肉を買って来い

「ハーフレン様っ!」

「今度は何だ?」


 むさ苦しい髭面の将軍が飛び込んで来た。

 ようやく一つ前の苦情処理を終えたと思ったらこれだ。


『はぁぁあ~』と内心で深々と息を吐き出し、とりあえず早急に手を打たないといけない書類を山の上に置く。

 ずっと鎮座したままのこの書類はどうして消えないのだろうか?


 場違いだと分かる思考を巡らせつつ、ハーフレンは机の前に居る将軍を見た。


「アルグスタ様に可及的速やかに書類の訂正をお願いしたいのですっ!」

「……自分たちの間違いを逆手に、あっちが有利になりそうだから無かったことにしろってか?」

「っ!」


 露骨な言葉に将軍は目を剥いた。


 近衛や一部王国軍の書類まで処理している"暴君おとうと"のやんちゃが過ぎるのは最近理解している。しているが、


「そもそも間違った書類を提出したのは貴公たちだろう?」

「確かにそうですが、裏方の事務などはその間違いを見つけ正すのが仕事です。間違ったまま受理してしまうなど職務怠慢でしかない」

「……」


 髭面の馬鹿が踏ん反り返ってそんな暴言を言う。

 悲しいことにこんな馬鹿がここ最近列をなしてやって来るのだ。


 ハーフレンは残り少ない理性を掻き集めて我慢した。

 彼らが言うには『書類は間違いがあって当然だから、間違いを見つけたら速やかに届け、訂正する様に上申しろ』となるそうだ。


 共和国の魔女の相手などをしていた弟が妙に静かだと思ったら、裏でとんでもない有言実行をしていた。

 こっちが不利になる書類はそのまま通し、自分たちが不利になる物だけは訂正する。

 結果として予算などの配分で、軍部が大騒ぎになっている。


「ですから可及的速やかにですね」

「……この件に関しては宰相閣下。並びに国王陛下からの命が出ている」

「……」

「『自分の失敗ぐらい自分で尻を拭け』だそうだ」


 冷たくそう告げ相手を突き放す。

 職務怠慢をした馬鹿者にかける優しさなど、ハーフレンは元から擁していない。


「それではっ!」

「諦めろ。そもそも裏方の仕事だと事務を蔑ろにして来たお前が悪い。

 何より提出する書類は責任者が目を通し間違いが無いか確認する決まりがある。その決まり通り処理していれば間違いなど発生しない。

 違うか?」


 分かっているが我慢は出来ない。

 今にも溢れそうな怒気を皮一枚で封じ、ハーフレンは将軍を睨みつけた。


「職務怠慢はお前のことだ。

 分かったら今回のことは手痛い勉強だったと思い実費で賄え。部下に押し付けるのは禁止だ。

 分かったか」

「……っ!」


 軽く頭を下げただけで相手は執務室を出て行った。


 やれやれと肩を竦めながらハーフレンは頭を掻く。

 そもそもここはアルグスタ専属の苦情窓口では無い。近衛の長たる第二王子の執務室だ。

『苦情は直接本人に持って行け』と看板でも置くかと一瞬考えたが、弟の執務室には現在彼の嫁が常に横に居る。

 拳を振るったら大惨事と大問題が発生しかねないから……我慢するしか無いらしいことを再確認した。


 暴君と化している弟の評判の悪さはこのところ良く耳にする。

 だがそれは武官のみで、それ以外の官たちからの評価はビックリするほど良い。

 文官と商人と女性の味方……それが弟の現状だ。


「全く……アイツはただの面倒臭がりなだけだと思うんだけどな」

「そう言えなくもありませんが、アルグスタ様はそれを自覚している人です。だからはっきりとこう言ってます。『明日楽するために今日がんばろ~』と」


 静かに表れたメイドにハーフレンは愚痴っていた。

 ただメイドがその愚痴に反応できるのは、彼女が傍で今の会話を聞いていた証拠だ。


「その理論で行くと、ずっと頑張り続けることになるのだと思うがな?」

「はい。お蔭であのお方の部署は半日で大半の仕事を終えるそうです」


 会話をしながら茶の準備を進める長身のメイドが、ハーフレンの前にカップを置いた。


「それであの馬鹿に直接手を出そうとしているのは?」

「我が主を除けば2人ほど怪しい動きを見せています」

「うむ。その馬鹿2人の盟主にはなりたくないな。余り酷い動きをするようなら軽く脅しておけ。それでも続けるなら……分かっているな?」

「はい」


 ただ不意の病で馬鹿がこの世から消えるだけのことだ。


「お忙しそうですね。我が主」

「ああ。兄貴の組閣準備で人事の洗い出し作業中だ。もしアルグがこれを狙って動いているなら、兄貴の次の国王はアイツで良くないか?」

「私には何とも。ただ」

「ただ?」


 クスッと長身のメイドは口元に笑みを浮かべた。


「我が主も大概、面倒臭がりだと言うことだけは理解しております」

「言うな。俺だって楽して生きたい人間の1人だ」


 渋く淹れられた紅茶を啜り、ハーフレンは書類の山と相対することにした。




「む~です~。む~なのです~」

「……」

「わたしは怒ってるのです~。とってもとっっっっても、怒っているのです~」

「……」


 自称怒っているらしい少女に抱き付かれているノイエが、困った感じでアホ毛を揺らしてこっちを見ている。

 ソファーに座っている大陸屈指のドラゴンスレイヤーを困らせているのは、まだ年若い次期王妃様だ。

 フレアさんの勉強会に参加してから、その足でこっちに突撃して来た。


 本日の僕は不参加。一度聞いた内容の授業に出るほど暇じゃない。本当は出たいんだけどね。


「イネル君。これってそっちで合ってる?」

「大丈夫です」

「ならお願いね」

「はい」


 書類を手渡して次に手を伸ばす。ヤバい時間が……かなりピンチだ。


「おにーちゃんもこっちに来てわたしの話を聞いて下さいです~」

「分かった。これが終わって場所を変えたら聞く。だからもう少し待って」

「……何をしているのです~?」


 ノイエに対して甘えた……こらこら幼女よ。その胸に頬ずりして良いのは僕だけだからね?


「そろそろ雨期も終わるでしょ? そうするとノイエたちはまた外勤になるから、なら今日くらいみんなで飲んで騒ごうと言うことで」


 バーベキュー大会が僕らを待っているんだ。


 買い出しはクレアとルッテに任せてある。今日はケーキじゃなくて肉を買って来いと言ってある。でも明日から帰郷するイネル君のお土産に日持ちする高級菓子も頼んである。

 自分、部下の家族に対しても気配りの出来る上司ですから。


 と、目をキラキラさせた次期王妃様が涎を溢してこっちを見ていた。


「一緒に来る?」

「はいっ! です~」


 警護はノイエ小隊の監督者たちが居るから大丈夫だよね?

 後でおにーちゃんに怒られないと良いな。




(c) 甲斐八雲

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