ただ狩りをするのみ
「カリーン。カリーン……」
その声は静かな屋敷の廊下に響く。
1人の女性がゆったりとしたドレス姿で歩いて来る。
齢の頃は30を過ぎ40手前にも見えるが、その声は思いの外若い。
確りとした足取りで歩く彼女は……開かれたままの応接間の扉を見て疑問に思った。
『戸締りに関しては厳しく言い聞かせているのになぜ空いているのか?』
覗き込むように応接間の中を見れば、探していたメイドがソファーに腰かけていた。
「カリーン。何故返事をしないのですか?」
と、声を掛けるが背中をこちらに向け、ソファーの背もたれに背を預けるメイドは反応が無い。
不審に思い歩を進め……メイドの肩に手を置く。
……パタンッ!
押される格好になったメイドはそのまま床に伏した。
「カリーン?」
驚きと共に自身の手を見る。
ドロッとした感触は……赤黒い血液の色だ。
そして床に伏したメイドが流す色と同じ。
「ひっ! ……誰か! 誰か!」
「あはっ」
「ひっ!」
「ヤバいヤバい。寝てたわ~」
その声に驚いた女性が体ごと顔を向けた視線の先……くわわと欠伸をする少女が居た。
齢の頃は15くらいにしか見えないとにかく小柄な女の子だ。
「誰ですか! 勝手に人の屋敷に!」
「あはは。申し訳ございません……ハーフレン王子の指示でやって来ました」
「……王子の?」
「はい。これが近衛所属を表す紋章です」
鎧の中に手を突っ込んで引き出して来たそれは、鉄のチェーンに銀色のプレートだった。
確かに近衛を表す紋が刻まれている。
「近衛の者がこの屋敷に何の用ですか!」
「……そのメイドの姿を見て察しているでしょう? レーゼンデルテ夫人」
女性……スーレン・フォン・レーゼンデルテ中級貴族夫人はその顔を恐怖に歪ませた。
「中級貴族の身でありながら罪を行えばどうなるのかお判りでしょうに……本当に馬鹿ですね」
「何を証拠に!」
「証拠ならもう集め終えました。カーリンでしたか? そのメイドも白状しました。貴女が集めた幼児……販売を目的とした誘拐事件の全てを」
抑揚のない冷たい声に夫人は怯えて一歩二歩と足を引く。
「知らないわ……何のことかしら?」
「そうですか。なら貴女のもう一つの罪……共和国の工作員との密会の方を上に報告しても良いのですよ?」
「……」
やれやれと肩を竦める。
「出費を渋り領内のドラゴン用の柵の補修を行って来なかった結果、壊れた柵からドラゴンに入られて家畜を大量に殺された。農民たちは貴女に補償を求め、貴女は傭兵を雇って農民たちを追い払った。
馬鹿ですか?
そんなことをすれば農民は他の領主の元へと逃げ込む。税収も減り、それでも贅沢を止められなかった貴女に共和国の工作員が囁いた。
『帝国の者のせいにすれば良い』と。
盗賊崩れの人を雇い近隣から子供を集め売ろうと企んだ。唆されたとしても実行した時点で言い逃れなんて出来ない」
「……証拠は! 証拠は何処に!」
血の気を失った顔で、それでも夫人は吠えた。
キャンキャンキャンキャン……犬のように。
「屋敷から離れた納屋の地下室。もう見つけてありますよ」
「……」
「物を隠すなら目の届く位置に。罪人は特にその傾向が強い。
……毎日確認できる場所に置いておかないと不安で仕方なかったのでしょう?」
「……知らないわ! 私は何も知らない!」
全てが明るみになっているのなら全て白を切るしかない。
そう思い、それに徹するスーレンは……重要な過ちを犯していることに気づいていない。
「そうですか」
「……えっ?」
「知らないと言うなら仕方ないですね」
「……ええそうよ。私は何も知らないわ! だからっ!」
夫人の口が、喉が、凍り付くように止まった。
相手が……後ろ腰に差している剣をゆっくりと引き抜いているのだ。
「貴族の当主らしく服毒自殺の慈悲もありましたが……貴女は『知らない』と言うのでこっちにします」
「嘘……。どうしてっ!」
「馬鹿ですか? 強盗に遭った貴族の当主が無傷で居られるなんてことは無いんですよ」
「強盗? どう言う」
「どうもこうもありません。ハーフレン王子からの命令は1つ。『関係者全ての始末』です」
「ひっ!」
ようやく夫人は合点がいった。
王国に仇なす者を裏から表から処断して行く第二王子の存在を思い出し、相手の言葉が何を指し示しているのかと言うことを。最初から『殺す気』で来ていたのだ。
「待って……待って頂戴!」
「はい?」
「お金なら幾らでもあげるわ。違う……望むものなら全てあげる。だから見逃して頂戴っ!」
「全てですか?」
「ええ。お金でも地位でも何でもよ! 貴女だって欲しい物はあるでしょ? それをあげるわ! だからどうか見逃して頂戴!」
「ん~」
頬に手を当てて彼女は考える。
欲しい物はいっぱいある。喉から手が出るくらいに欲しい物はある。欲し過ぎて魂の叫びが聞こえて来る。
でも……
「無理ですね」
「えっ?」
「だって……"猟犬"が主の命に逆らうなんてことある訳ないじゃないですか?」
「猟けっ」
夫人の全身が粟立った。
ユニバンスの猟犬……それを目にした者は全て死ぬと言われている。
作り話の類では無く、実在した存在であると貴族の地位に居る者は全てが知っている。
そんな存在が目の前に居たのだ。
「はい。だから……どんなに欲しい物があっても、今の私はこう言います。『ご主人様の良くやったの一言が欲しい』と」
「ひっひぃ!」
逃げようとして夫人は相手に背を向けた。
無防備なその背中を見て……猟犬の行動は1つだ。
ただ狩りをするのみ。
(c) 甲斐八雲
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