第10話

       10


 クウガは、気絶したゲルマン騎士団の三人の武器を回収し始めた。蓮とアキナはクウガを手伝わず、葵依へと駆け足で接近していった。

「ぐっ、あんたら。うちにこないな真似をして、楽に死ねると思わんことやな。うちみたいな由来のはっきりせん能力と違うて、おとうはんはあんたら以上の超念武サイコヴェイラーの遣い手や。せいぜい無駄な悪足掻きしたら──」

 憎々しい台詞は最後まで辿り着かず、葵依の頭はがくっと落ちた。

「大丈夫。死んじゃあいないよ」真剣な様のアキナが断言した。

「四条大橋で一蹴した雑兵どもと違って、この四人はどこかに拘束しておくべきだろう。特に水無瀬葵依だ。ゲルマン騎士団の三人と異なり、刀剣等の武器を奪っても脅威度は落ちん」

 ゲルマン騎士団の三人の武装解除を終えたクウガが歩み寄って来る。

「そうだよね。そんじゃあ親玉は残っちゃあいるけど、ひとまず神人の協会の関西支部に連ら……」

 何者かの両手がアキナの左腕を掴んで上げた。次の瞬間、アキナの頭が高速で下にぶれ、どすんと音がした。アキナが背中から倒されたためだった。

 蓮は視線を上げた。下手人は壮年の男性だった。左手で男性を突いた。しかし男性の姿は一瞬にして消えた。

「後ろだ!」クウガの端的な指示が聞こえた。蓮は振り返り、視界に入った男性を注視する。

 ワイシャツ、ネクタイ、黒のウェストコートに黒のモーニングコート。下は灰色の縦縞のコールズボンを身につけており、男性は上流階級然とした出で立ちである。

 年齢は五十代前半と思われ、体格は縦横とも標準的だが、隙のない雰囲気は素人でない事実を物語っている。大きくて黒い瞳には年齢相応の落ち着きがあり、髭のない口元は穏やかな雰囲気で、差別主義団体の長とは思えない鷹揚さが感じられた。

「水無瀬秀雄。首謀者のお出ましだね。それにしてもずいぶんと舐めてくれるよね。さっきの不意打ちで私を倒そうと思えば倒せたはずなのにさ」

 剣呑な調子でアキナが呟く。

 水無瀬はおもむろに、芝居がかった挙動で開いた両手を斜め下にやった。

「ようこそ、奇跡の英雄のご子息たちよ。ああ、済まない。その表現が当てはまらない者も混じっているのだったな。いずれにせよ、我が護国輔翼会をよくぞここまで蹂躙してくれたね。大事な大事な愛娘まで、よくもそこまでいたぶってくれたものだよ」

 低くて深みのある声音だった。むすっとした面持ちのアキナが言い返そうとするが、水無瀬はアキナを制するようにすうっと右手を前に出した。

「口は開かないことだ。日本国を堕落せしめている元凶どもに、発言権はない」

 顔付きは微笑、口調は穏便だが、水無瀬の佇まいには揺るがないものがあった。

(聞く耳持たずか。どこまで頑ななんだよ)

 蓮は苛立ちつつも警戒を強くする。

「冥土の土産に教えてやろう! 私の力は瞬間移動で、用いる武術は合気道! グレードは、君たちが言うところの『伍次元サイコファイブ』だ。思い切り来たまえ! 誇り高く戦い、悔いなく死ねるようにな!」

 威厳たっぷりで言い放つなり、水無瀬の姿は掻き消えた。すぐに別の場所から現れたかと思うとそこからも転移。一秒に三回の頻度で、見せびらかすかのようにそこかしこに出現する。

(動きが速過ぎる! こんなもんどうやって戦うんだよ)

 蓮が焦燥を深める間も水無瀬は瞬間移動を続ける。だが、蓮たちから十五歩ほど晴れた位置に至った瞬間、チッ! 左頬を後方からの何かが掠めた。水無瀬は一瞬くらりとするも、すぐにその場から離れる。

「……堕天使?」アキナの口から、危機感の籠もった言葉がぽつりと零れた。蓮は、水無瀬の後ろから現れた異形に目を遣った。

 背丈はやや蓮より高いほどだった。ただ見るからに、人間とは大きく違っていた。

 背中には蝙蝠のような翼が二枚。一枚当たりの面積は、一般的な成人男性の背中ほどだった。

 肌はやや青み掛かった灰色で、衣服は五角形の鋼板を組み合わせたような、鈍色にびいろの腰鎧を身につけるのみ。頭髪も人のものに近く、漆黒で厚みがあった。前は眉、後ろは背中に少しかかっていた。

 面差しは奇妙に人間に類似していて、ギリシャ彫刻のように洗練された様子だった。しかし瞳からは、いかなる思考を有しているのかが読み取れなかった。

「何者だ、貴様は!」恫喝するや否や、水無瀬の姿が描き消えた。一瞬の後に未知の敵の後方に出現。攻撃を加えんと掴みかかる。

だが、グヌッ! 嫌な音がしたかと思うと、水無瀬は目をかっと見開いた。一瞬の後に吐血する。

 原因は、未知の敵が繰り出した手刀だった。水無瀬の腹から先端が飛び出ている。すぐに水無瀬は、ぐらりと前に倒れ込んでいった。

(ちょっと待て。瞬殺? アキナたちより格上の水無瀬秀雄を?)蓮が戦慄を覚えていると、聞き慣れた女の子の声が聞こえ始める。

「水無瀬秀雄はかわいそうだけどもう手遅れだね。あいつは堕天使グラウゼオ。だけどいったい、何がどうしてああなってるの?」

「堕天使グラウゼオ? アキナ、お前何を言っている?」

 沈鬱に答えたアキナに、クウガは即座に詰問した。

「え? 私、そんな言葉、口に出した?」

(いや、自分で言ったんだろ?)混乱する蓮を尻目に、グラウゼオは水無瀬秀雄から手を引き抜いた。どさりと糸の切れた人形のように秀雄は地面に投げ出される。

 グラウゼオがおもむろに蓮たちへと身体の向きを変えた。すぐにわずかに眉が吊り上がる。

 するとどういうわけか髪がふわりと持ち上がると、グラウゼオの背ほどの直径の光の円がグラウゼオの正面に現れた。黒く変色しつつ高速で径を狭めると、円は一つの黒点となった。

「躱せ!」クウガの切羽詰まった叫びに、蓮はしゃにむに右方に跳んだ。前回り受け身の最中、耳をつんざく爆音が轟いた。

 立ち上がって振り返ると、社殿の間に鬱蒼と生えていた木々が、影も形もなくなっていた。跡に残るは、半径五メートル近い地面の抉れのみ。

 アキナは右、クウガは左に避けた様子で、クウガだけが遠目の位置で油断のない視線をグラウゼオに遣っていた。

「どーもお話が通じる感じじゃあないよね。仕方ないな。人間かどうかも怪しいけど、極悪非道、血も涙もない殺人犯だ。実力行使で黙らせちゃおうか。詳しいことはその後だね」

 すぐ側に立つアキナが、静かな怒りを滲ませた口調で言い放った。眼差しは蓮が見たことがないほど冷え切っている。

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