたルッテなんて本当に大変だろうな。
「ん?」
あれ? つか何でこの世界って印刷技術とか無いの?
「クレア~」
「ケーキを買いに行くなら喜んで」
どんな条件反射だよ。
「余り餌を与えるなってフレアさんから言われてるんだよ。だから今日は無し」
「え~」
「不満を口にしない。それよりクレアよ? あれって知ってる?」
「あれ?」
言いかけて気づいた。これってもし知られてなかったアウトだよね?
この世界に変な技術を持ち込んだら僕の命がヤバいんだよな。
「ん~」
「アルグスタ様?」
ええい。能天気に声を掛けて来るな。
上手く誤魔化しつつ質問すれば良い。
反応が悪ければこの世界に無いってことだから全力で誤魔化そう。
「あれよあれ。こう木の板を削ってインクを付けて紙に写す」
「ああ印刷ですか」
「そうそれ。ド忘れしてたよ」
あるやん。
「でもあれって西の方の国が技術を独占してるんですよね」
「……」
そう言うことね。
「ん~。ちょっと散歩して来ます。ノイエ……行く?」
「はい」
「ちょっとアルグスタ様? 仕事はっ!」
「僕の分は終わってます。追加があるなら机に置いといて」
騒ぐクレアを尻目に、まずは国王か宰相だな。
「印刷か」
「そうです」
「西の方にそんな技術があると聞くがそれがどうした?」
珍しく執務室に居た王様と向かい合いソファーに座る。
って、こっちの世界の人って印刷の重要性を知らないの?
「印刷についてどこまで知ってます?」
「ん? 確か木を削り紙に写すだったかな?」
「その通りです」
ノイエにナイフと木の板を渡して羽ペンで書いた文字を残す様にして削って貰う。
相変わらず正確で精密な動きで、あっと言う間に板を削った。
「ふと思ったんですよ」
「何が?」
「こうして書いた文章を紙に写せば……毎回書かなくても良い事実にです」
木の板にインクを付けてその上に紙を置く。軽く擦って文字が写ったかを確認する。
うん成功だ。『ノイエ大好き』とはっきり出てる。
それを受け取った国王が難しそうな表情を見せる。
「仲睦まじい様子を言葉で見せられてもな」
「違うわボケ。……つまりその文章を毎回提出している報告書の文章に変えたら、毎回書かなくて良いですよね?」
ピタッと国王が全ての動きを止めた。たぶん印刷の重要性に気づいたんだと思う。
素のツッコミをスルーして貰えて助かったよ。
「大体書く項目って決まってるじゃないですか? だったら決まっている文章を彫っておいて、その時に付け加えたい文字は手書きする。そうすれば文官たちの手間は減ると思うんです」
「確かにな。うむ……その通りだ」
机の上に置かれている鈴を国王が鳴らす。
チリリリリ……と響いたら、ノック一発でイケメンお兄ちゃんがやって来た。
って何処に居たの?
「お呼びですか?」
「うむ。アルグスタよ。今の説明をもう一度シュニットに」
「はい」
軽く説明したらイケメンお兄ちゃんはあっさりと理解してくれた。
「確かに悪くは無いです」
「そう思うだろう?」
「はい。ただし」
「何じゃ?」
腕を組み顎の下に指をあてたお兄ちゃんは本当に絵になる。
イケメン憎し。
「たぶんこれを我々が実施すると、武官たちが騒ぐことでしょう」
「何故じゃ?」
国王が訝しむ様な視線を向ける。
お兄ちゃんはいつも通りの澄まし顔で頷いた。
「はい。彼らは文官の仕事量を理解していません。それこそ朝から夕方まで座っているだけの置き物だと勘違いしています。そんな彼らが文官の仕事が楽になるなんて知れば」
「反発して文句を言い出すと?」
「はい」
その言葉に国王も渋い表情を見せる。僕としてもその言葉に納得だ。
どうもうちの武官と言う名の脳筋な馬鹿共は、文官の仕事の難しさを理解していない。
結果として文官たちと対立関係になるんだけどね。
「ああ。だったら僕に良い手があります」
「ほう。どのような手だ?」
「はい。現在僕の所には各所から仕事が勝手に回されて来てます。これを逆手に間違いを間違ったまま受理して将軍たちに泣いて貰いましょう」
その発言に国王が呆れ、お兄ちゃんが忍び笑いを見せる。
「逆手にとって文官の仕事の大切さを将軍共に理解させるのだな?」
「はい。それがある程度広がれば、彼らは自分たちで書類を見、そしてそれを作ることの大変さを知るでしょう。そうしたら宰相様がこの印刷のことを発表すれば良い」
その言葉に二人が僕を見る。
「何じゃ? 手柄をシュニットに譲ると?」
「はい。たぶんその頃には僕は将軍たちから嫌われてますしね。嫌われ者がそんな画期的な発言をしたら拒絶されます」
そうしたらこの印刷プランが挫折する。
「ですから宰相様主体で。ああ試作はこっちでやります。たぶんそっちの方が良いでしょ?」
この2人は僕が異世界人だと知っているから理解してくれた。
ならばこの件は完璧に仕上げてくれよう。
「ノイエ。部屋に戻って考えよう」
「はい」
彼女はもう一枚刷った紙を見て嬉しそうにアホ毛を揺らしていた。
さあやるぜっ!
「アルグスタよ」
「はい?」
「何故そんなにやる気を出す?」
去り際に掛けられた国王の言葉に僕は迷うことなく本音を口にした。
「決まってます。楽が出来ればノイエと居れる時間が増えますから」
それが僕の日々の活力です。
(c) 甲斐八雲
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